エホバの証人の外国本部志向
『近現代日本とエホバの証人』を読んでいる。研究や学術的「視座」に立っている本書。序章より。
エホバの証人の教勢を測るのに、総信者数の増減を指標とする根拠を延々と示している。入信者数と総信者数が共に伸長していれば脱会者が少ないと言え、総信者数のカウントはいわゆる活発信者のカウントなので・・・という根拠の提示。
私は幼少期の私怨により、ものみの塔が目障り。それが子孫世代の環境の正常化、エホバの証人の存在しない未来という目的に昇華した。単純に、信者を限界まで減らせば組織体は保てないだろうと、大なり小なり信者数の削減方法を模索している。
こうではなく、エホバの証人を客観的視点から研究するとなると、いちいち根拠が必要。学者さんは大変。私としてはエホバの証人がゼロ人になってものみの塔が消滅すれば、それだけで良いのだが。
本書によると、エホバの証人の拡大と停滞に理由を考えるには
入信する側の背景以上に布教する側の事情に注目する必要
がある。布教する側の事情を突き詰めていくと、エホバの証人は
外国志向的で自己規定が独占主義的
に分類されるとしている。自己規定というのは、宗教としての正当性の主張の仕方のこと。独占主義はセクト的とも表現されている。
また、
宗教には少なくとも教義・信条面、実践面、組織面といった要素があり
本書では、組織面における外国志向を<本部志向>と
再定義している。
『近現代日本とエホバの証人』、カルトに取って喰われる無自覚層
外国セクト本部に絶対服従の家畜的生き方
“自主独立・自律とは正反対、家畜的生き方のエホバの証人” の続きを読む

