エホバの証人だけが気づかない、エホバの証人がカルトである証拠

エホバの証人はカルトという、疑いようのない事実

エホバの証人がカルトでないと思っているのはエホバの証人だけ、という話。これが前回の話。今回はその続き。

エホバの証人に寛大な非信者の人がいたとする。その人はエホバの証人とは全く関係がなく、エホバの証人のことをカルトではないと思っている。普通の良心的な宗教だと認識していたとする。

そのエホバの証人に寛大な一般人に対して聞きたい。

「あなたの家族がエホバの証人になったら、どう思うか?」

「まあ、良いんじゃない」という回答だろう。エホバの証人に好意的な立場なので。

では、そのエホバの証人寄りの人に、エホバの証人の重大教理を教えよう。

エホバの証人は絶対に輸血しません。死んでも輸血しません。命がけで輸血拒否の教理を守って、死んだ信者がいます。

これに対してエホバの証人からの反論はこう。「輸血拒否で死ぬのは一昔前の話。今は無輸血治療技術が発達しているので大丈夫です」。

でたー。ものみの塔論理テクニック「すり替え」。

「エホバの証人は、命がけで輸血を拒否する集団である」という話を

「輸血拒否で死ぬ、死なない」という話に「すり替え」ている。

命がけの教理があるなんていうのはカルトの証拠。エホバの証人はカルトで間違いない。

輸血拒否では死なないので命がけではない、というのはただの屁理屈。というか輸血拒否したら死ぬときは死ぬし。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

エホバの証人はカルトというのは、全世界の共通認識

すり替えられた「輸血拒否で死ぬ、死なない」の話も、結論は「エホバの証人は輸血拒否で死ぬ」で間違いない。

エホバの証人が大手術することになったとして、術前の承諾書に「万が一の場合には緊急輸血することを認めます」の一文があれば、エホバの証人は署名しない。やはり、有事の際にはエホバの証人は輸血を拒否して死ぬことを選ぶ。

結局、エホバの証人は意味不明な輸血拒否の教理で命を落とすことも辞さない。

この集団に自分の家族、親、子ども、配偶者が入ると言い出したらどう思う?いくらエホバの証人に寛大な人でも、それはイヤだと思うだろう。

つまりは、エホバの証人は危険なカルト、絶対に入りたくない、入って欲しくない。関わってはいけないカルト。

信者ではないが、エホバの証人に対して寛大な人も、ちょっとした無知を修正すれば、その気持ちが変わる。なぜなら、エホバの証人は意味不明な輸血拒否の教理のために命を捨てる集団だから。

この理解があれば、100人いれば100人が、1億人いれば1億人がエホバの証人はカルトという認識に至る。

ゆえに、エホバの証人がカルトだと思っていないのはエホバの証人だけ。


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