子供の悲鳴を黙殺するエホバの証人の親を反面教師に

悲鳴をあげるエホバの証人の子供の身体

眼瞼痙攣という病気がある。重症化すると視覚に影響が出て失明状態にまで至る。下まぶたが痙攣しピクピクする初期症状から始まって、上まぶたの痙攣に広がり、最終的には自力で眼が開けられなくなる。

子供の頃の私にもこの眼瞼痙攣の症状があった。この疾患の原因にはストレスも含まれているので、まず間違いなく私がエホバの証人(JW)というカルトの子供だったことが理由。

エホバの証人は米国発祥の自称キリスト系新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会という宗教法人で活動している。我が家は両親揃ってエホバの証人で、一人息子の私も当然のようにエホバの証人というカルトを強制された。いわゆるエホバの証人2世。

エホバの証人の子供には禁止事項が多く、参加できない学校行事がある度に先生に参加拒否の意思表示をしなければならない。これは相当にプレッシャーだった。

学校行事に参加できないときは見学、もしくは別室待機となる。その都度、クラス中から奇異の視線、ときにはからかいの言葉を浴びる。私にはこれが最も辛かった。

そんな禁止行事がある日には、腹痛などで体調が悪くなることがよくあり、それも精神的ストレスが原因。体調を崩せば学校を休めるので、体の方がよく音をあげた。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人の親を反面教師に

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子供が子供でいることをやめさせるカルト、エホバの証人

エホバの証人というカルトから子供を守るのは大人

『同志少女よ、敵を撃て』より。AmazonのAudibleで聴き終わる直前。

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子供でいられなくなった子供たちの無念

市街戦の最中、銃弾の隙を見つけては遊ぶ子供たち。その子供たちが遊ぶのをやめたとき。子供が子供であることをやめるとき。子供が子供でいられなくなるとき。

作中では、子供の子供状態からの早期リタイアを「戦争」が強要している。本ブログのテーマであるエホバの証人2世の場合は、「宗教」。

宗教とか戦争とか重たい普遍的なテーマになってきたが、結局は子供が心身共に健康的な子供のままでいられるか否かは「大人」が握っている。

「戦争」を始めるのは「大人」だし、子供の心を銃弾で射貫くのは「大人」。カルト「宗教」に加入するのも「大人」だし、カルトの狂気で子供を傷つけるのも「大人」。

もうアラフォーの私は「大人」でなければならないし、「大人」であるというのは「子供」たちが「子供」のままでいられるようにする社会的責任がある。そこまで視野を広げずとも、自分の子供たちを守るという義務がある。

子供を深く傷つけるカルト宗教「エホバの証人」を野放しにしないために、このブログは時には過激とも思える表現でエホバの証人を糾弾している。

『同志少女よ、敵を撃て』~本当のことを言えば殺される

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

子供を傷つけるエホバの証人

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21世紀、エホバの証人(JW)は決して減っていない

前年との差1993-2021

ものみの塔というキズの半治癒に30年

昨日の記事で、怒りからくる復讐心で、ものみの塔撲滅という活動を行っていると書いた。エホバの証人脱会後、この心境に至るまで30年弱。14才からアラフォーまで。

失った子供時代の清算、過剰な自意識の削減、洗脳状態からの解放、社会的立場の回復、精神の安寧。これらを揃えるのに30年かかり、それでも怒りは収まらなかった。

自身の心身の保全のため、エホバの証人に関するもの一切を避け続けた30年間。駅前に立っているエホバの証人を見かけたり、車の中からエホバの証人の王国会館を見かけても目を逸らし続けた。

こうでもしないと今の穏やかな日々は無かった。この間、ものみの塔に関するものを見ると激しく心が反応していた。穏やかな日常に「ものみの塔」という影が差すと心が動揺する。暴力的になったり何事にも乱雑な対応したり、日常を的確に過ごせなかった。

とはいえ、30年という時の経過はあらゆるモノを薄めた。わき上がるものみの塔への怒り以外は。

完治せずとも、ものみの塔という人生のキズは半治癒状態。ようやく戦闘準備完了。という所で気付けばエホバの証人は減少中、放っておいてもいずれ組織崩壊するという意見を聞く。

何だか、これからという所でハシゴをはずされた感じで拍子抜けなのだが、エホバの証人とものみの塔が消滅するなら、それはそれで良い。

本当にものみの塔は消えるのか?その点を今日は考察。

エホバの証人の平均伝道者数の推移

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エホバの証人の復讐心は、カルト殲滅の原動力になるか

元エホバの証人2世の復讐心という原動力

『同志少女よ、敵を撃て』より。AmazonのAudibleで聴いている途中。

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復讐すると決めたとき、生きる活力が戻ってきた

復讐の力は生きる希望を与えてくれる

復讐を遂げるという目標によって生きる理由が生じる

復讐心が戦争の原動力になっている。

私が、ものみの塔を倒壊させようと、不毛にも思える活動を続けているのは、復讐のためなのだろうか?とふと考えた。

ものみの塔が存在しようがしまいが、具体的に被害を受けている家族・知人は既にいない。ものみの塔が消滅したところで何かご利益がある訳でもない。

両親との家族を失ったこと。取り返すことのできない無邪気な子供時代。その復讐。この感覚は多少ある。しかし、それを原動力に、生きる糧にという程のエネルギーではない。

それより大きいのは怒りと苛立ち。嫌悪。

誰にも言えない人生の汚点を、よくもオレに残してくれたなと。覚えとけよ。必ず後悔させてやるという思い。これがものみの塔を消滅させたいナンバーワンの原動力。結局は復讐心。

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

『同志少女よ、敵を撃て』~本当のことを言えば殺される

ものみの塔の殲滅だけを人生の目的にしない

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元エホバの証人2世のいる場所~エホバカルトの毒を癒す場所

誰にも頼れないエホバの証人2世

私は生まれながらのエホバの証人2世で、14才のときにエホバの証人を脱会。それ以来、エホバの証人に関する事項の思考・判断・行動はずっと一人。

エホバの証人脱会時も、親との決別を覚悟の上、脱会宣言。その際、誰にも何の相談もしなかった。自分一人で考え、自分一人で決めた。

これは今でも頼もしく、当時中学二年生の自分を誇らしく思うのだが、相談できる親戚の一人や二人はいたような気もする。ただ、誰も信頼できない精神状態だった。誰も信頼できないというのは悲しい。自ら世界を拒絶、閉ざしている。

学校の友人に相談したって何の役にも立たない。生活費出して養ってくれる訳じゃないだろと。しかし、そうじゃない。「お前も辛いんだな」「そんなややこしい家庭環境にいたって、お前とは友達だせ」そう言って貰えるだけで十分助けになった。

しかし、当時の自分はエホバの証人という自身の弱みに注目するあまり、一切の弱みを外に出せない、完璧で強くなければ生きていけないと思い込んでいた。だから、非信者の親戚にも学校の先生にも友達にも、誰に対しても頼るどころかひと言の相談すらできなかった。

親戚や学校の教師から、脱会意志が親に漏れないともいえない。それは避けたかった。でないと親に先回りされて、エホバの証人を完全にやめるかやめないかという白黒選択を曖昧にされた恐れがあった。迅速に完全にエホバの証人をやめるという計画を、曖昧かつ緩やかなものにされるのは避けたかった。

完全にエホバの証人を生活から退けられたのは、一人で極秘裏に単独潜航、いざ宣言したら「急速にエホバの証人全般を切り捨てる」という計画が功を奏したから。

脱会時に下手に周囲に相談しなかったのは、それはそれで良かった可能性もある。

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

エホバというカルトの毒を癒す場

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『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

エホバの証人被害という同じ経験をした集団に対する共感

まだ聴いている途中なのだけど、『同志少女よ、敵を撃て』より。

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主人公がある集団に加わったとき、その集団のメンバーから受け取ったメッセージ。

あなたはここでは何も特別ではない。

ここへ来たあなたは決してもう一人ではない。

仲間意識、皆が同じ経験をしていた。

ここには泣く自分を許してくれる人たちがいる

主人公はこの集団に迎えられ、涙する。

昨年、元エホバの証人というリアルな設定でTwitterを始めた。すると、自分と同じような境遇の人、もっと最悪な境遇の人がざっと数千人以上はいることが分かった。全員がエホバの証人被害者。

生身の人間に接して、こんなにエホバの証人被害者っていたのかと、驚いた。しかし、ちょっと考えれはそりゃそうだと。エホバの証人信者は日本に20万人もいる。潜在的被害者はその数倍にはなる。

Twitterのエホバの証人被害者の中には、深く共感も覚える人もいる一方、何言っているんだかよく分からない奴もいたり。

エホバの証人っぽい暗さやら独りよがりの考えすぎ独善思考が垣間見えたり。まるで、自分の欠点を見ているようで、何とも言い難い気分になるときがある。

本当にヤバい奴もいるらしく、SNSは社会の縮図。特に元エホバの証人なんてのは、程度・期間に差こそあれ終末思想に冒されていたのだから、そりゃヤバい精神状態の奴も紛れ込む。

他人の命・人権の軽視、差別思想、その発言と実行。それにものみの塔お得意の決めつけ型独善思想が乗っかると相当に厄介。まるで自分を見ているよう。

そんなややこしい奴はちょっと勘弁なのだけれど、大きく括って見れば、おおむね共感。

『同志少女よ、敵を撃て』~本当のことを言えば殺される

帰属意識がエホバカルトの毒を癒す

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エホバの証人2世の異常な性欲、私は如何にしてポルノを愛するようになったか

性的に抑圧を受けるエホバの証人

私は生まれながらのエホバの証人2世だった。エホバの証人というのはキリスト教を自称する新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会という宗教法人で活動している。

2世というのは宗教2世被害者のことで、親の宗教を強要された子供のこと。

※今回は大いに性的な話題を含みます。ご注意下さい。

エホバの証人は婚外での性行為やマスターベーションが禁止されている。これは若い2世信者にとっては究極の問題。

性という、至って個人的な領域を誰にも管理される筋合いはない。しかし、そんな正論が一切通じないのがカルト。

とにかくエホバの証人は婚前交渉禁止。マスターベーション禁止。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

特別に強いエホバの証人2世の性欲

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元エホバの証人2世、14才の背教者が『夜明けへの道』になる

元JW2世、14才の背教者の読書感想文

私は生まれながらのエホバの証人2世信者で、14才の秋に自分の意思でエホバの証人を脱会。

その翌年書いた読書感想文が背教者感満載だったのでこの場で紹介したい。

こうして現在、しこしこと反ものみの塔活動をやっている原点は20年以上もさかのぼる。14才の背教者。

この読書感想文は、学校中に配られた文集に載るくらいの賞を貰ったのだが、内容がいかんせん本物の中二病なので、原文ママの掲載は控えたい。恥ずかしくて自分でも読めないので。

読んだ本は、インドの人種差別に対抗して活動した人の話。当人がインドの被差別層の『夜明けへの道』になったのに乗じて、オレも、暗闇でもがく人々の道になってやる!くらいのことを書いた。

JW(エホバの証人)信者の脳内がヤバい理由、悪化の一途

残りわずかな人生の時間を生きる

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エホバの証人のとめどない暴力、決して感謝されない親

虚しいエホバの証人親

エホバの証人の暴力と箸

昨日の記事の続き。体罰でしつけられたエホバの証人2世は、箸を正しく持てるのか?

果たして、箸をちゃんと持てないからと、エホバの証人の親は体罰を加えるのか?箸の持ち方がなっていないからと、手をピシっと叩いたりするのか?

これは大抵のエホバの証人には当てはまらない。子どもが親の言うことをきかなかったり、一般的な悪事を働いたときにだけ、こらしめという暴力は発動する。

ほとんどのエホバの証人家庭では、「どれだけ教えても箸の持ち方が上手にならない」くらいで、こらしめが発動することはない。

例外として、既に常軌を逸して暴力が日常化している親。愛のムチでも何でもなく、暴力を振るうことに依存している暴走状態の親。こんな親だと、箸の持ち方一つで暴力に走ってしまう。

カルトにハマるような人は精神的に未熟だったり、何らかの欠落を埋めようとしている。そんな人がこらしめという名目で暴力を推奨されると、当初は推奨範囲内で行使していた暴力が、そのうちに歯止めがきかなくなる。暴力の虜。

そんな親を持ったエホバの証人2世は、箸の持ち方一つで親に暴力を振るわれたのではないだろうか。

感謝されないエホバの証人の親

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エホバの証人2世被害者は、箸を正しく持てるのか?

エホバの証人2世は箸をきちんと持てるのか?

宗教2世被害者は箸をきちんと持てるのか

「エホバの証人2世って箸を正しく持てますか?」という質問を、ブログ読書さんから頂いた。

某宗教2世被害者の箸の持ち方が酷く、その理由が親が宗教にかかりっきり。代わりに2世信者本人が家族の面倒をみなければならず、箸の持ち方どころではなかった。という被害者本人談をお聞きになったそうで。

この点、エホバの証人はこらしめという体罰で子どもを縛っている。「箸の持ち方も体罰でしつけるので、前述の某宗教2世とは違い、箸をちゃんと持てるのではないか?」という仮説を持たれている様子。

結論から言うと、エホバの証人の2世被害者だから、箸がきちんと持てる持てないというのは無い、と思われる。

その宗教特有の儀式で頻繁に箸を使うというのなら話は別だが、そうでないのなら、この宗教の2世信者だから箸を持てないとか、あの宗教の2世被害者だから、この生活習慣ができないというようなモノは無い。

体面を気にするエホバの証人

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