エホバの証人の論点すり替え
昨日の記事で、エホバの証人が子どもの学校を休ませて、大会という宗教行事に連行する愚行を非難した。「義無教育ナメんなよ」と。
こういう話をしていると、必ずわいてくるのが、「レジャーで学校を休ませるのは容認されているんだから、宗教行事で休むのも同じ」とか言ってくる香ばしい連中。
全く関係ない問題を持ち出して、論点をすり替えて自己弁護に使おうとするカルトの風上にも置けない奴ら。
ちょっと違うケースだけど、「他にも悪があるのに、そっちは責めないの?」みたいなのもよくある。
コストコのレジで見た修羅場(今は入り口でかなり厳重な確認があるので見なくなりました) pic.twitter.com/CeT9YcklE3
— うさぎのみみちゃん😇12/31冬コミ西つ03a (@usagitoseino) January 5, 2026
他に悪があるからって、お前が見逃されるわけじゃない。スピード違反で捕まって、「みんな速度超過してるのに・・・」って言っても、警察に一切通じないのと同じ。
論点のすり替えを見抜くポイント
レジャーで学校休ませるのと、宗教行事で休ませることの違いを、もうちょっと、キチンとまとめてみる。
- レジャーと宗教行事は法的・社会的な性質がまったく違う
- レジャー(旅行や家族行事など)は、基本的に家庭の裁量で判断されるモノ。学校側も「届け出があれば欠席扱い」など柔軟に対応しているケースもある。
- 一方、宗教行事への参加は、特定の信仰に基づく行為であり、子ども本人の意思や自由が制限されている可能性がある。特に、親の信仰を理由に強制されている場合は、信教の自由(信じない自由も含む)や教育を受ける権利に関わってくる。
- レジャーは「一時的な選択」、宗教行事は「継続的な支配」になりうる
- レジャーでの欠席は、数年に1回あるかないかの話。毎年、休ませてたらちょっとどうかと思うレベル。
- しかし、宗教行事が理由で定期的に学校を休ませる、あるいは宗教活動を優先させるとなると、それは教育機会の恒常的な侵害になりうる。
- 子どもの意思が尊重されているか?
- レジャーの場合、子ども自身が楽しみにしていたり、当然納得している。楽しいことを嫌う子どもはいない。
- しかし、宗教行事の場合、「親に逆らえない」「行きたくないけど仕方なく」というケースしかない。児童の権利条約や児童福祉法の観点から問題になる。
「子どもが大会参加を望んでいる」とエホバの証人はウソをつく。子どもの気持ちが宗教親に分かるわけがないし、子どもが本音を言っていると思える神経がヤバイ。
たとえ子どもがそう言っているとしても、それは親の愛情や監護が放棄されることを怖れて言わされているだけ。または、ハルマゲドンという脅しによって、そう思わされているだけ。
事実、私は大会中に暇になって、外で遊ばされている子どもを目撃している。下らん話を丸一日座って聞きたい子どもなんていない。だから、外で息抜きが必要になる。それが強制されていると言うことの根拠。
まとめると…
「レジャーで休むのもOKだから宗教行事もOK」という主張は、
- 法的根拠が異なる
- 子どもの自由と権利の侵害リスクが違う
- 継続性・強制性の有無が違う


あなたは勘違いをしています!
エホバの証人の子供たちも,地区大会を
楽しんでいます。
子供たちの中には,大会会場に来た
人たちに出迎えをしたりします。
バプテスマを受けたり,ものみの塔の
要約に参加する子供たちもいます。
子供たちも,いろいろな目標を持って
エホバに仕えています。
事実:
子どもが出迎えをする。バプテスマを受ける。ものみの塔の要約に参加する。
希望:
子どもが楽しんでいる。いろいろな目標を持っている
妄想:
エホバに仕えている。
希望を事実みたいに語るのやめようね。
エホバに仕えているって、現代日本人が好き好んで何かに仕える必要ないだろ。