『みんなの宗教2世問題』、被害者が加害者に転じる2つの構図

宗教2世の被害者の加害性

昨日の記事の続き。『みんなの宗教2世問題』謎の新宗教2世の体験談。

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被害者の加害性について、この体験者は

自分の加害性、これは私だけでなく多くの宗教2世の回復の過程で直面する耐えがたい苦しみに共通するテーマではないか

と書いている。

私は児童期に教団で、自分そしてその信者のためになると言われ、それを妄信し、性的なものを含む虐待行為に加わり、苦痛を感じる一方で快感や優越感も感じていました。また直接献金を促したわけではないけれど、物の購入や入会を勧めたりもしました。

児童であること、騙されていたこと、逃げられない状況の2世信者だったこと、それらを鑑みて充分に情状の余地がある。

とはいえ、児童であったこの人から、被害を受けている人がいたとしたら?被害者の立場に立つと、相手が児童であろうとも被害は被害。

この問題、体験者のケースでは、性的虐待と勧誘という2つに分けて考える必要がある。

私にしてみれば、性的虐待もカルト勧誘も両方とも罪。しかし、法的な観点ではカルト勧誘の方は罪に問われない。なので、一旦別々に考える。

不屈の精神より、エホバの証人としての贖罪を手軽な行動で示せ

勧誘活動で被害者を増やす罪?

勧誘という面では、私もこの人同様に、さんざん布教活動を行っていたし、エホバの証人の子どもとして、勧誘のための客寄せパンダ的な役割を果たしていた。持ち前の反骨精神で、そんなに役に立ったとは思えないのだが、それでも、子ども相手にものみの塔研究という洗脳教育を施していたこともある。

他人をカルトに引きずり込もうとするのは悪であり罪。しかし、この罪状すら被害のうちという気もする。

勧誘活動をしてしまったという、2世被害者のレベルで罪の意識に苛まれるようでは、1世被害者、大人の信者たちの苦しみはいかなるものか?そういった、いわば自己責任で騙された人たちですら、更生の余地は充分にある。

ないとダメだろう。逃げ道がないと、カルトに堕ちたら堕ちっ放しという地獄社会になってしまう。

騙された被害者が行った勧誘行為については、情状の余地あり。しかし、これらの人に騙されて道を踏みはずした人をもいる。やはり罪は罪。しかし、決して許されないわけではない。という意識でいたい。

さらに、騙された人も、順次被害者から勧誘を行う加害者側に移っていく。つまり、被害者の誰もが犯す罪だと考えるべき。であるなら、当然、誰もが許されたいと考える。それなら、自身も勧誘してきた加害者を許すべきだよね。

性的虐待という純然たる罪

問題なのは、性的虐待の方。これは、法的にも裁かれる純然たる罪。簡単に許されるモノではない。教団内のぬるい裁きではなく、司法機関の裁きを受け、償うべき罪状。

性的虐待の加害者の出だしは、被害者だったのかも知れない。過度の性教育を受け、不当な抑圧を受けたことによる欲望の噴出。この点は昨日の記事にて。

しかし、その欲望のはけ口にされた方は、いつまで経っても被害者のまま。ときに加害者側に転じることもあるのかも知れないが、国内の現状は、恐らく泣き寝入りかつ被害者のまま。ならば、加害者に対して厳罰を求める気持ちは強いのではないだろうか。

勧誘された者が勧誘するのとは違い、性的虐待の被害者は被害者のまま。加害者には適正な司法の裁きが必要であろう。

とはいえ、

  • 被害者が告発する
  • 加害者が自ら罪を告白する

そのどちらにせよ、罪の立証のために被害者に大きな負担がかかるのは違いない。門外漢の私などが想像できない苦しみだろう。

難しい問題だが、性的虐待のサバイバーである、この体験談の女性も次のように書いている。

宗教と性暴力の問題は、政治と宗教や、献金問題の次にきてほしい

と。


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