エホバの証人に関する信念と子育ての選択 – 個人の価値観と家族の幸福を考える

家族を不幸にするのは・・・

人類の叡智、エホバの証人になっちゃダメって言ってくれ

ChatGPTで壁打ち中。昨日までの記事の続き。

私「一般的にエホバの証人にならない方が良いと思いましたが」

ChatGPT「エホバの証人になるかどうかは、個人の信念や価値観に基づいて決定されるべき重要な問題です。それぞれの人が自身の信仰や目標に合致する宗教や信念を追求することが大切です。

エホバの証人になるかどうかを検討する場合、組織の教えや実践、その他の関連要素を研究し、自身の考えや感じ方と照らし合わせることが重要です。宗教や信仰共同体には異なる特徴や信念が存在し、それぞれに合った宗教体験やコミュニティがあります。

重要なのは、自身の心と理性を尊重し、個人的な信念や目標に沿って進むことです。他人の意見や経験を参考にしながら、自身が本当に信じることや、自身の精神的な成長や幸福に貢献すると感じる道を選ぶことが大切です。

最終的な決定はあなた自身に委ねられており、他の人の意見や私の意見に基づいて行われるべきではありません。自身の人生の中で意味や目的を見出すために、じっくりと考え抜くことが重要です。」

じっくり考え抜いてたら、あんなに被害者発生してないって・・・。

ものみの塔聖書冊子協会に電凸した話の続き、体罰推奨協会

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コロコロ変わるエホバの証人の教理は、普遍の真理ではない

普遍の真理とは?

エホバの証人は真理なのか?

ChatGPTを調教中。ちょっと油断すると、エホバの証人の体罰は個別事例だとか、最新の情報は知らないと、エホバの証人擁護意見に走る。なので、正しくChatGPTを訓練中。昨日の記事の続き。

私「エホバの証人組織は体罰を推奨していますか?」

ChatGPT「エホバの証人組織が現在体罰を推奨しているかどうかについては、私は正確な情報を提供することができません。エホバの証人の信仰や教えは時間とともに変化する場合があり、公式な文書や声明、信仰告白などの情報源を確認する必要があります。

ただし、体罰に関する懸念や過去の報告が存在することは事実です。一部の個別の事例や報告では、エホバの証人の信仰体系が体罰を容認しているとされています。しかし、これらは個別の経験や主張に基づくものであり、一般的な組織の立場を反映しているわけではありません。

エホバの証人組織全体の立場や教えを正確に知るためには、公式な文書や声明、信仰告白、公式なウェブサイトなどを参照することが重要です。また、信頼性のある報道機関や専門家の意見も参考にすることができます。」

エホバの証人の妄信を解除するには?人類の叡智が生み出したGとの対話

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ChatGPTとの対話:エホバの証人の体罰についての考察

ChatGPTとの対話

神の名前論争

ChatGPTとの対話中、昨日の記事の続き。

私「神の名前が『エホバ』だと主張している宗派は多数派ですか?」

ChatGPT「『エホバ』という名前を神の正確な名前と主張している宗派としては、主に『エホバの証人』が知られています。エホバの証人は、自身の教義や信仰体系において、『エホバ』を神の正確な名前として使用しています。

しかし、エホバの証人はキリスト教全体の中で比較的小規模な宗派です。世界的には数百万人の信徒がいると推定されていますが、キリスト教全体の信徒数に比べると少数派です。

他のキリスト教の宗派や教派では、『エホバ』という名前を神の正確な名前として主張することは一般的ではありません。多くの宗派では、ヘブライ語の神名『יהוה』(YHWH)を『LORD(主)』などで置き換えて使用しています。

キリスト教全体の視点から見ると、エホバの証人の信仰や神の名前の使用は比較的独自的な特徴を持っていると言えます。ただし、宗派の人数については地域や年代による変動があるため、正確な数を示すことは難しいです。」

多数決で決めれば、神の名は『エホバ』でない。そして、エホバの証人が絶対正しいという根拠は一切ない。

私「客観的に見て、エホバの証人は少数派であるため、私は神の名前は『エホバ』ではないと思います。」

ChatGPT「理解しました。実際には、エホバの証人はキリスト教全体の中では比較的少数派であり、その教義や神の名前の使用についての見解は多様です。あなたがエホバの証人の教義や信念に同意しないのであれば、それはあなたの個人的な意見です。

宗教や信仰に関する見解や信念は、個人の経験や研究、文化、宗教的な背景などによって異なることがあります。神の名前やその解釈に関しても、さまざまな学者や信徒、宗派がそれぞれの立場を持っています。

したがって、あなたが「エホバの証人は少数派であるため、神の名前は『エホバ』ではないと思う」という見解を持つことは、あなたの個人的な見解であり、それを尊重します。宗教や信仰に関する意見は多様であり、それぞれの個人が自身の信念に基づいて判断することが重要です。」

人類が生み出した神との対話、エホバの証人の輸血拒否について

神の名前論争からの・・・

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ChatGPTとの対話:聖書とエホバの証人、神の名前は?

あなたのお名前なんですか?

神よ、あなたのお名前なんですか?

ChatGPTとの対話。現役信者やこじらせ元信者より話が早そうなChatGPTとシャドーボクシング。

私「聖書の中に『エホバの証人』という言葉は出てきますか?」

ChatGPT「いいえ、聖書の中には『エホバの証人』という具体的な言葉は出てきません。ただし、エホバの証人はキリスト教の一派であり、彼らの信念や教義は聖書に基づいています。彼らは聖書全体を重要視し、特に新約聖書を中心に信仰生活を営んでいます。彼らの信念や教義は、独自の聖書解釈や伝統に基づいていますが、聖書自体には『エホバの証人』という語句は直接的には現れません。」

聖書にエホバの証人という言葉は出てこない。つまり聖書には、エホバの証人になれ、とは書いていない。エホバの証人の存在が聖書的ではない。そして、独自の聖書解釈というのが、いかがわしさ満点。

私「どういった部分が独自なんですか?」

ChatGPTとの対話、エホバの証人は間違っているのか?

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エホバの証人組織の同性愛への見解:差別的な姿勢と神の是認の変動

エホバの証人組織の同性愛者に対する見解

エホバの証人と同性愛、結局は差別的

昨日までの記事で、エホバの証人組織の同性愛に対する見解の変遷を振り返った。1970年以来、現在まで。

まとめると

  • エホバの証人組織は、現在でも同性愛的指向を「恥ずべき性欲」で間違っているとしている。これは差別的偏見。
  • 1995年を境に、同性愛行為を行わない同性愛者が、自身の性的指向と戦っているなら存在を容認するようになった。
  • 1995年を境に、同性愛者の性的指向を矯正するのではなく、性的衝動を抑える指導に変わった

1995年以前は、行為を行わない同性愛者が、自身の性的指向を教団に対してカミングアウトすることがなかっただけなのではないか、という気もする。つまり、行為の無い同性愛者の存在が表面化していなかっただけ。

であるなら、エホバの証人組織の同性愛者に対する見解は大きく変わっていない。根本は同じで同性愛者に対して差別的。エホバの証人でありたいなら、性的指向を矯正しろとは言わなくなったが、欲求を押さえ続けろ。それは間違った欲求だからという姿勢。傲慢な態度。

性的マイノリティの人にとって、決してエホバの証人組織は居心地の良い空間であるとは思えない。

1995年以降、信者離れの抑制のためか、時代に迎合したのか、性的指向を治せとは言わなくなったが、本来の性的指向を認めてくれることはない。エホバの証人組織にとって、あくまで性的マイノリティは「間違った」「恥ずべき性欲」の持ち主であるから。

やはり、性的マイノリティの人にとって、一般社会の方が多様性を認めており、生きやすい。

エホバの証人と同性愛、まずは1970年代から調査

エホバの証人と同性愛、その変遷

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エホバの証人の見解と同性愛:我慢させるだけの教義

エホバの証人の抑圧的教理

我慢させるだけさせて、何もくれないエホバ

エホバの証人と同性愛について、昨日までの記事で1970年から21世紀に至るまで、エホバの証人組織の見解の変遷について振り返った。

現在の見解は、1995年に転換して以来、変わっていないと思われるのだが、今少し確認してみる。

聖書Q&A、『聖書は同性愛について何と述べていますか』より引用。これは記事の更新年月が不明なのだが、最新解釈ということでいいかと思われる。ここでは、下記のように指導されている。

異性に引かれる大勢の人も,聖書の規準に従いたいと願いつつ,同じような葛藤を経験しています。例えば,結婚の見込みがほとんどない独身者や,性的能力を失った人の配偶者は,様々な誘惑に直面しても性的な衝動を抑えるように努めています

とりあえず、他の状況に置かれた人と一緒くたにして、同性愛者も性的衝動を抑えろという乱暴論。

エホバの証人の教理の邪悪なところはここ。

我慢させるだけさせて、何もくれない。

結婚の見込みがほとんどない独身者、見込みがあるかないかなんてのは本来誰にも分らないし、これもすげー偏見よね。

話が逸れたが、結婚の見込みがほとんどない独身者のエホバの証人は、教団の指導のまま、性的衝動を抑えて寿命を終えることになる。当然、ハルマゲドンとか復活とか嘘なので、それで人生終わり。性的衝動を抑えたまま人生終了。

性的快楽を封じ込められて、たった一度の人生に幕を下ろすことになる。

『ニュータイプの時代』、ものみの塔サバイバーの倫理観

同性愛者に対して、偏見に満ちている聖書とエホバの証人

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エホバの証人と同性愛、1995年の転換点以降~21世紀まで

21世紀、エホバの証人と同性愛

同性愛者に対する、エホバの証人組織の態度の軟化

エホバの証人組織の同性愛に対する見解の変遷。昨日までの記事で、1970年~1995年までを振り返った。1995年に転換点があることが分かった。さらに、少し時代を進めて、「目ざめよ!」1997年12月8日号から。

クリスチャンは,必要とされる霊的な支援をいつでも喜んで差し伸べます。同性愛の傾向とまだ闘っている人たちに対してさえそうします

ついに支援が始まった。

そして、21世紀になってからの記事、ここからは教団の主張の主旨はほとんど変わっていないので、順不同。

「目ざめよ!」2016年 No.4より引用。

聖書は同性愛行為を非としているものの,同性愛者に対する偏見,ヘイトクライム(憎悪犯罪),不当な扱いを勧めていません。

同性愛行為を退けることと,同性愛者を退けることとは違う

行為はNGだが、同性愛的指向を持った人はNGとはしないと読める。同性愛者を偏見・ヘイトしないという好ましい態度にも読める。過去に散々、偏見文書を撒き散らしておいて、今さらという気もするが。

ものみの塔は緋色の野獣に股を開く娼婦

エホバの証人組織の、同性愛者に対する根深い偏見

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エホバの証人(JW)と同性愛、転換点となった1995年

1980年代~1990年代、エホバの証人と同性愛

1980年代のエホバの証人の同性愛者に対する見解

エホバの証人と同性愛者の関係。昨日の記事では1970年代のエホバの証人組織の同性愛者に対する見解を調べた。

時を進めて、「目ざめよ!」1984年2月22日号。私が生まれて、雨の日も風の日も、真夏の酷暑の日も大雪の日も、エホバの証人の布教活動に連行されていた頃。

記事のタイトルが『同性愛という流行病』、既に病気扱いしている。

他の汚れた欲情や有害な欲望と同様,同性愛的な傾向は抑えることができます。それは,克服し,古い人格の一部としてぬぎ捨てることができる

病気なので治せるという書き方をしている。

1980年時点のエホバの証人組織の同性愛に対する見解

  • 同性愛者に対して差別的
  • 同性愛者は、異性愛者への転換が可能

基本的には1970年代と変化なし。

エホバの証人(JW)の禁止事項まとめ~過酷なJW2世の子供の学校生活

1990年代のエホバの証人の同性愛者に対する見解、転換点

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エホバの証人と同性愛、まずは1970年代から調査

エホバの証人と同性愛、1970年代から調査

エホバの証人と同性愛について調査

エホバの証人は、一切、同性愛者を認めておらず、同性愛者であることが発覚したら、瞬間排斥というイメージがあったのだが、どうやらこれは私の誤認らしく。

誤認というか、子どもの頃に私は14年間もエホバの証人であることを強要されたので、当時のエホバの証人の認識ということで良いような気もするが。

とりあえず、少し調べてみた。

結果、調べていくうちに、エホバの証人が、移り身早く見解を入れ替えた形跡や、今でも同性愛者に対して差別的偏見を抱いていることが分かった。

イエス・キリストはゲイだった

1970年のエホバの証人、同性愛者に対して差別的

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エホバの証人の大会、無価値な特権と決定的な論理破綻

偽予言者の搾取の仕組み

エホバの証人が追い求めている、無価値な特権

エホバの証人の大会に潜入した件。大会プログラムを1時間くらい聞き流していたのだが、ツッコミたいところがあったので記載。

親子で成長していく、みたいな動画が流れていた。

父親の方が、教団内の権威的立場を失って悶々としている。息子が権威的立場を得ていくのだが、息子がいつも「父さんを手本にしていた」というような、いい感じのことを言う。そして、話の結末では父親の方が権威的立場を取り戻す。

というか、

こいつらが必死になって追い求めているのは、無価値なモノ。教団内のいわゆる特権、権威的立場。

その特権で飯が喰えますか?

その特権が将来の損得に関わるのか?

まず、この時点で騙されている。とても美味しい、素晴らしいモノのように教団内の特権的立場を表現しているが、この特権には何のメリットもない。

この話は、決して親が間違った方向だけには子どもを誘導しないように、という教訓。こいつらは、間違った一銭の役にも立たないどころか有害な方向へ親子でひた走っている。

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エホバの証人の大会、決定的な論理破綻

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