カルト宗教の2世信者が救われる方法~映画『星の子』より

エホバの証人の悪い習慣、「信じてるのか・・・」

宗教2世がテーマの映画『星の子』、昨日までの記事の続き。Amazon Prime Videoならプライム会員無料。以下、ネタバレなので、未視聴の方はご注意を。

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以下、ネタバレ。

 

 

 

 

その他、本作の”宗教”と、エホバの証人との類似点。

・騙されている奴にどれだけ真っ向から騙されていると言っても通じない。

劇中の宗教が信者に売りつけている高額水。偉い学者の先生が効能を認めているとされている。それが虚偽、騙されていると、外部の人間なら中学生でも分かるのだが、本人は騙されていないと言い張る。

ソースを調べない習慣。エホバの証人も同じ。ものみの塔の出版物に引用されているパッと見は権威のありそうな文献。それらは全て恣意的にものみの塔に都合の良い部分だけが切り取られている。

そんなの当たり前。誰がカルトの擁護なんかするかっての。特に権威ある文献ならばなおさら。ところが、エホバの証人は、劇中の能天気で風邪を引かない中学生にも「信じてるのか・・・」と絶句させるほどにものみの塔を信じちゃってる。

カルトの集会、大会、集金システム

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『星の子』~宗教2世の生きにくさ、いったい何のために生きている?

宗教2世の身が引き裂かれる感覚

宗教2世がテーマの日本映画『星の子』、昨日の記事の続き。AmazonのPrime Videoでプライム会員無料。以下、ネタバレなので、未視聴の方はご注意下さい。

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以下、ネタバレ。

 

 

 

主人公は、家族で飲んでいる宗教の高額水のおかげで風邪を引かないはずなのに、簡単に風邪を引く。もしかして騙されているのかと疑い始めるものの、それでも騙されているかどうかは「分からない」と苦悩する。

家族の異様な宗教が恥ずかしいのだが、騙されているとは判断できず、親族の救いをも拒絶する洗脳状態。もしくは親を捨てきれないためか。心から心配してくれる親族が敵に見える感覚。

この辺はエホバの証人2世だった私の経験と酷似。私は、ダサいエホバの証人に混じるのと、学校の行事に参加出来ないのが死ぬほど嫌だった。であるのに、エホバの証人の教義は概ね真実であると疑いもしなかった。

子供の頃から繰り返されてきた洗脳の成果。エホバの証人に反対する者、エホバの証人でない者は悪魔の手先であると教えられた。例え親族、親友でも。

本来のなりたい自分とダサい宗教2世という乖離、カルト親なのに愛し愛される両親であるという矛盾。この差が宗教2世の身を引き裂かれるような感覚を生む。

神の存在を許すか、許さないか、それは自分で決めること

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『星の子』~計算された後味の悪さ、宗教2世問題の本質

宗教2世問題の本質とは

宗教2世がテーマの邦画『星の子』、AmazonのPrime Videoでプライム会員無料になっていたので、早速視聴。ゴリゴリにネタバレするので、未視聴の方はご注意を。

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キャストは豪華で、芸能事情に疎い私でも知っているキャスト多数。主人公は中学生で、アラフォーの私が忘れかけていた感覚がキッチリ描かれている。

今どき中学生が果たしてこの映画みたいなのかは分からないが、この年頃の子供が持つ普遍的な感覚は映像から匂いで伝わってくる高レベル。

なのだが・・・

 

 

以下、本当にネタバレ

 

 

なのだが、後味は悪い。主人公が最後まで救われなかったから。エンディングまでに詳細を語られない方式なので、解釈次第では、主人公の洗脳が解け始めている、もしくは解放済ともとれる。

宗教2世の問題は、本人の洗脳も大いにあるのだが、最大問題は保護者との関係。その保護者と肩を抱き合って終わるというのは何とも。

そして、その保護者は一切、マインドコントロールからの解放の気配がない。それでも主人公を深く愛している、または愛しているつもりというのが、宗教2世問題の本質。

エホバの証人の親は思考停止洗脳状態の「親のような者」

家族の無条件の愛を感じるにはエホバの証人をやめるしかない

カルトをぶっ潰さない後味の悪さも計算ずく?

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ものみの塔聖書冊子協会に対して、振り上げた拳を降ろすとき

ものみの塔がカルトでなくなったら?

エホバの証人を簡単に切り捨てるものみの塔協会

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の続き。少し読み進める。

徹底した聖書の字句中心主義をとる彼らにとって、使徒行伝に「血・・・を避けよ」と書かれてある以上、それを無視することは難しいだろう。この字句主義こそが、「輸血拒否」の看板を掲げさせたともいえる。

一度掲げた看板は、掲げ続けなければならない。

とのこと。

エホバの証人が幾人も無意味に殉教しているし、ものみの塔は、今さら「輸血OK!」と手の平返しはしにくいはず。

通常の感覚なら。

ところが、ものみの塔にはこういった「情」のようなものはない。囲っている信者に対する愛の欠如。ものみの塔は信者のことを使い捨てる兵隊か、金づる程度にしか考えていない。

21世紀が来ることはないからと、信者の人生設計も財産も、仕事も何もかもを投げ出させ、いざ時が来たら、「ハルマゲドンはもうちょっと先かな」と。長年、時と金を差し出した高齢の貧乏信者に対して、何らかの保障があるわけでもない。

私たちの世代は子どもの頃、ものみの塔の指導で親に叩かれまくったが、既にそれも無かったことにされかけている。

いずれも、信者が自主的に人生を棒に振り、親が勝手に子どもを叩きまくっただけ、ということになっている。

ものみの塔は、当然のように信者を切り捨てる。

そうであれば、輸血拒否で亡くなった信者も勝手に自分の意思で死んだということになりかねない。都合が悪くなれば切り捨てられる。

事実、ブルガリアのエホバの証人は輸血しても排斥処分を受けない。

ものみの塔が「輸血拒否」看板を降ろしたら

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輸血拒否が子どもの意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い

エホバの証人の罪深い輸血拒否殺人

完全悪、ものみの塔

今読んでいる『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』より。1985年にエホバの証人の子どもが、輸血を拒否して亡くなった話。

被害者の子どもは

『死にたくないよ、生きたいよ』と父親に訴えてもいる

ところが、父親は耳を貸さず断固輸血拒否。そして被害者の子どもは絶命。

これをエホバの証人に言わせると

輸血しないで死ぬのがイヤだったんじゃなくて、輸血して復活できなくなっちゃうのがイヤだった

死にたくない、っていうのはそういう意味だった

となる。憶測だらけで好き勝手な論を吐く。本人に聞いたわけでもないのにこんな話を広める。当時、私の両親たちも似たような論調で、この幼い殉教者を語っていた。

死者を冒涜する、エホバの証人の自分勝手なウソ。「生きたい」ために輸血したくないなら「輸血したくない」と言うはず。命がけの極地で、そんな曖昧な発言をするはずがない。この子の「生きたい」は、輸血を含むありとあらゆる手段を使っても「生きたい」だったんだよ。

筆者はこの後、本事件にのめり込み、教団に潜入までして調査する。そう突き動かしたものは

輸血拒否が大の意思であったか否か

大というのは被害者の子ども。

子どもの意思だろうが、何だろうがそんなものは関係ない。子どもは騙されているだけなのだから。自分の意思で輸血を拒否しようが、自分の決断で(一旦)死にたがったのだろうが、その根幹にあるのは「人間が復活する」という嘘。

本人が生きたいと言ったのは、「輸血して生きたい」でなく、「復活して生きたい」だとエホバの証人は決めつけ、本人の願いだったということにしている。

しかし、そんな危険思想を持たせたのは周囲の大人。周囲の悪い大人のエホバの証人。無垢の子どもを「人間は復活する」と騙して脅して殺す。罪は重い。

輸血拒否が子どもの意思でなく、大人の強制であれは単純な殺人。

輸血拒否が子どもの意思であれば、そう洗脳したものみの塔やエホバの証人の大人たちの罪。生まれながらに「人間は復活する」と仕込まれれば、子ども信じざるを得ない。「地球が丸い」と、大人が信じているのと同じ。

いずれにせよ、ものみの塔や大人のエホバの証人が完全悪であることに違いはない。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

背教者のみぞ知るエホバの証人の真理

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エホバの証人(JW)、強制的に輸血して命を救う方法

死にたがりの愚か者、エホバの証人

ここ数日、エホバの証人(JW)の輸血拒否について書いている。私の経験として子どもの頃、輸血拒否したことがあり、成否五分五分の無輸血手術に挑んたことがある。

私は生き残ったのだが、輸血拒否したばかりに適切な医療を受けられず亡くなったエホバの証人の子どもも存在する。無意味な戒律で子どもの命を奪うのがエホバの証人。

現在の日本では、15才未満の子供に対しては、親が輸血拒否しようが親権停止して輸血し救命することが可能という考え方になっている。
※2023/11/20追記、この親権停止措置。非常時には全然間に合わないらしい。交通事故といった超緊急時には、エホバの証人の子どもは親の輸血拒否で命を落とすことが十分にあり得る。

親子とはいえ別人格であり、子の生存を脅かすことは許されないという考え方。そして、15才未満の子供は医療に対する判断能力がないとしているから。命の価値を推し量れない子どもには、自分で死を選ばせないということ。

15才以上で、自身で輸血拒否して死にたがっている場合には、輸血できない。大人として、医療に対する判断能力、自己決定権ありとされているから。無許可で輸血した結果、エホバの証人側に訴えられて、医療側が敗訴した判例がある。

命を救う行為が罰せられるという不条理。

何かで読んで、出典が思い出せないのだが、”この国では、どこまでも愚かになる権利が自由という名のもとに保障されている”、ということ。まさに、死にたがりのエホバの証人がその愚か者たち。

無輸血手術、不毛な命がけの勝負に挑まされるエホバの証人の子ども

エホバの証人、命がけのものみの塔崇拝、輸血拒否というブラックジョーク

エホバの証人、命に対する適切な判断能力なし

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無輸血手術、不毛な命がけの勝負に挑まされるエホバの証人の子ども

自ら、死神を召喚しているエホバの証人

エホバの証人の輸血拒否による子ども殺害。この悪夢を偶然生き抜いた者の務めとして、日々、ものみの塔を糾弾している。ここまでが昨日の記事で書いた内容。

交通事故や重病などの手術で多数の血液が失われる状態になれば、輸血が必要になる。その際、エホバの証人は輸血を拒否。子どもに対しても同様。

近年では子どもに対して輸血拒否するエホバの証人の親がいれば親権停止、子供に対して輸血ができるのだが、私の子どもの頃はそんな事例はなく、問答無用で殺されるところだった。
※2023/11/20追記、この親権停止措置。非常時には全然間に合わないらしい。交通事故といった超緊急時には、エホバの証人の子どもは親の輸血拒否で命を落とすことが十分にあり得る。

輸血なんて、普通に生活していればなかなか遭遇しないものたけど、エホバの証人をやっていると、輸血を必要とする状況を引き寄せてしまう。「輸血絶対ダメ!その時は死にます」って念じていると、輸血の方から寄ってくる。

私の子どもの頃は、「輸血拒否します」と書かれたカードまで携帯している徹底具合。これは「命捨てます」宣言にも等しい。ここまで暴走して死にたがっているのだから、死神の方から寄ってくる。「輸血しますか?死にますか?」と。

私の元にも、その輸血のピンチがやってきた。川崎事件の数年後。

無輸血に命をかけるという不毛なエホバの証人

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エホバの証人(JW)が幸せな生涯を送ることは決してない

エホバの証人という罪を重ねさせない

昨日までの記事で書いている件。肉親、とくに老齢の親が現役のエホバの証人というケース。ものみの塔の完全マイコントロール下にあって、今さら目ざめられても本人が絶望するだけ。それならば、そのまま脳内お花畑のまま寿命を迎えてくれ、という論調に疑問を呈している。

幸いなことに、現在の私の肉親には現役エホバの証人はいない。今でも親がエホバの証人だったら、マインドコントロール下の親が、神の裁きを受ける方が楽だと思うくらいに、激しく糾弾して絶対に続けさせない。

理論武装でこてんぱに教義を打ち破る。それを四六時中、彼らが伝道して回る情熱を上回る勢いでやる。それをエホバの証人の王国会館の集会所でもやる。本人たちがエホバの証人の集会へ出席を続ける限りは。そのまま集会が継続できないくらいに仲間の信者にもやる。えげつないくらいに。

本人たちが精神病むくらい日夜問わず、言い続ける。どうせエホバの証人続ける限り、いずれは鬱病とかになっちゃうので。

「ラッセルの墓はピラミッド、ラザフォードはアル中、ブルガリアで輸血解禁、国連NGO加盟ってお前らが娼婦じゃん。児童性虐待でそこら中で係争中。統治体の根拠は聖書に出てない。」

「もう勘弁してください」となるまで。それくらい私にとっては実の親がエホバの証人としてカルトに加担し罪を犯しているというのは許しがたい。

なので、私の周囲に現役のエホバの証人はいない。よって完全なる他人事、対岸の火事状態。とはいえ、気持ちが全く分からないでもない。私もエホバの証人親にものみの塔を強要された口なので。

エホバの証人が幸せな生涯を送ることが出来ない理由

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JWの冗談で人生を損なう親を黙殺するのはJW的行動

高齢の親にJWのまま死んでくれというのは、JW的発想

例えば、年とった両親が未だマインドコントロール下の現役のエホバの証人で、「楽園待つわ」状態だったとしたら。

果たして、そのまま寿命を迎えた方が幸せなのか?

エホバの証人の教義では、人は死後、無になり土に帰るとされている。ひどくもっともな論。しかし、そこから一転、正しく清らかなエホバの証人であれば、時が来たら復活し、地上の楽園で永遠の命を得るという設定になっている。

無になり、土に帰ったモノがどうやって復活するっていうの?

こんな話を信じて、人生を棒に振って老後を迎えている。尋常でない愚かさで哀れ。

そのままマインドコントロールされたまま死んでくれた方が、現実に気づき悲嘆する顔を見ずに済む。本人も取り返しのつかない事実を知って絶望せずに済む。ということ。

しかし、この考えは安直で自己中心的。まさにエホバの証人的考え方。

Awake!JW

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偶然、スレスレで生き延びた元エホバの証人2世の子供

エホバの証人の子供のストレス解消法

昨日の記事で、子供の頃に眼瞼痙攣の症状があったと書いた。初期症状だけで回復したのは私自身のストレスに対する耐性が高いからかと思われる。子供の頃も今も、ストレスの解放が得意な体質というか性格。

エホバの証人というカルトを強要される子供として、私の子供時代は過酷な環境にあった。エホバの証人の2世信者が激しいストレスをかわし、息抜きをする方法とは。

小学校の低学年の頃から、親の財布からお金を抜いて、遊びに行ってガチャガチャを回す。これが度々あった。時には3000円とか抜いて豪遊。これでストレスが解放された。

見つかって懲らしめというエホバの証人の体罰を受ける。これは痛いしパンツを脱ぐので屈辱的だけど、罪悪感を抱えたまま見つからないでいるよりはマシ。子供の頃の店舗からの万引きは一度も露見していない分、今でも罪悪感が残っていてスッキリしない。

エホバの証人の集会や布教活動の前に遊びに行って、15分全力でバットを振る。暗くなる直前にひたすら集中して遊ぶ。子供ながらのストレス解消法。

元エホバの証人2世の真夏の記憶

エホバの証人2世の子供のハードスケジュール

エホバの証人2世のサバイバル

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