生ビールの3杯目と4杯目の間、そこに神は存在する

人類に神は不要

ようやく聴き終えた『同志少女よ、敵を撃て』より。現在、二周目に突入。AmazonのAudibleにて。

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自分たちは神ではない。では神は何をしているのか?神がいるというのなら、彼は安寧の世界から地上に地獄を創り、その様子を俯瞰しているというのか

同胞を誰一人救えず、地獄の光景が広がったとき。神の存在意義に疑問が提示された。

狙撃銃のスコープに的をおさめて、銃弾が当たると確信して引き金を絞るとき。彼の生殺与奪権を完全に掌握。無我の境地で引き金を引く。神にも等しい瞬間。高み。

主人公たち狙撃兵は神を信仰していない。人間の能力を遥かに超えた飛び道具で何百人もの人間を射殺する。神にも救いようが無い罪深さだからなのか、一瞬とはいえ、敵兵の生死をつかさどり、神にも等しい頂きに到達するからなのか。

おそらく本質は後者。狙撃兵に神は必要ない。

これは生死をつかさどる狙撃兵だけにあてはまる話ではなく、全ての人間にあてはまる。神は不要。

一瞬の集中。高み。無我の境地。そこに達すれば、人間にとって神の存在など無用の長物。永遠にダラダラしている神が到達できない地点。たった一瞬の煌めき。

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

儚くもひたむきな一瞬に神は宿る

例えばスポーツやギャンブルだと分かりやすい。神が自身の中に存在し、神が要らない瞬間を味わえるから。だから多くの人が熱狂する。

サッカーボールとゴールゲートの間に完全に遮蔽物がないのを認め、渾身の力でボールをゴールに蹴り込むとき。全力で振り切ったバットに強打されるボール。打った瞬間にホームラン性の打撃と分かるジャストミート。

リーチ後一巡目の自摸で高めを引いて、めくった裏ドラが三枚のったとき。投資がかさんだ後の大連荘の予感漂う3連荘目くらい。最終レースに有り金全部突っ込んで、賭けた馬が最終コーナーを大外から加速して駆け上がる瞬間。

仕事だっていい。些細な仕事から大きな仕事まで、やり切った瞬間。日常にも神は潜む。生ビールの3杯目と4杯目の間。ほろ酔いと酔いの境界線。

どんな日常にも神に近づける一瞬がある。その境地を永続的に味わいたくて、人類が創り出したのが神という幻想。そして、その幻想に現実逃避しているのがカルトにはまる人々。

現実をひたむきに生きれば、儚い人間にしか到達できない瞬間がある。地上の地獄に手出しできない役立たずの神を決して寄せ付けない場所。宗教も神も要らない。何もかもを忘れられる一瞬があれば、それでいい。

生ビールの3杯目と4杯目の間。


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