プロテスタントの誕生は大いなる勘違い
インターネットでダウンロード可能なJW(エホバの証人)解約資料の最終章「聖書の起源」より。JW解約-エホバの証人の真理を検証する
『外典の位置づけ』の項目より。
ユダヤ教はエジプトの宗教に対して背教した結果生まれて、原始キリスト教はユダヤ教に対して背教して生まれ、現在のキリスト教はグノーシス原始キリスト教が腐敗した結果生まれた。新しい宗教(カルト)の興りを『進展』と見るか『背教』と見るかは誰の立ち位置かによる
そして、この先に最も新しい宗教に位置するエホバの証人はキリスト教に背教したまがい物。唯一の真理であろうはずがない。
『宗教は形を変えて継承されていく』の項目より
16世紀にマーティン・ルターはバチカンが創作した聖書を真のキリスト教であると勘違いし、原理主義の宗教革命を起こす
バチカンが創った神話をもとにして、バチカンが汚した教えを取り除こうという考えは人類最大の矛盾
さらに勘違いの延長線上にあり、存在そのものが矛盾しているのがものみの塔。キリスト教原理主義者が米国に渡り、その末裔からエホバの証人という新興宗教が生まれた。
キリスト教原理主義者の信じる原理が勘違いという皮肉。新旧キリスト教間の論争という、人類最大の茶番のおまけ程度に存在しているのがエホバの証人。
勘違いで空回りしているだけなら無害。勘違いでも人々の希望になるのならそれも良い。ところがエホバの証人は、信者の生活に侵食し精神や肉体、経済状況を脅かす有害なカルト。矛盾と一緒に消え去ってもらいたい。
勘違いの延長がカルトでなければ問題ない
この最終章は製作者の調査能力が高じて、エホバの証人解約からは脱線気味。キリスト教そのものやプロテスタントの存在に疑問を呈する内容になっている。
そういう意味では最強のエホバの証人解約資料とは言えるかも知れない。とはいえ、現役信者がこの異教シンボル大集合の資料を最後まで読めるとは思えないが。
キリスト教がユダヤ教のアレンジ版であろうが、プロテスタントの原点が勘違いであろうが、私にとってはどうでも良い。それらが例えニセモノであっても、人々に希望をもたらす可能性がある。
ニセモノの希望であってさえもいい。人々の生活全般に侵入し、自由を脅かすカルトでない限り、どんな宗教でも好きに存在すればいい。
「とある宗教」を取り上げてカルトだと攻め立てるには、その「とある宗教」を知らなければならない。「その宗教」に関わっていた誰か1人がDV野郎だったとか、どこかの宗教家庭で児童虐待があったとかそんなことだけで、その「とある宗教」をカルトとは言えない。
その「とある宗教」全体がカルトであるというには、やはり内部を知っている被害者、もしくは被害者の家族が声を上げる必要がある。そういう意味では、エホバの証人2世被害者である私はうってつけ。
エホバの証人はまかり間違うことのないカルト。エホバの証人はカルトど真ん中。エホバの証人は、この世に存在を許してはいけない忌むべきモノ。