キリストの“相手をしてしまった”代償
昨日の話の続き。なぜ、こんなにキリスト教がはびこったのか?
キリストみたいのを、当時の権力側がマトモに相手にしてしまったから。相手にせず放っておけばよかった。しかし、放置できない事情もあり、そうなってしまった場合は正当に絶やすしかない。
ここで新約聖書の教訓に戻る。
キリストを法に基づき正当に死刑にしたあとのどこかに間違いがあった。それがどこかということ。
キリストの死後、いかにキリスト教が広がったのか?
キリスト教の“制度化”とペテロの皮肉
弟子たちがキリストを教祖に仕立ててカルト化していった。自らの利益のために。
ペテロ君なんか、やがて“聖人”にされ、サン・ピエトロ大聖堂の名にまでなった。聖人化してカトリックの親玉になるって、それってキリスト的なモノの対極だと思うんだけど。
しかし、ペテロ君は殉教したので、当人が欲深いわけでなく、私利私欲のためにペテロ君を教皇とかに持ち上げて権力と富を得ようとした連中がいたわけで。
革命の初期に命を落とす理想主義者と、その後に現れる「果実をむさぼる連中」——歴史の繰り返しってやつ。
ペテロ君も、まさか自分の名前が金ピカの大聖堂に冠され、教皇の権威の象徴になるとは夢にも思わなかったはず。漁師から始まり、信仰のために命を落とした彼が、後世の権力構造の「正統性の根拠」として利用されるなんて、皮肉以外の何モノでもない。
歴史は繰り返す
この構図、宗教に限らず、あらゆる「運動」や「理念」にも当てはまる。最初は純粋な志があっても、時間が経つとそれを利用する者が現れ、制度化・権力化していく。まるで、理想が制度に食われていくような構造。
ペテロは殉教した。だが、彼の名を借りて築かれた大聖堂と教皇制度は、果たして彼の信仰と一致していただろうか?革命の初期に血を流した者が、後に“正統性”の象徴として利用される構図は、歴史の常。
そして今、我々の目の前にも“果実をむさぼる連中”がいる。
表に出てこない悪党。巨悪。こういうのを防ぐために何ができたか?何をすべきだったのか?
弟子たちへの“迫害”は正しかったのか?
あれ?当時キリストの死後、キッチリ、キリストの弟子たちも追い詰めてなかったっけ?
キリストの弟子たち側からいうところの「迫害」。犯罪者が何言ってんだかって話だけど、古今東西、宗教側はどんなに自分が悪くて、正統な糾弾を受けていたとしても「迫害」「宗教弾圧」「信教の自由ガー」と言い出す。
うるせぇっつーの。
話がそれたけど、しっかりキリストの根を摘む活動はしていたわけで。
ここは正しかったのではないか。 しっかりと根絶やしにしていく。自称予言者のなんとかはどっかの島に追いやられていたし、ここは正しい。
いったいどこで間違ったのか?明日に続きます。


