エホバの証人(JW)が堕ちるダークサイド、排他性とマインドコントロール

JWが堕ちるダークサイド

エホバの証人の理屈無しの体罰

私の家はエホバの証人で、子供の私も生まれながらにエホバの証人というカルト宗教を強制された。わが家は両親ともに信者、子供も漏れなくであることを強制される。エホバの証人が言うところの通称「神権家族」だった。

エホバの証人の親が子供に対して行なう体罰、「懲らしめ」と呼ばれている。なぜ懲らしめられるのか、しこたまお尻を叩かれなければならない理由を言い聞かされ、子供も表面上は納得の上で刑が執行される。

しかし、懲らしめの理由はエホバの証人の教理ありき。教団の厳しい戒律には、子供の理屈や筋の通った批判は一切通らない。

チャンバラごっこや剣を振るうテレビ番組、魔法が出てくる映画はダメ。そういう親に対して、

「古代イスラエル人は武装して闘っていたし、ペテロだって帯剣していた」と、反論しても議論の相手はして貰えない。

「昔と今は違う」で押し切られる・・・

「じゃあ昔の禁止事項を今に適用するのはおかしいよね?輸血とか」と対抗すると、そのうちに体罰強制執行でねじ伏せられる。

「イエスの奇跡と魔法はどこが違うの?」そんなものを一緒にするなんてと体罰の刑。

エホバの証人の他の家ならOKなことも、わが家ではNG。

「よそはよそ、うちはうち」で押し切られる。子供の私が折れない場合は、懲らしめが発動し強制的に服従させられる。

信者の親は、無感覚にエホバの証人の教理を信じ続け、戒律に反した子供に何の迷いもなく懲らしめという体罰が行使されるそこに理性や理論は皆無。

エホバの証人の懲らしめという名の体罰と児童虐待

変態的な懲らしめという児童虐待の犠牲者であるエホバの証人2世

エホバの証人のマインドコントロール手法

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エホバの証人(JW)の懲らしめという名の体罰=児童虐待

体罰を受けるエホバの証人の子供

エホバの証人の懲らしめという体罰=児童虐待

エホバの証人は王国会館と呼ばれる集会所に集まり、集会と呼ばれる宗教講演や機関紙『ものみの塔』の討議を行う。

この集会には多くの子供も連行される。中には、集会の最中に泣き出したり、ソワソワし始める子供もいる。小さな子供にとって、2時間近くも大人しく座っているというのはなかなかの苦行。

大人しくしていられない子供は、王国会館の外や声が漏れないような別室に連れて行かれる。そこで、懲らしめと称して体罰が加えられる。

たいていの場合はズボンを脱いで、お尻を何回か叩かれる。大人の素手で思いっきり叩かれたり、ベルトで叩かれたりとエホバの証人の体罰の種類は様々。ターゲットがお尻になっているのは、骨折のような怪我をすることもないし、叩いた跡も目立たたないから。

懲らしめはエホバの証人の王国会館だけで行われる訳ではない。エホバの証人の家庭でも日常的に懲らしめと言う名の体罰が行われている。エホバの証人の懲らしめは単純に児童虐待。

世代を超えて、さらに拡大するエホバの証人の児童虐待

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エホバの証人(JW)の王国会館の狂気、マインドコントロール集会

JWのマインドコントロール集会

エホバの証人の集会は危険なマインドコントロールの始まり

エホバの証人の集まりは集会と呼ばれる。信者たちは王国会館と呼ばれる集会所に集まり、集会に参加する。集会では公開講演と呼ばれる単独の講演や、機関紙「ものみの塔」の討議などが行われる。

エホバの証人の信者は集会の間、熱心にノートをとる。決まりでもないのだが、皆が必死に大学ノートに公開講演の内容などを書き取っている。こうなると同調圧力が働き、ノートいっぱい書き取った信者が立派という雰囲気に。

何となく王国会館に来たという人も時間が経つと同じように変化していく。女性信者に集会に連れて来られた非信者家族も、初めのうちは居眠りしたり暇そうな顔をしたりしている。

しかし、熱心にノートを取っている子供の2世信者を見て、次第に変化していってしまう。子供までもが壇上からされる小難しい話を熱心に聞いている。大人である自分がふざけている訳にはいかないと、どうしても思い込んでしまう。

エホバの証人とは、こんなにお利口に子供を育てることができる宗教なのかと勘違いしたときにはアウト。本質を見失っている。実際は、大人しく座っていないと懲らしめ部屋でゴムホースで思いっきりお尻を叩かれるから、それが嫌で子供たちは大人しくしているだけ。このように、

エホバの証人の子供たちは新たな信者を獲得するためのネタにされている。これがエホバの証人のマインドコントロールの第一歩。

強烈なマインドコントロール効果をもつエホバの証人の公開講演

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エホバの証人の王国会館での熱烈な歓迎はカルトの証し

JWの王国会館

エホバの証人の王国会館で行われるマインドコントロール

エホバの証人の王国会館では集会と呼ばれる信者の集まりが開かれる。集会では、講演や教団の宗教本を利用した質疑応答、信者による実演などが行われる。

公開講演と呼ばれる講演は○○兄弟と呼ばれる男性の※献身した信者のみが行い、女性の信者が行うことはない。エホバの証人社会は完全な男尊女卑の古くさい思考の組織。

※献身とはバプテスマとも呼ばれ、キリスト教的には洗礼・浸礼のこと。エホバの証人の献身は、ものみの塔協会という組織に自身の全てを捧げますよという誓いを立てることを意味する。本人たちはエホバという神に誓っているつもりなのだが・・・。

公開講演には派手な身振りや言葉の抑揚が付属していて、あいまあいまに座っている信者が拍手をする。今となってみると、尋常ではない光景。王国会館の空気に酔いしれて、閉塞した一体感のもとでマインドコントロールが進行していく

エホバの証人養成のための神権宣教学校

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ものみの塔のクリスマス禁止の無根拠を論破する、馬小屋は寒いのか?

JWはクリスマスも禁止

他の宗教の行事すべてを禁止するものみの塔協会

日本の小学校ではクリスマスから節分まで、あらゆるイベントが行われる。最近ではハロウィンも定着しつつある。

穿った見方をすると、消費活動を促すための販売戦略が公共の教育機関にまで伝染しているだけ。好意的な視点で捉えると、仏教の伝来を認めた日本人の異文化への寛容さの証しであるとも。単純に言えば、子供たちの楽しみ。

しかし、ものみの塔教会は他の宗教を認めておらず、冗談のようなイベントでもエホバの証人の子供は参加することが許されない。エホバの証人の子供は、ほんのちょっとでも他の宗教色のイベントは禁止。

エホバの証人の子供たちは、そういった季節毎の行事が行われる度に、先生にその行事に参加出来ない理由を説明しなければならない。そして、行事を見学するという屈辱的な時間を送る。

同級生が行事に参加したり、楽しみにしているのは羨ましい。しかし、それ以上に嫌だったことがある。行事に参加しない理由を同級生に聞かれたり、見学している途中で話しかけられたり、奇異の視線を浴びるのが私にとって何より屈辱的だった。

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エホバの証人の子どもの日常は生き地獄

エホバの証人の子供がクリスマスを禁止されている理由

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恥神エホバ、本当の自分とエホバの証人2世である自分

本来の自分とJWである自分

エホバの証人に試練を課しているのは「ものみの塔協会」

1993年1月にアメリカ合衆国の大統領が改選された。私は小学校6年生だったのだが、大統領選挙のニュースに戦々恐々としていた。

当時、エホバの証人の世界本部はニューヨークのブルックリンにあった。大統領の改選によりエホバの証人への迫害が始まるのではないか。そんなことを子どもながらに恐れていたのを思い出す。被害妄想も甚だしい。

私は生まれながらのエホバの証人信者だった。親ゆえのいわゆる宗教2世。

私は、エホバの証人のことを世間から爪弾きにされている弱い存在であると感じていた。私は信仰を守るというより、無難に何事も無く生きていければと願っている子どもだった。

しかし、エホバの証人の子どもにとってそれは許されない。エホバの証人2世には、簡単に乗り越えられるのだが、自尊心は極めて傷つくという微妙な試練が連続してやって来る。

信仰を試すような機会が、あえてものみの塔の教理には含まれている。それを乗り越えることでエホバの証人組織への未練と執着が強まり、ますます脱会しにくくなる

これがエホバの証人が組織依存してしまう原因の一つ。自ら招いた微妙な試練を、苦労して乗り越える。試練を与えてくると思い込んでいる世界を敵視する。そして、教団の中に逃げ込む。

考えてみれば、信教の自由と個人の尊厳が保障されている日本では、エホバの証人に与えられる試練はそれほど困難なものではない。逆に難しいのは、エホバの証人を思い切ってやめること。

これは深いマインドコントロール状態に無い場合でも同じ。エホバの証人の教理や組織の方針に疑問を感じていても、今までに払った犠牲と時間が惜しまれる。教団外にまともな人間関係を築いてこなかったことも影響する。

変化を恐れるエホバの証人たちは、生ぬるい馴れ合いのエホバの証人の王国会館に通い続けてしまう。

信者たちを組織に縛り付けるために、ものみの塔は、あえてエホバの証人にしょうもない試練を課している。

エホバの証人の王国会館という虚構の世界の架空の友人

エホバの証人の王国会館に流行る病

恥の象徴であるエホバ

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家族を崩壊させるものみの塔協会、バプテスマとは?排斥とは?

家族を引き裂くエホバの証人

エホバの証人2世の高校デビュー

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人というカルト宗教の2世信者だった。2世信者とは、親の1世信者によって信仰を強制される子供のこと。エホバの証人は、日本ではものみの塔聖書冊子協会という名称でも知られている。

私は中学2年生のときにエホバの証人をやめた。狂信的なエホバの証人だった両親に、「もう集会にも行かず、伝道もしない」と告げた。その決断をするのに悩み抜いた。脱会宣言をした夜は、心が引き裂かれるような思いだった。

エホバの証人は週に2回から3回、王国会館と呼ばれる集会所などに集まる。これが集会。伝道というのは布教活動のことで、文字通りに家から家のブザーの鳴らして周る。これらの活動を熱心に行うことで、日常生活に多大な支障がでる。

私のエホバの証人脱会は、小学校の高学年頃から願い続け、ようやく14才にして叶った。ものみの塔の教義から自由になり、一般女性と付き合いまくるという明るい将来を思い描き続けて、私はエホバの証人の子供という暗黒時代を乗り切った。

私はエホバの証人2世として、信仰を証言することを強要された。小学校・中学校の先生・同級生に「私はエホバの証人で、信仰上の理由でクリスマス会に参加できません」「給食の前に合掌しません」と。これは尋常でない屈辱であり苦痛。

エホバへの信仰を捨てた私は高校に進学する。私の高校生活は、初めからエホバの証人であることを誰にも証言しなくて良かった。地元から離れた高校を選んだので、完全な高校デビューを果たした。

高校デビューした私に対して、未だエホバの証人信者だった両親は、それまでと同様に接してくれた。私が成人して家を出るまで、経済的にも養ってくれた。エホバの証人には必要のないとされている短大卒となる高等教育まで受けさせて貰う。ほぼ私の希望通りの進路を選ばせてくれた。

これは、私が一人っ子で両親から深く愛されていたことが一因なのかも知れない。今となっては一家離散してしまったので確かめようがない。しかし、最も大きな理由は、私がバプテスマを受けてものみの塔に献身した正式なエホバの証人になっていなかったこと。

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時間のかかるエホバの証人(JW)2世の解放、つきまとうマインドコントロール

JWからの完全解放への道のりは険しい

14才、エホバからの解放

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人(JW)というカルト宗教の信者だった。両親が熱心な信者だったため、子供の私も当然のようにエホバの証人というカルトを強制された。いわゆる2世信者。

エホバの証人2世の日常生活は、大きく自由を制限される。

七夕やクリスマスといった宗教臭のする行事はすべて禁止。毎日の給食の「いただきます」「ごちそうさま」の合掌は出来ない。代わりにキリスト教ポーズで祈りを捧げないといけない。完全な変態。

エホバの証人の集会が平日の夜に2回、土日にもエホバの証人の集会と布教活動があり、学校のクラブ活動にはほとんど参加出来ない。
※2022年追記最近では、平日の夜の集会は週1回に減少した様子。

エホバの証人の子供は、学校の先生にこういった込み入った事情を自ら告げなければならない。信仰の証言と言われ、私にとってこれは大きなストレスだった。

私は小学校1年生以降、進級の都度、担任が変わった。4月になると、エホバの証人の信仰の証言を毎回しなければならなかった。

中学2年生から3年生に進級する時にだけ、担任の先生が変わらなかった。しかし、私は中学2年生の秋頃に、エホバの証人の信仰を捨てていたので、これは逆にやりにくかった。

「今年から何でもやります」という訳にもいかない。急にクラブ活動に真面目に参加しだすというのも今さらという感じ。仕方が無いので、都合の良いところだけ未だにエホバの証人であるような顔をしていた。

14才、中学3年生の給食の時に、私が合掌していたかどうかはもう覚えていない。ただ、

毎度の給食の前に、両手の両指を組み合わせたキリスト教的祈りのポーズをとるという、馬鹿馬鹿しい行いからはようやく解放されていた。

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子供の心の底にまで染み付くエホバの証人の教義

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エホバの証人(JW)の禁止事項まとめ~過酷なJW2世の子供の学校生活

山のような禁止事項を課されるJWの子ども

エホバの証人2世の学校生活、苦痛の日々

エホバの証人の2世信者(親の宗教を強制される子供)は、学校の給食の前に合掌のポーズをとることが禁止されている。これが私にとっては大問題だった。小学生から中学生に至るまで、全ての給食の時間が私にとっては苦痛だった。

毎日毎日、給食の昼が来るたびに憂鬱な気分になる。そんな学校生活がエホバの証人2世の日常。クラス全員が手を合わせて、「いただきます」という時に、私だけ両手を握り合わせた祈りのポーズをとらなければならない。

悪目立ちして、突っ込んでくれ、いじってくれ、イジメてくれと自ら火に油を注いでいるようなモノ。クラスメイトに好奇の目で見られることがたまらなく嫌で、辛かった。

エホバの証人の禁令下の子どもの日常

他者の視線と変化を恐れるエホバの証人2世

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合掌しないエホバの証人の祈り方から伺えるものみの塔の二面性

結局適当なJW教義

エホバの証人2世が給食の前に手を合わせない理由

日本の学校での給食の前、両手を合わせる合掌のポーズ。これは、エホバの証人には許されてはいない。理由は、エホバの証人が異教とみなす仏教や日本古来の神々への祈りのポーズを連想させるから。

日本の食卓の「いただきます」は、ありとあらゆるものへの大雑把な感謝を簡素に示したもの。機能性と様式美を備えた風土に根ざした祈り。しかし、こういったものを良しとする柔軟さをエホバの証人は持ち合わせていない。

エホバの証人の祈り方

エホバの証人の祈り方は以下のように決まっている。1人で単独で祈る場合や衆目の視線があるような場所では、祈りの発声はしなくても良いことになっている。学校の給食の前などもそのパターン。

しかし、こういった場合でも両手の両指を交互に握り合わせた祈りのポーズだけはしなければならない。逆に集会所など、信者のみで集まった場合や、家庭内で代表者が祈る場合は発声して祈らなければならない。

エホバの証人の教義はこの微妙なラインをついてくる。イスラム教徒のように時間がくれば、床に膝まずいて祈らなければならないというほど過激ではない。しかし、その一方で食堂に集まった全校生徒と同じように合掌のポーズをとることは許されない。

ご都合主義のものみの塔

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