ものみの塔協会は最初から最後まで贋物

ものみの塔協会が害悪である理由

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『欠陥翻訳ー新世界訳』より。4章『不自然な表現・冗長』から。ものみの塔協会の翻訳した新世界訳聖書について。

『新世界訳』を読む人はその言葉使いによって霊的に覚せいさせられ、霊感を受けた元の聖書の力強い表現にすぐなじんで読むことができるようになります。あいまいの表現を理解しようとして何度も節を読み返す必要はもはやありません。(「霊感」P.330)

というのがものみの塔協会の主張。霊的に覚醒する必要も感じないし、霊感を受けた聖書に馴染みたくもないのだが・・・。それは置いておいて、ものみの塔協会の主張するメリットが『新世界訳聖書』にはない。これは大ウソ。

実際はまさに宣伝とは正反対である。ごく普通の感覚で新世界訳を読めば、これは誰でもすぐに分かることであると思う。全編に渡って不自然な表現に満ちており、その冗長の長さは類例のないもの

私は子どもの頃、エホバの証人二世信者であることを強制され、新世界訳聖書を読まされていた。読んでいてつまらないし意味がわからない。自分の頭が悪いからか、まだ小学生だからなのか、聖書ってわかりにくいなと私は思っていた。

ところが、頭が悪いのはものみの塔の「新世界訳翻訳委員会」の方だった。頭が悪いのは別に罪でも何でもない。頭の悪い人とはできれば関わりたくはないけれど。それでも、人格に問題が無ければ交友も悪くない。(大概の場合は、頭が悪い=人格の低俗さへとつながるのだが)

問題なのは、頭が悪いのを認めない集団や、頭が悪いのを隠して、人々を指導しようとする集団。頭が悪くて、ものごとの真贋など見極めようがないのに「真理、真理」と言っている集団。これは害悪そのもの。まさにものみの塔協会がこれにあたる。

冗長で意味不明の翻訳聖書を配って、「これこそ最高の聖書の翻訳ですっ」という厚顔無恥。頭が悪いのは明らか。であるのに信者のエホバの証人に上に君臨している。まさに盲人が盲人の手を引いている状態。ものみの塔協会こそこの世の災厄。

ものみの塔協会は最初から最後まで贋物

この資料中で、新世界訳聖書から面白表現を拾っている。不自然な表現として挙げられているのが、エレミヤ、エレミヤ哀歌、ヨブ記などが多い。旧約部分ほとんど。この辺を翻訳した人物がとんちんかんだったということか。心当たりのあるお馬鹿さん、反省してください。

中学生でもこういう訳文は作らない

と資料中で指摘されている。面白表現を2つほど。

わたしはどこか行こうとしているところへ行くところ

(サムエル第二15:20)

早口言葉かタッチタイピングの練習文として最適。

肉の大きなあなたの隣人、エジプトの子らと売春を行ない、あなたの売春をあふれさせてわたしを怒らせた

(エゼキエル16:26)

「売春あふれて」とは、艶っぽい話なのか何なのか?肉の大きいのは特殊性癖?

これは古い版の翻訳で最新版はまともになっているのかも知れない。古い件を持ちだして面白おかしく茶化して批判していると捉えられるかも知れない。

とはいえ、この面白翻訳の聖書を発行していた当時から、ものみの塔協会は自らが霊感を通じ、真理の組織であると主張していた。あり得ないっしょ。こんな冗談翻訳かましておいて神の霊感を受けてるは通じない。

今は神の霊感があるのかって?最新版の翻訳がどんなに素晴らしかろうと(読んでいないし読む気もないので素晴らしいかどうかは不明、旧版の質からして、出来の悪さは想像に難くない)、この面白翻訳の延長線上に位置するのが現在のものみの塔協会。

最近、急に神の是認を受けて面白翻訳から脱却したというのは、ご本人たちの主張からしてあり得ない。1919年頃に神に選ばれたというのがものみの塔協会の主張なので。

つまり、ものみの塔協会は1919年に神に選ばれたと主張し出して、せっせと聖書を面白翻訳していたということ。当然、1919年の神の是認そのものがあり得ない。つまり、ものみの塔協会は最初から現在、そして最後に至るまで贋物。


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