不要、神の義認
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『ものみの塔の終焉』1章『義認』
義認とは何か?本資料で簡単に説明されている。
始まりは、我々人類が人類の祖アダムが犯した原罪を背負っているという設定から。生まれながらに人間は罪深いそうな。人の背負ったそのカルマを償ったと自称しだしたのがイエス・キリスト。
人は誰もがキリスト(教)を通じて原罪を赦される。その赦しが義認。天(神)の義認。
この段階で、私からすると「君たちお馬鹿さん?」なのだが・・・とんちかんかんな妄想しやがって。キリストの誇大妄想に付き合わされているだけ。
父祖アダムだろうが、キリストだろうが、自分が生まれる前の大昔の話を原罪だとか何だとかって押し付けられても困る。
人は生まれながらに罪深い?子どもなんて純粋そのもの、罪深くなるのは周囲の影響のせい。
あと、興味津々で楽園の果実喰っちゃった父祖アダムは神に対抗した英雄でしょ。
信者や植民地獲得のためのキリスト教の都合を、押し付けないで頂きたい。
霊的弱者、エホバの証人
“要らない「義認」、霊的弱者「エホバの証人」に下っている霊的物質的裁き” の続きを読む