エホバの証人の新世界訳聖書の訳語統一による弊害
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『欠陥翻訳ー新世界訳』から。3章『訳語の統一による混乱・矛盾』より。この章では訳語を統一することで生じる弊害を述べている。
日本語の「打つ」には、「殴る」以外に「注射を接種」「心を打つ」などの意味があるが、英語の「hit」にはそんな意味はない。逆に「hit」には「魚が釣り針にヒット」の意味がある。日本語の打つに「魚が釣れる」意味はない。
新世界訳聖書は、「hit」が出てきたら「打つ」と決め打ちしてしまう状態。殴っているときでも、魚を釣っているときでも、新世界訳の訳語統一を行うと「打つ」ことに。
これがギリシャ語、ヘブライ語と広がっていくと意味は無数に。であるのに、後で検索比較しやすいからと訳語を統一するのは安易な発想。具体的に新世界訳聖書内でどんな弊害が起きているかも数例紹介されている。
2019年発行の新世界訳聖書の改訂版とは
ここ数日、ものみの塔協会の新世界訳聖書の欠陥について指摘していたのだが、実は2019年に逐語訳(字義訳)にこだわらない改訂版の新世界訳聖書が刊行されていたらしい。
ものみの塔にまだそんな余力があったとは。老朽化して崩れる寸前じゃないの?
ここからは、2019年の改版が逐語訳(字義訳)にこだわっていないという前提で話を進める。私が現物の改訂版を確認したわけではないので。今さらものみの塔の新世界訳が改定されたからと言って、全部読んだ上で「字義訳でなくなったな、うん」とやるわけにもいかないので。
「また、翻訳の忠実さは、それが字義訳であるという点にも明示されます。それには、英語とヘブライ語およびギリシャ語本文との間にほとんど逐語的とも言うべき対応関係がなければなりません」(「霊感」P.325)
かつて、ものみの塔がここまでこだわっていた字義訳を捨て去る。柔軟かつ謙遜な組織だと、ものみの塔は言いたいのだがろうが、そうは問屋が卸さない。
上記の「霊感」で字義訳サイコーと言っていたのはどの口?神の「霊感」に導かれた人々のお口ですよね。その霊性最高集団のアウトプットが逐語訳(字義訳)。それが40年やそこらで「逐語訳(字義訳)やっぱ皆の言う通りダメじゃね?」と方針転換。
数世紀前に書かれた聖書に対して、ものみの塔の翻訳手法は朝令暮改の流行り廃り。そこに神の霊感はない。コロコロ翻訳手法を代えるものみの塔に真理の兆しなし。
私は背教者ではない
逐語訳(字義訳)を使っていても、不正確、原典に不忠実だと言われるし、言われた通り逐語訳(字義訳)へのこだわりを捨てても、それこそ移り身の早い非真理の証拠だと言われる。
ものみの塔にしてみれば、私なんぞはどちらに転んでも批判してくるただの背教者だろう。その通り。どちらに転んでもものみの塔は非真理で不正確なカルト。そうそうに沈んでもらいたい。
あと背教者と言われるのは癪に障る。私はエホバの証人の教えに従ったつもりもないし、キリスト教に信仰を抱いた覚えもない。背くも何も、最初から服従も信心もしていないから。親に押し付け洗脳されただけ。
私は背教者ではなく、ものみの塔を崩壊させる者。
※画像はものみの塔聖書冊子協会『新世界訳聖書』
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