マルチ商法2世と宗教2世の類似点と相違点
『みんなの宗教2世問題』1章『当事者たちのさまざまな声』。マルチ商法2世の声。
もはや宗教ではないのだが、マルチ商法にハマる親とカルト宗教にハマる親の類似点を発見できる。
双方の子どもが決定的に違うのは、この体験談の人だけなのかも知れないが、マルチ商法2世の子どもがマルチ商法を行わない点。宗教2世の場合は、子どもの頃から徹底的に宗教活動を行わされる。
その意味では、マルチ商法2世という表現は、もしかすると適切ではないのかも知れない。「マルチ商法に狂う親を持つ子ども」というのが的確なのだが、長いので、この本ではマルチ商法2世としているのだろう。
おカネを信仰するマルチ商法
子どもの2世本人が、マルチ商法活動をしないからと言って、宗教2世よりマルチ商法2世の方が被害程度が小さいのかというと、決してそうではない。
親がマインドコントロール状態にあるのは宗教2世と同じなので、子どもが成人した後でも親はマルチ商法を行い続ける。この人の場合は、成人後に親から金の無心を受ける。
カルト宗教も、究極の目的は金集め。エホバの証人の場合は労働力であったりするのだが、資本主義社会では、労働力はすなわちお金。カルトは、神だとか聖書だとかを経由して、金集め臭を消しているだけ。
エホバの証人の場合は、組織の維持拡大そのものが目的化しているという指摘もあるのだが、組織維持のために必要なモノは、やはり単純にお金。
マルチ商法の場合は、もはや神だとか信仰だとかを隠れ蓑にすらしておらず、金を稼ぐことが目的。直球ど真ん中。カネを信仰する宗教みたいなモノ。すると、成人した子どもに対して借財を求めるのも直球。
子どもが自分で稼げるようになってから、金を無心しだすので
マルチ商法では成年後の被害が多い
という状態に。
マルチ商法とカルト宗教の類似点
マルチ商法親は
周囲には否定されていって、懸念を示す人たちとやり取りを続けるなかで、よけい意固地になって、自分がやってきたことは人生そのものだといまは捉えて、マルチ商法をやめることはまったくありません
「マルチ商法」の部分を、「エホバの証人」と読み替えても全く違和感がない。これまでにやってきた期間が長ければ長いほど意固地になって、過去や自分自身を顧みることができない。
逆に言えば、今までの時間をどれだけ費やそうと、やめるのが早ければ早いほど、これから来る将来を無駄にしないのだが・・・。そんな話が通じないのは、マルチ商法にハマる人とカルト宗教にハマる人の共通点。
“おカネを信仰するマルチ商法、エホバの証人との共通点は?” への1件の返信