Amazonプライムビデオ『カルト集団と過激な信仰』

Amazonプライムビデオ『カルト集団と過激な信仰』

犯罪の温床となるエホバの証人組織

Amazonのプライムビデオで『カルト集団と過激な信仰』を視聴。7つのエピソードのうちパート2がエホバの証人。

登場するのは、エホバの証人の教団内で児童性虐待を受け続けたエホバの証人の2世信者。彼女が大人になって教団を告発するという内容。

彼女は幼い頃から児童性虐待を受け続け、教団内で告発するも黙殺される。番組内では、教団内での児童性虐待の組織的隠蔽の事実が明らかにされている。

児童性虐待の隠蔽は氷山の一角。ものみの塔は、教団の体面を守るためたなら組織的な隠蔽工作を辞さない、自浄作用のないカルト。他にも都合の悪いことがあれば、隠蔽するのだろう。

脱会しにくいエホバの証人はカルト

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14才でエホバの証人というカルトを捨てた、私の宿命とは・・・

14才の脱カルト

『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』

元エホバの証人2世信者の脱会者が書いた『ドアの向こうのカルト』。絶版なので読むなら中古で。

作中に、2人の元エホバの証人2世信者が若くしてホストになった、という記述が。彼らには、カルトを強要する親元を抜け出すための方法がそれしかなかった、と書かれている。

あの若さで宗教を捨てるという決意は並大抵のエネルギーではできない

あの若さというのは、作中のホストになった元エホバの証人2世の年齢。18才。幼い頃からものみの塔の洗脳教育を受けて、その宗教を捨てる。それは、自分の根幹を覆すということ。さらに親を裏切るということにも感じられる。

14才でエホバの証人を脱会するエネルギー

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元エホバの証人2世の野外集会の思い出、エホバの証人の料理がマズい理由

結局楽しくない、エホバの証人の野外集会

エホバの証人の野外集会とは・・・

私はエホバの証人2世として、尋常でなく制限のある子ども時代をすごした。半年に1回のエホバの証人の野外集会、たまにある布教活動のあとのレクリエーションが、公式に遊ぶことの許される機会だった。

1980年代のエホバの証人は、信者だけでの遊興のことをリクリエーションだとかレクリエーションという呼び方をしていた。エホバの証人は、起源が米国にある新興宗教なので、端々に英単語が導入される。

学校や地域の行事なとはレクリエーションにはあたらず、使用方法としては不自然な感じ。

エホバの証人は英語の宗教本をただそのままに訳しているので、こんなことになる。

野外集会では、週末の集会がエホバの証人の王国会館という集会所ではなく、言葉通りに野外で行われる。いつもは2時間延々とある集会がダイジェスト版となり、1時間弱、終われば外で食事+遊びとなる。

通常、エホバの証人の週末の集会は「公開講演」+「ものみの塔誌研究」。

この公開講演が厄介で、45分※もの間、男性信者の単独講演がされる。暇で暇で仕方がない。この「公開講演」が野外集会だと消滅。毎週野外集会だったら良かったのにと常々思っていた。
※2024年1月追記、現在の公開講演は30分

また、「ものみの塔誌研究」は討議形式で、通常は節の朗読、質疑応答の順で進む。しかし、野外集会では朗読部分が省かれ、質問⇒回答でどんどん進んでいく。これが終われば遊び+昼食。午後の布教活動にも出かけず、そのまま遊べる。

野外集会は大きめの公園や河川敷などで行われるので、いつもと違いバケーション感がある。子どもだった私ははしゃぎすぎて、親に怒られ後味の悪いものになったり、簡略版のものみの塔討議の間、遊びたいのを我慢できず怒られたりしたものだった。

エホバの証人の集会とは?日程・曜日・服装などまとめ

エホバの証人の料理がマズい理由 “元エホバの証人2世の野外集会の思い出、エホバの証人の料理がマズい理由” の続きを読む


厳格に管理されるエホバの証人の子ども、サバイバルしたのは奇跡

偶然、サバイバルしたエホバの証人2世

禁止事項の多い、エホバの証人の子ども

私が子どもの頃、何をするにしても両親の許可が必要だった。両親の許可と言っても、両親自身の裁量ではなく、ものみの塔の教理によって判断された。

わが家は、エホバの証人というカルト宗教の完全マインドコントロール下にあった。

小学生くらいの年齢になると、エホバの証人の2世信者は、ものみの塔の教理を頭に叩き込まれる。

そのため、サバイバルゲームがしたいだとか、友達と初詣に行きたいなどと言い出すと、親にこっぴどく怒られる。明らかにものみの塔の教理に反しているから。親に聞くまでもなく、自分でNGと判断してしかるべきということ。

エホバの証人は戦い・戦闘系が一切禁止。他宗教に関わることも厳禁。クリスマスだとかバレンタインといった、楽しい行事のすべてが禁止だった。

微妙な判断が必要なことについて、両親に許可を求めることになる。地域の行事であるキャンプに行きたいとか、このテレビ番組が見たい、そういったこと。

学校外の任意参加の行事について、私の親からは基本的に許可が出なかった。両親は、この世の人々との交流は不必要で悪影響をもたらすと思い込んでいた。これは、ものみの塔の指導の影響。

そのため、任意参加の行事への参加は、エホバの証人の教理に反していなくても、ほとんど認められなかった。

エホバの証人の親によって禁止されるテレビ・音楽

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この世を彷徨うエホバの証人たち、人生は今からでもやり直せる

人生は、今ここから

元エホバの証人の生き方とは

私は、20代半ばで会社を辞めてパチプロになるという決断をした。真面目な会社員であるということは、私の主義に反すると考えたから。私の主義とは反ものみの塔、非エホバ的生き方。

ものみの塔のせいで、私は一般的な子ども時代を送ることができなかった。さらに家族をも失った。

この頃の私は、ものみの塔に対する復讐として、エホバの証人を全否定した生き方をしなければならないと考えていた。

エホバの証人のように真面目であってはならない。不真面目で自堕落な生き方をしなければならない。そうしつつ人生をエンジョイすることが、ものみの塔に対する復讐だと勘違いしていた。

この勘違いと正しい復讐の方法は前の記事

元エホバの証人に欠如する、辛抱強さ

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20世紀末、ハルマゲドンに怯える元エホバの証人2世

世紀末を元エホバの証人2世はどう過ごしたのか?

エホバの証人の両親が、急に放任主義になった理由

私は中学2年生の秋にエホバの証人をやめた。そして高校へ進学、気ままな生活を送る。高校2年の頃から、喫煙、飲酒を始め、家にも帰らないような生活を始めた。

その頃は、両親もまだエホバの証人だったが、特に厳しく言われるようなことはなかった。

両親にしてみれば、私がエホバの証人をやめてしまえば、それ以降どこまで道を踏みはずしても同じことだった。どうせハルマゲドンというこの世の終わりで死に別れる。それなら、息子の生活態度がどうだろうと関係ない。

完全な放任だった。手に負えない、というのもあったのかも知れない。一番は、両親はエホバの証人基準しか持ち得なかったので、どうして良いのか分からなかったのだろう。

エホバの証人の脳裏には、ハルマゲドンが常に焼き付いている。神が下す裁きの火による、この世の終わりがハルマゲドン。この最終戦争を生き残れるのは、エホバの証人だけという設定になっている。

エホバの証人は、ハルマゲドンへの恐怖により、精力的に宗教活動を行っている。

エホバの証人基準で不適切であれば、ハルマゲドンで滅ぼされる。両親にしてみれば、私がハルマゲドンで死ぬのなら、現在の世界で喫煙していようが、警察に捕まろうが同じことだった。

私の両親は、親として不適切だった。その理由はエホバの証人だったから。ハルマゲドンという妄想に囚われ、子どもの教育を放棄。

元エホバの証人2世に残された時間

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エホバの証人2世が脱会宣言をしたあとの注意点3つ

エホバの証人脱会宣言の後

エホバの証人脱会宣言をしたあとで気をつけること3つ

  1. 絶対折れない、譲歩しない
  2. 教理の論争はしない
  3. 家族関係はあきらめる

私は一人っ子で、両親との3人家族だった。両親は狂信的なエホバの証人で、私は当然のように生まれながらのエホバの証人の2世信者だった。

エホバの証人をやめる宣言をしたのが14才の秋。とある晩のエホバの証人の集会に出かける直前のこと。

両親は集会に出かけ、私はエホバの証人の集会に行かなくて良い、初めての自由な夜を満喫していた。両親が帰ってくれば、「集会にもう行かない」宣言をしたことを、問いただされるのは目に見えている。

この日の記事は
エホバの証人2世が脱会宣言する際の3つの極意(親に対しての告げ方)

集会から帰ってきた両親は、予想外に穏やかな態度だった。2時間の集会中にクールダウンされた様子。感情的にくれば、感情的に返すことになり、そのまま決裂も覚悟の上だったのだが。

何事もなかったような親に対して、私は徹底抗戦。

注意点1.絶対に譲歩してはいけない

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エホバの証人2世が脱会宣言する際の3つの極意(親に対しての告げ方)

脱エホバの証人宣言の後、清々しい夜空が待っている

エホバの証人の子どもが脱会宣言をするときの3つの極意

私のエホバの証人脱会宣言が成功したポイントは3つ。

  1. エホバの証人活動に身が入っていないアピールを、事前にしておく
  2. 集会の前に宣言する
  3. その集会で、親に割り当てがある

私の過去の経験を振り返りながら、上記3つの極意を紹介。

エホバの証人2世の停滞

エホバの証人をやめたくてやめたくて仕方がなかった14才の秋。

生まれながらにエホバの証人2世だった私は、親の期待を裏切り、両親を傷つけることが怖かった。そのため、「エホバの証人をやめる」と両親に告げることがなかなかできなかった。その悶々とした日々が、私の人生で一番辛い時期だった。

親を傷つけることを考え、脱会できないまますごすうち、「エホバの証人をやめる」宣言をする瞬間を、比喩的な夢にまで見た。

この夢の話は、両親を裏切ることに心を痛めるエホバの証人2世

行くべき道は決まっているのに進めない。この頃はとても苦しかった。エホバの証人の親には、子どもたちにこんな思いをさせる権利はない。

エホバの証人脱会宣言をした清々しい夜

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親の限定的愛情に縛られる、エホバの証人2世の子ども

悩み続けるエホバの証人の子ども

笑えないエホバの証人2世

私は、生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。

エホバの証人というのは、自称キリスト教系の新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会が組織の維持・運営を行っている。2世というのは宗教2世被害者のこと。親の1世信者によって宗教を強制された子どものこと。

私は、小学生の終わり頃にはエホバの証人をやめたいと思い始めた。そして、中学1年生のときに、エホバの証人を早々にやめることを決断する。1990年代前半のこと。

この頃の私はサッカーに熱中していて、エホバの証人活動に奪われる自分の時間を、自分の好きなサッカーに使いたかった。

一方、幼い頃からのエホバの証人の洗脳で、私は本当にハルマゲドンという世界の終わりがくると信じていた。

そして、私はものみの塔によって禁じられているマスターベーションをやめることができなかった。その罰で、ハルマゲドンで自分の身体が焼き尽くされる覚悟もできていた。

どうせ残り短い生であるならば、好きなサッカーを思いっきりやりたかった。

エホバの証人をやめるという決断をしてから、実行に移すまで1年近く時間を要した。この時期が私の人生の中で一番辛い時期だった

この15年後、私は無茶苦茶な生活をしていて、借金だらけの上、自動車免許取り消しになったりと人生絶賛迷子中。頭髪に円形脱毛症ができるほどのストレスだった。

それでも、エホバの証人をやめられずにいた14才の頃に比べれば、格段に楽しかった。何かちょっとでも面白いことがあれば、笑うことができた。14才の私は、一瞬たりとも笑うことのできない闇の中にいた。

エホバの証人一家の根底は嘘、エホバの証人家族が機能不全に陥る理由

両親の限定的愛情に縛られる、エホバの証人2世

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いつかエホバの証人をやめるという2世信者の希望、両親という足かせ

いつかエホバの証人をやめるという希望

エホバの証人2世の唯一の希望とは・・・

私は物心ついた頃からエホバの証人の2世信者だった。10才を過ぎた頃には、エホバの証人をやめたいという漠然とした願いを抱き始めた。

エホバの証人の禁止事項の多い戒律と、狂信的な両親から自由になりたかった。また、エホバの証人の集会や布教活動に自分の時間を割かれるのが、我慢ならなかった。

独立して親元を出れば自由になれるし、それまでの辛抱だと考えていた。1人で暮らすようになれば、何でもやりたい放題。

エホバの証人の王国会館に通うこと、布教活動、エホバの証人そのものも、親元を離れればやめられるだろうと思っていた。10才を過ぎた頃の私は、「いつかエホバの証人をやめる」という希望だけを頼りに生きていた。

しかし、この脱エホバの時期を大きく前倒しにするきっかけができた。14才から16才にかけて、私はサッカーに熱中する。

サッカーが、エホバの証人を今すぐにやめるという決意の元になった。王国会館にグダグダ通っている時間があれば、サッカーをしたかった。

エホバの証人2世、両親の愛情という足かせ

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