極悪行為が無いから真の宗教だというエホバの証人の主張の異常

エホバの証人と統一教会

エホバの証人は統一教会よりヤバくないのか?

統一教会が騒ぎになっていて、ヤバさは「統一教会 > エホバの証人」という論調になっていたり、エホバの証人の信者本人が「統一教会はあんなに異常で、エホバの証人はこれこれこう違うから真の宗教だ」みたいな寝言を言っていたりする。

ここできっちり否定しておきたい。

エホバの証人も統一教会もカルトで、有害。本質は同じ。この国に、いやこの世界に存在を容認してはいけないもの。

エホバの証人が統一教会よりヤバくないとされる理由3つ

  • 霊感商法で壺を売らない 
  • 合同結婚しない
  • 政治家と癒着し、選挙に干渉したり組織票を投じない

エホバの証人信者が自らを真の宗教だと言うときも、上記をしないからという理由をあげる。

上記3点が表面的なモノで本質は同じだということを証明すれば、エホバの証人は統一教会よりヤバくないという論調に一石を投じられる。この点は明日

カルトに操られた、「人間のような者」のたどる末路

宗教団体の極悪行動三兄弟

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エホバの証人を輸入した明石順三、その現実逃避に問う未来

明石順三と灯台社

灯台社、明石順三の現実逃避

『近現代日本とエホバの証人』より。第二章「灯台社の時代」前半部分。

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灯台社とは、日本におけるエホバの証人組織の黎明期の名称。灯台社を設立したのは明石順三、渡米しエホバの証人を輸入した人物。後にエホバの証人の米国本部から破門され、現代のエホバの証人からは背教者として恐れられ、毛嫌いされている。

明石は留学生という名の出稼ぎで渡米したのだが、エホバの証人に堕ちた理由について、本書では以下のように考察している。

第一次世界大戦の勃発や様々な危機と混乱を、すでに予言されていたものとし、その法則性や秩序を提示する教説は、一定程度の魅力を発揮した

まずは当時の歴史的状況。ものみの塔によって、1914年の出来事に対し、まるで予言が成就したようにつじつま合わせが行われた。

エホバの証人(JW)の歴史は「騙し」の歴史、予言の変遷

さらに、明石の日本人移民という立場。祖国日本から見捨てられた移民。

人間の営みは全て虚しいという宗教的な意味付けと、神の介入のみを根本的な解決法とする世界認識の枠組と秩序、それはアメリカ合衆国や日本といったナショナル単位の利害関係の対立を超越する解決策となる

神の介入など世界に不要だし、人間の営みは虚しいからこそ、一瞬一瞬に意味がある。現実を変えられるのは現在に生きる無力な人間だけである、という真理から目を逸らし、神という超越存在にすがるのは単なる現実逃避。

明石の置かれた過酷環境で、上記と同じことが言えるかと問われれば、恵まれた現代日本に生きている私には、ちと自信がない。とはいえ、当時の明石順三がエホバの証人に現実逃避したのは間違いない。終末思想の新興宗教に堕ちるのは、現実逃避以外の何物でもない。

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自主独立・自律とは正反対、家畜的生き方のエホバの証人

エホバの証人という家畜的生き方

エホバの証人の外国本部志向

『近現代日本とエホバの証人』を読んでいる。研究や学術的「視座」に立っている本書。序章より。

エホバの証人の教勢を測るのに、総信者数の増減を指標とする根拠を延々と示している。入信者数と総信者数が共に伸長していれば脱会者が少ないと言え、総信者数のカウントはいわゆる活発信者のカウントなので・・・という根拠の提示。

私は幼少期の私怨により、ものみの塔が目障り。それが子孫世代の環境の正常化、エホバの証人の存在しない未来という目的に昇華した。単純に、信者を限界まで減らせば組織体は保てないだろうと、大なり小なり信者数の削減方法を模索している。

こうではなく、エホバの証人を客観的視点から研究するとなると、いちいち根拠が必要。学者さんは大変。私としてはエホバの証人がゼロ人になってものみの塔が消滅すれば、それだけで良いのだが。

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本書によると、エホバの証人の拡大と停滞に理由を考えるには

入信する側の背景以上に布教する側の事情に注目する必要

がある。布教する側の事情を突き詰めていくと、エホバの証人は

外国志向的で自己規定が独占主義的

に分類されるとしている。自己規定というのは、宗教としての正当性の主張の仕方のこと。独占主義はセクト的とも表現されている。

また、

宗教には少なくとも教義・信条面、実践面、組織面といった要素があり

本書では、組織面における外国志向を<本部志向>と

再定義している。

『近現代日本とエホバの証人』、カルトに取って喰われる無自覚層

外国セクト本部に絶対服従の家畜的生き方

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『近現代日本とエホバの証人』、カルトに取って喰われる無自覚層

カルトに取って喰われる被捕食者層

『近現代日本とエホバの証人』

エホバの証人を学術的に研究しようとする本書を読み始める。

「エホバの証人の研究」なんてヤバさ満点な語感。信者たちは、ものみの塔の宗教本によるマインドコントロールのことを「聖書研究」と呼称している。

私の考えは、エホバの証人を学術的に分解したり、研究したりする必要なんか一切なく、ぶっ潰せば良いという考え。解散させるか、信者全員が騙されていると気付けばいい。そうすればエホバの証人が存在しない明るい未来が訪れる。

とはいえ、敵を知らねば戦いようがないので、この本でしっかりと「研究」させて頂くことに。

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最初のページからエホバの証人について端的に要約されている。エホバの証人の特徴を見事にとらえた最後に、「・・・というカルト宗教である」の一文が入ると大いにうなづけるのだが、本書は一方的な批判的立場をとらないので仕方がない。

虚しさや孤独を埋めるために悪事に手を染めるエホバの証人の女たち

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『良心の危機』、やっと出てきた爽やかなモノとは・・・

ようく出てきた爽やかなモノが・・・

唯一の清涼なモノがエホバの証人脱会の成り行きという皮肉

『良心の危機』、第12章「最終攻撃」から。私にとっては、エホバの証人にまつわることは不愉快そのもの。子どもの頃にこのカルト宗教を強要されて、人生の大きな恥部になったから。

そのエホバの証人に関する本書の中で、ようやく出てきた清涼なモノ。

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著者はエホバの証人を自ら断絶した人と食事を一緒にしたために、エホバの証人組織から排斥される。その成り行き。このエホバの証人的罪状を追求されているときのこと。先に断絶した人の方が著者の立場を慮り

もし自分と付き合うのが賢くないと判断するならそれはそれで構わないとも言ってくれた

その一年半前、この立場は逆であり、著者の方が先に排斥になる可能性があった。相手はまだ断絶前。しかも著者いわく

そちらのご家族は多い。奥さんも子供さんもご兄弟もお孫さんも親戚も、全員エホバの証人だ。排斥になった私がアラバマに戻って来たらずいぶん厄介なことになる

それでも、戻って欲しいと言われた著者。

今度は立場が逆転したのだから、ここで釣り合いのとれないことをするわけにはいかない、と私は言った。真理のため、そして他の人のために良心に従って行動した人を邪悪だと決めつけるような意見に同調するわけにはいかない

これらが、エホバの証人組織を追い出される、追い出されないのために割かれた腐心であることは、全く爽やかではない。とはいえ、心意気のようなものだけを受け止めると、ここには友情と「白を黒とは誰にも言わせない」芯の通ったモノがある。

家族、親族がエホバの証人だらけ。その状況で排斥者を囲うと、自身までが親戚中から排斥され忌避される可能性大。著者は老齢になるまでの人生すべてを賭けた組織からの排斥の危機。本人たちにとって失うモノは相当に大きく感じられたはず。

どっぷりエホバの証人に浸かった人の中にも、自分基準で相手を思いやり行動でのる人物がいるとは驚き。組織に家畜化されずに、自分の意思、判断能力を残している人物。他人をただ単に純粋に思いやれる人物。

『良心の危機』、著者のものみの塔感覚に対する違和感

『良心の危機』、リーダーは被害者意識で罪から目をそらすな

いざ、自由な大海へ

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エホバの証人の天啓とは?たまたま現れたものに「安易」にフルベットする悪癖

カルトな式典、エホバの証人の死の記念式

エホバの証人特有の天啓体験とは?

『良心の危機』、第11章「決心」より。本章では、エホバの証人特有の天啓体験があると書かれている。

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エホバの証人の教理では、

イエス・キリストが仲介者であるのは「油そそがれた」者たちのためだけであって、その他何百万人といるエホバの証人のためではない

という設定。

天に昇り、全宇宙を統治するのは「油そそがれた」者だけ。そのため、末端構成員のその他諸々のエホバの証人は、「油そそがれた」者で構成される統治体に服従しろとされている。

これは、組織統治、支配のために、都合よく作られたものみの塔の独自教理。

それについて、著者は

聖書を見れば、明らかにイエス・キリストはすべての「その他大勢」のために仲介者となって神との間をとりもってくれるとされている。キリストがすべての人のために自らの命を捧げたこと、受け入れる人には誰にでもその贖いの利益を与えること

すなわち、エホバの証人の教えられていることと反対のことが、聖書の福音であると書いている。これはつまり、エホバの証人組織に対しての背教。

この立場で聖書を読むと

他の人には当たり前のことでも、エホバの証人にとっては天啓かとも思われるショックを与えることがある

このショックを受けた元エホバの証人の言葉

「聖書を読みながら聖霊を拒否しているような気がしていました。ずっと読んでいって自分にそれを当てはめていくうち、急に止まってしまうう。あ、これは自分には当てはまらないんだ、油そそがれた者たちだけに当てはまるんだと思う」

こういったその他諸々の末端エホバの証人が

マタイから啓示(黙示録)に至る聖書の内容がまさに自分に向けられたものであり、拡大した「解釈」など不要で、本当に直接自分に当てはまるのだと納得すると、突然数多くの疑問が出てくる。答を求めていながらも敢えて尋ねようとはしなかった疑問の数々

それすなわちエホバの証人から見れば背教思想。

聖書的に見れば素晴らしい気付き。ものみの塔の色眼鏡を通さずに聖書を学べば、カルトから解放される。

たまたま目の前に現れたものに「安易」にフルベットする悪癖

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世界の単純ルール、ものみの塔的なモノの正反対が正解

ものみの塔の逆が正解

素晴らしい理想と正反対のものみの塔

『良心の危機』、第11章「決心」。散々、不快感を表明した本章なのだが、良いことも書いてある。著者の持つ理想的な組織像、リーダー像。

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著者の望む組織の仕組みは

みんなを成長させ、他の人間や組織体制に頼るような霊的に幼い人間ではなく、成長したクリスチャンとして行動できるようにするためのもの

ところが、エホバの証人の実情は「思考を止めて退化させ、他人や組織に依存する幼稚な人間を量産するところ」。

著者の望む組織は

組織体制の規則に従うだけの人間を作ることではなく、「自分の知覚力を訓練し、正しいことも悪いことも見分けられるようになった」人間を育てるもの

エホバの証人の現実は「組織の規則を妄信し、家族や命まで軽視する人間を育てる集団」。

著者の指導像は

「指導する」やり方は模範を示すことによってであり、神の言葉に忠実に、主の指示を主自身が与えたようなやり方で説き伝える

というもの。

主というのはキリストのことだろうか。キリストは一世紀にいきなり現れて、神の子を名乗って世界をしっちゃかめっちゃかにして去っていった。世界に争いの種をまいただけとも言えるし、権力者にキリスト教という飛び道具を与えた結果、現在の秩序が生まれたとも言える。

「終了した秘儀」からの「万民キャンペーン」、そしてマインドコントロール

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エホバの証人の統治体「我々は何でも許されるが、一般信者どもは黙って言うことを聞け」

エホバの証人の統治体の二重基準

エホバの証人、権威構造の宗教に救いはない

『良心の危機』、第6章「二重基準と御都合主義」より。

マウライのエホバの証人は踏み絵を踏むのを許されずに迫害を受け、生死を脅かされる。その一方で、メキシコのエホバの証人は賄賂を支払って軍務修了の証明書を入手。予備軍に参入していた。

メキシコのエホバの証人組織の脱法はそれだけに留まらず、組織そのものが宗教組織でなく文化組織の体裁をとっていた。祈らず、歌わず、聖書を持ち歩かずという神の冒涜三原則。

それはメキシコで土地などの資産を追い求める手段として。神より財産という物質的合理主義。

ここまでが昨日の記事

なぜ、エホバの証人組織にはここまでの地域間格差があるのか?というのが本日の入り口。答えはエホバの証人が偽者のカルトだからなのだが、本書ではそれを明快に指摘している。

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キリスト教を規律の形で扱う権威構造によく現れる産物だと今の私は考えている。権威構造に関わる人たちは、それほど良心にやましさを感じることなく二重の基準があるのを見ていられるようになってしまう

エホバの証人は、一部の人間の権威欲を満たすための宗教を隠れ蓑にした組織。その欲望の犠牲になって死んだり、人生を圧倒的に損なったり。権威者にとってはそれは目に留める必要もないこと。

地域間格差に良心を痛める一般信者がいる一方で

「トップ」に立ち、いわゆる「象牙の塔」にいる人たちは不思議なほどにそういう感情とは無縁で、この二重基準が人々にもたらす影響には感じるところがない

地域に不公平があろうが、いかに全体をたぶらかし、上手く統治するか。それしか考えていない。個別の家族の不幸など一切関与しない。こんな宗教、いやカルトに救いがあるわけがない。

組織の言うことは絶対!エホバの証人

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『ニュータイプの時代』、ものみの塔サバイバーの倫理観

この国の未来のために

反ものみの塔活動のモヤっとポイント

『ニュータイプの時代』、第4章の「ルールより自分の倫理観に従う」の部分で、今まで何となくモヤっとしていたことがスッキリ。

このブログを始めとした私の活動は、反ものみの塔の意思で動いている。この世界に必要のないものみの塔を消滅させ、世界を正しい姿に戻したい。そのためにはエホバの証人の一人一人にはものみの塔を脱会、一般人に戻って貰う必要がある。

私のもやもやは、そこまでして良いのか?ということ。

信教の自由、基本的人権という盾の下、この国には人間がどこまでも愚かになる権利すら認められている。

人間がどこまでも愚かになる権利とは、輸血拒否して死んだり死なせたり、不毛な宗教活動に打ち込み公共の益を損ねたり、世界の終末とその後の永遠の命を妄想したり。

エホバの証人をゼロにするということは、その権利を踏みにじることになる。私としては、それは全然構わないと考えている。人間がどこまでも愚かになる権利など認める必要がない。

とはいえ、法治国家のこの国で「思想、信教の自由が云々」とか「信じるものは否定するが信じることは否定しない」とか「個人が信じることで誰にも迷惑かけていない」などと言われると、それもそうかと。

単にものみの塔が目障りで、私怨でやっているという本音の一部は決してさらせない。勧誘したり、子どもに強制したり、そもそもの時点でマインドコントロールされて騙されているんだから、信じるモノが邪悪である以上は信じることすら否定する必要がある。程度の反論しかできず堂々巡り。

これがモヤッとポイント。ここを救ってくれたのが本書。

キングオブカルト、エホバの証人

ものみの塔聖書冊子協会に電話した話の続き、体罰推奨協会

この国の未来をどうしたいか?カルトサバイバーの倫理観

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ものみの塔聖書冊子協会に電話した話の続き、体罰推奨協会

カルト宗教エホバの証人

ものみの聖書冊子協会へ電話で問い合わせた2つの質問

ものみの塔に電話で問い合わせしてみた話。昨日の記事の続き。きっかけは、ものみの塔聖書冊子協会の日本支部が、週刊誌の取材に模範解答ながら対応していたこと。無視を決め込むのが常道かと思っていたのだが。

私の電話での一つ目の質問、ものみの塔が週刊誌の取材に対して「信者各家庭の事情には関与しない」と回答していた。これは「信者がお宅の宗教のせいで不幸になっても関係ないということか?」「公式サイトにある『あなたの家族生活を幸福なものにする』はウソ?」

これは質問にひねりが無くて、当然「Yes!」と答えるわけがない。「該当の週刊誌が手元にないし分からない。とりあえず全ては公式サイトに書いてあるの一点張り」

そりゃそうさな。オレでもそう答えるよ。宗教のせいで不幸になったという因果関係、簡単に証明できることではない。人生全体の問題だから。だからこそ、根が深い。簡単には諦めないけど、今回は質問が悪かったということで二つ目の質問に移行。思い付きで電話せずに、もうちょっと質問ひねっとけオレ。

ものみの塔聖書冊子協会に電話してみた話、公式サイト崇拝

体罰を推奨しているのか、という質問に対するものみの塔の回答

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