エホバの証人の教材暴露:レッスン08無理筋設定フレンドリー神エホバは、人生の超絶重荷

無理筋設定神エホバ君

超絶重荷になる神エホバ

エホバの証人の初学者マインドコントロール用教材『いつまでも幸せに暮らせます』のレッスン08『あなたもエホバと友達になれる』

エホバを本当に愛し,エホバに喜ばれるように一生懸命頑張る人は,エホバと友達になれます

お得意の条件付き友情。

自分を本当に愛してくれて、自分を喜ばせてくれようと一生懸命頑張ってくれる人がいたら、誰でも友達になるだろ。別にそこまでしてくれなくても友達になるし。というか、そこまでされたらちょっとキモイ。エホバ君心狭いんじゃね?

出てくる例が75才のアブラハム。無茶ぶりで神に土地を移動するように言われる。75才にもなって。それで友だち?奴隷じゃないすか?

神を愛するとは,神のおきてを守ることです。神のおきては重荷ではありません
ヨハネ第一 5:3

「重荷ではない」?嘘つけ。重荷だっつーの。押しつけがましい。重荷になるかどうかはこっちで決めるんだよ。輸血拒否して死ななきゃならなかったり、家族でも忌教者は忌避しないといけなかっり、超重荷だろ。

というか、「私を愛するとは、私のおきてを守ることです」なんて言い出すメンドクサイ友達要らねす。

良い友達は私たちのためを思って大事なことに気付かせてくれる。エホバはそのような友達

大事なことって輸血拒否して死んだり、家族を忌避したりってこと?冗談キツイぜ。

動画「エホバはわたしを本当に助けてくださいました」で

小さいころ家族が親しくしていた人から性的な虐待を受けました

性的虐待?エホバの証人からですか?よく起きてますよね?

エホバの証人の教材暴露:レッスン03明らかな虚偽

無理筋フレンドリー設定神

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エホバの証人の神はどんな神か?独善的で粘着質な神。

独善的で粘着質なエホバの証人の神エホバ

独善的なエホバの証人の神

エホバの証人の初学者用教材『いつまでも幸せに暮らせます』レッスン07『エホバはどんな神?』

「神は愛」だとか、何だとかっていう話。

引用されている聖句

エホバは公正を愛する方。
ご自分に尽くす人を見捨てることはない。
その人たちはいつも守られる。
しかし,悪人の子孫は取り除かれる
詩編37:28

エホバの証人は、こういうのも良い聖句だと思っているんだけど、おかしくない?

「悪人の子孫は取り除かれる」って、悪人基準がそちらの基準で、勝手すぎる。そして、子孫は関係ない。独善的すぎる。

粘着質な神、エホバ

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英雄アダム、自由意志を放棄または没収されるエホバの証人

アダムの原罪こそが、人類を進化させた英雄的行動

『近現代日本とエホバの証人』から。第一章「エホバの証人の救済観と組織観」の後半。

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人間の原罪の話。

エホバの証人における救済は、個人における現実的な幸福追求と著しく矛盾し干渉しあうようにも映るが、そもそもエホバの証人においては、何が幸福かを人間が自ら決定すること自体が不幸の原因とされている。

エホバの証人的生き方は個人における現実的な幸福追求とは正反対。昨日の記事でも書いたが、エホバの証人は間違いなく不幸になる。

この点を正当化している『ものみの塔』の記事によると

人間は神から独立するようには創造されていない

いや、例え神から独立するように創造されていないのだとしても、私は神から独立するよ。神が私の独立を妨げるのなら、ちっぽけな命を賭けて断固神と戦う。そもそも、そんなケチくさい神は人間の想像の産物。

人類の原罪とされているアダムとエバの神への挑戦。これこそが盲目だった人類を刮目させ、素っ裸の動物から知識と恥じらいを備えた人間に変えた英雄的行動。永遠に生きる家畜から、有限の「時」という概念を知った高度な知的生命体への進化。

自由意志の行使タイミングを大きく間違えているエホバの証人

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『一九八四年』~邪神とよこしまな組織を見極める方法

古来から騙され続けてきた人々

近未来の(今となっては既に過去設定だが)仮想全体主義国家を描いた『1984年』。本ブログの主旨であるエホバの証人というカルト宗教のなかの世界にそっくりだと思いながら読む。

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著者自らが書いた巻末の附録、作中で使われるニュースピークという言語の設定を解説したもの。解説と言いながら未来からニュースピーク当時を振り返る書き方がされていて不思議な部分(ここは解説に詳しい)。この附録にエホバが登場する。

党員に必要とされたのは、自国の民以外の民は「邪神」を崇拝しているということ以外、他のことをほとんど知らなかった古代のヘブライ人と同じようなものの見方をすること

党員はエホバとエホバによる十戒を知っており、それ故、他の名前や他の属性を持った神は邪神であることを知っていたのである。

自分の知っているもの以外が全て邪であると信じるのは凄まじく危険。そう信じたが最後、他のものは一切目からも耳からも入ってこない。

様々な思想や神がある中で、最初に巡り知ったものが聖であるという偶然。ないない。その信じたい偶然を「神の導きで」とか言っているから騙されちゃう。

「いろいろ試した結果、これしかないと思いました」と言っている奴も大して変わらない。その思考状態で一択、聖を選びとれる訳がない。一長一短あるけど暫定ランキングで一位はこれ。というのが正しい。今の決断は今の段階においてベストというだけ。順位は入れ替わる。

邪悪なものを見極めるには・・・

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生ビールの3杯目と4杯目の間、そこに神は存在する

人類に神は不要

ようやく聴き終えた『同志少女よ、敵を撃て』より。現在、二周目に突入。AmazonのAudibleにて。

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自分たちは神ではない。では神は何をしているのか?神がいるというのなら、彼は安寧の世界から地上に地獄を創り、その様子を俯瞰しているというのか

同胞を誰一人救えず、地獄の光景が広がったとき。神の存在意義に疑問が提示された。

狙撃銃のスコープに的をおさめて、銃弾が当たると確信して引き金を絞るとき。彼の生殺与奪権を完全に掌握。無我の境地で引き金を引く。神にも等しい瞬間。高み。

主人公たち狙撃兵は神を信仰していない。人間の能力を遥かに超えた飛び道具で何百人もの人間を射殺する。神にも救いようが無い罪深さだからなのか、一瞬とはいえ、敵兵の生死をつかさどり、神にも等しい頂きに到達するからなのか。

おそらく本質は後者。狙撃兵に神は必要ない。

これは生死をつかさどる狙撃兵だけにあてはまる話ではなく、全ての人間にあてはまる。神は不要。

一瞬の集中。高み。無我の境地。そこに達すれば、人間にとって神の存在など無用の長物。永遠にダラダラしている神が到達できない地点。たった一瞬の煌めき。

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

儚くもひたむきな一瞬に神は宿る

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エホバの証人のハルマゲドンが怖くない、3つの理由

エホバの証人のハルマゲドンが怖くない理由

神はいない、だからハルマゲドンは来ない

ロシアのウクライナ侵攻。エホバの証人は、戦争が始まると、この世の終わりの徴候が来たと感じちゃう。

ものみの塔の予言解釈では、この世の終わりのしるしとして、戦争やら疫病、飢饉が流行するとされている。その後で、ハルマゲドンという神の裁きが下る設定。

ものみの塔にマインドコントロールされている現役エホバの証人、一部の元エホバの証人、つまりはエホバの証人関係者の一部が、「戦争」をこの世の終わりの兆候と、大小あれど感じてしまう。

私はエホバの証人をやめて30年弱、スカッと洗脳が解けて20年弱。今ではエホバの証人教理のすべてがウソだと信じている。よって、戦争、コロナ、この後で強烈な食糧不足がコンボでやって来ても、予言の成就だなどとは思いもしない。

ところが、エホバの証人をやめた直後10年くらいのあいだ、「ハルマゲドンが来る」のは、私の中で既定路線だった。成人年齢だったのにも関わらず。これほどに、ものみの塔の洗脳は恐ろしい。

だから、戦争を「この世の終わりのしるし?」と、心がザワつく人がいるのは仕方がない。ものみの塔に、その不安を付け込まれないようにすれば良いだけ。

私も長い時間がかかったが、今ではものみの塔の全部がウソだと、解放された。キリスト教解釈については、エホバの証人の逆を行っておけば、とりあえず正しい可能性が高いと想定しているくらい。

だから、神がいるとすれば三位一体形式、神の名はエホバでないし、霊魂は不滅に近い形で意識は残る、地獄はあるけど、そこではもう死なないのなら怖くない。そもそも、こんなことはどうでもいい。

死後どうなろうが、「今」を確実に生きられない者が死後に恵まれるわけがない。「復活」とか「楽園」とか現実逃避も甚だしい。

「今」を粗末に扱ったエホバの証人は、死後家族に恨まれる。そんな者が死後に恵まれるわけがない。

極論、エホバの証人が神の存在を唱えている以上、神はいない。絶対神としての神エホバは存在しない。全知全能の唯一神なんていない。理由二つ。

第一に仕事遅すぎ。神様クビ。使えねぇよ。

第二に最初の人間アダムから失敗作って、どこが全知全能なんすか?コントじゃん。

神はいない。だから、安心してくれ。ハルマゲドンは来ない。

矛盾だらけのエホバの証人教理~ハルマゲドンは永遠に来ない

ものみの塔の数打てば当たるハルマゲドン戦略

ハルマゲドンが来ても、問題は死が解決してくれる

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エホバという神は、果たしてこの世界に存在するのか?

北海道広島会衆のエホバの証人集団排斥事件とは

ネットでダウンロード可能なエホバの証人解約資料。第3段はエホバの証人「組織とスキャンダル」。閲覧はJW解約-エホバの証人の真理を検証するから。

資料の最後は「北海道1978年事件」。私が生まれる前の大昔の話。北海道の広島会衆の金沢氏の話。北海道・広島・金沢と地名が三つも並んでややこしいのだが、それは置いておいて、広島会衆の長老が真実を追い求めた結果、会衆ごと集団排斥された事件。
(※後日訂正、1978年は広島会衆が設立した年、事件は1985年に起きている。正しくは北海道広島1985年事件)

この金沢氏は排斥後に金沢文庫としてものみの塔糾弾書籍を何冊か記している。私も集団排斥の本は読んだことがあったのだが、これを機会にもう一度読み直してみる。

金沢文庫へのリンクは、エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)

エホバの証人1世信者と2世信者の違い

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インテリジェントのない神エホバは野蛮神(やばんじん)

エホバの証人よ、恐竜はどこへ行った?

恐竜を全無視するものみの塔協会

エホバの証人は進化論を否定している。すべてのものには創造主がいるという創造論を主張しているから。

インテリジェント・デザイン論だとか・・・。

日本のエホバの証人はすぐに英語を使いたがる。ボランティアとかブロシュアーとかシンポジウム。激ダサ。

エホバの証人にとって、進化論の権威であるチャールズ・ダーウィンは目の敵にされている。とにかく進化論全否定。

こうなると、都合が悪いのが恐竜の存在。

エホバの証人は科学的に創造論が正しいとか言っているのだが、恐竜の存在は全無視。ものみの塔の宗教本の創造のシーンなどに恐竜の挿絵は出てこない。すべて黙殺。

化石が大量に出ちゃっているので、存在を否定できないのだが、神が秩序正しく予定通りに世界を設計した、という聖書の辻褄が合わなくなる。

クロマニヨン人とか先史時代の人類についても全無視。都合が悪いと無視。それでも権威として進化論の文献を使いたければ、一部分だけを恣意的に引用して使うのがものみの塔の常とう手段。

世界は秩序正しく設計されて創造されていない

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どんと来いハルマゲドン、性悪な神エホバに打ち勝つ方法

一瞬を永遠に変えることができる人間だけの特権

どんと来い、ハルマゲドン

『ドアの向こうのカルト、』元エホバの証人2世が書いた脱会本。絶版なので読むなら中古で。

作中に、若いエホバの証人2世信者が、脱会してホストになったというストーリーがある。

宗教から離れた二世というのは、常にどこかでエホバを裏切ったという罪悪感を感じている。だからこそ極端に反対の方向に暴走してしまう

私も、生まれながらにエホバの証人であることを強要された2世信者だった。しかし、14才の時に自分の意志で脱会。親との決別も覚悟していた。

私は、14才の脱会時もそれ以降も、神を裏切ったという罪悪感は全く覚えていなかった。逆に、親の期待を裏切ったことに対する罪悪感の方が大きかった。

神に対しては、もはや確信犯。「ハルマゲドンどんと来い」という感じ。甘んじて滅びを受けるつもりだった。ただ、その終末までは好きにさせて貰う、と決めていた。人間として生を受けたのなら、その生を自分の意志で生きる権利があると信じていた。

永遠に生きなければならない、性悪神エホバ

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エホバの証人の洗礼~バプテスマという献身の儀式に関する2つの誤解

エホバの証人のバブテスマに対する誤解

エホバの証人のバプテスマに関する2つの誤解

エホバの証人としてある程度の経験を重ねると、バプテスマという献身の儀式を受けるよう教団側から求められる。同調圧力、無言の圧力によって、ときには直接的にも要求される。

バブテスマというのは、普通のキリスト教で言うところの洗礼の儀式。

本人が望んでエホバという神に献身しているつもりなのだが、実情は違う。ここに誤解が2つある。

  1. エホバの証人は、自ら望んで献身しているわけではない
  2. エホバの証人が献身しているのは、神ではない

エホバの証人は、自ら望んで献身しているわけではない

エホバの証人組織内でのヒエラルキーは、献身した者>献身していない者。献身した者ほど神に愛されるという建前で、献身している信者ほど教団内で優遇される。

こう序列をつけられると、可能であれば上にあがりたいと思うのが人情。しかも、エホバの証人と関わろうなんて人は、世間で劣等感を抱えていたり、心身に不調があったりという人。少しでも誰かに認められたいという思いが強い。

献身の有無で序列はない、とエホバの証人は言うだろうが、そんなことはない。キッチリ序列がある。会衆の決議で決を採られるのは献身済み信者だけ。

決議は寄付金の運用・仕様方法がメインになる。未献身信者も寄付はしているのだから、当然決議に加えるべきなのに、そうでない。やはり、ここに序列が存在する。
(※この決議は、反対者がほとんどでない既定路線。凄まじい同調圧力が発生している)

エホバの証人は献身すると「○○兄弟、○○姉妹」と呼ばれるのだが、献身していない信者は「研究生」と呼ばれる。この時点で、研究していない信者は一段階、蔑まれている。兄弟姉妹とは認めないということだから。

この兄弟姉妹という呼び方は、エホバの証人の排他性も表している。エホバの証人でない者は身内でない、という差別感情。

エホバの証人組織は、未献身の信者たちが「上に上がりたい、兄弟姉妹として認められたい」といった感情を抱くように仕向けている。つまり、本人が心から望んだわけではなく、本人が「献身したーい」と望むように、教団側から仕向けられている。

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