新約聖書から得られる教訓:「はいはい、また予言者ですね」で済ませておけばよかった話

キリスト教の増殖から得られる教訓

『ナザレ人のイエスの妄想が高じて、キリスト教がこんなに増殖している。しかし、キリストの予言なんざ2000年経っても成就していないのに。』

という感じのXのつぶやきを見て、同意。

「なぜ、予言の当たらないキリスト教がこんなに広がってしまったのか?」

キリストは、神殿で暴れまわるようなポッと出だったのに、民衆をうまく煽ったおかげでカリスマになり、数々の噂話と作り話で伝説化した。

これから得られる教訓って何かなと考えた。

『仁義なきキリスト教史』、新興宗教キリスト教

新約聖書からの教訓

新約聖書から得らえる教訓。

変な奴が出てきたら、相手にしないこと。

ユダヤ教の最高法廷サンヘドリンまでが、キリストを相手にしちゃった。これが間違いの元凶。

「はいはい。また予言者ですね」という態度で放っておく。

油を注ぐから取り巻きが燃え上がるわけで、積極的な態度で無視する。

「最近流行っているキリスト、知ってますか?」

「知りません。興味ないです」で放っておく。

これが正解で、ましてや、法廷に引きずり出して、むきになって裁くだけでなく、最後には手に甘し、あろうことかローマの政治権力側に引き渡して死刑を求めるという愚を犯した。

こんなにドラマチックに騒ぎ立てるから、相手の思う壺。キリストは“殉教者”として伝説化され、教祖へとまつりあげられることなった。

当初から相手にしなければよかったのに、わざわざ騒ぎ立てたことで、伝説化を招いたとも言える。キリストは単なる変わり者ではなく、“殉教者”として伝説化され、教祖化された。必死になって潰そうとしたことが、逆に神話化を加速させてしまった

無視と放置の限界

しかしだ。 変な連中がのさばり始めているのを知っていて、無視して放っておくってどうなのかな?間違っているモノは間違っているって言ってやらないと、被害者を増殖させる一方。

これは現代日本における極右排外陰謀論政党なんかもそう、一定数は騙されちゃう無知蒙昧な連中がいるんだから、「間違ってるモノは間違ってる」としっかり叩いておかないと、おかしなことになる。

家族が騙されちゃったとかなら、なおさら。高見の無視、高みの放置なんて、のんきなことは言ってられない。

カルト宗教とかも同様。無視、放置できるのは対岸の火事である間。しかも、家族が騙されてから大慌てじゃ手遅れってこともある。

であれば、正当に批判し、正統な手段で徹底的に無力化するしかない。

キリスト教の場合はどうだったか?明日に続きます。


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