新世界訳聖書の字義訳とは何か?
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『欠陥翻訳ー新世界訳』よりものみの塔が宣伝しまくっている新世界訳聖書の『字義訳』について。
本資料によると、字義訳というのは逐語訳と同じ、直訳に近い。ならば逐語訳と言えば良いものを。あえて字義訳という訳の分からない言葉を使って目くらまししている。
後ろめたい部分があるのか。もしくは、ものみの塔だけが真理の経路であるという特別感を演出しているのか。
字義訳新世界訳とは、一語一語、逐語訳した聖書
というほどではなくとも、全体としては直訳ふうに訳出した逐語訳聖書
逐語訳(字義訳)に相対するのは意訳、ものみの塔には
字義訳は正確、意訳は不正確というとらえ方
がある。しかし、本来の意訳は
原文の一字一句にこだわらず、全体の意味を取って訳すこと
とある。ものみの塔の新世界訳は意訳を否定し、一字一句の意味にこだわる逐語訳を採った。結果、全体の意味を損なった。この状態で、新世界訳聖書に神の霊感が乗ってくるのはありえない。ただの訳語対比表。
文章として全体が伝わらないのなら、辞典と同じ。聖書の単語をひたすら順番に並べて、翻訳したのと同じ。
細部にこだわるあまり、文脈やバランス、真意を失っている。つまり、ものみの塔の新世界訳聖書は「木を見て森を見ず」の典型。一つひとつの単語単語に気を取られ、全体の意味を見失った。
しかも、「主」であるとか「神」の部分を、勝手に「エホバ」に翻訳している暴挙。この部分に至っては逐語訳でなくお得意の「すり替え」発動。この「すり替え」については本資料では寛容で、諸翻訳も同じようなモノだとしている。
どういうふうに訳すかはその訳者や翻訳委員会の信条によって変わってくる
三位一体派の翻訳者であれば、できるだけ、神とキリストをごちゃ混ぜに訳したがるし、聖霊に人格を与えた翻訳をする。逆に、エホバの証人のように三位一体否定派であれば、神とキリストを明確に区別するために「エホバ」と勝手に命名するし、聖霊はあくまでパワーであるかのように訳す。
理想の翻訳とは?
理想の翻訳とは
原作者の言わんとするところを正確につかんで、それを自分なりのりっぱな日本語(あるいはその他の国語)で表現したもの
理想の翻訳を適えるのに、
圧倒的に多くの翻訳者は字義訳では無理だと述べている。むしろ字義直訳は悪訳の代名詞になっている
やはり、字義訳、字義訳と言って喜んでいるのは、ものみの塔だけ。単語を並べて一語ずつ翻訳するのなら、小学生でもできる。
ものみの塔の新世界訳聖書は小学生レベルの欠陥品。新世界訳聖書は字義訳というからややこしいが、実は単なる逐語訳。逐次単語を訳しただけの低レベルな代物。
血族経営のエホバの証人~聖書翻訳者としては不適切な織田君(弟)
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