カルト宗教被害者の「逆恨み」
昨日までの記事でカルト宗教2世被害者のすべきことは、まずは自己の生還、楽しく生きている姿を見せること、最低でも「やめて良かったカルト宗教」の境地に至ることと書いた。
我々のすべきことは、暴力というその場限りの安直な復讐では決してない。その暴挙に向けるエネルギーを自身の生還に使い、それでもカルトに対してわだかまりが残ったら、というのが本日の話。
今回の安倍元総理銃撃事件の容疑者同様、私にも、ものみの塔を恨む気持ちは強くある。限りなく大きくシナイ山くらい。紅海よりも深い。しかしながら、その莫大な恨みは、あくまで私怨であり、傍から見れば「逆恨み」と言われちゃう。
カルトとは言え、正式に認可を受けた宗教法人であり、拉致とかテロとかはどちらのキョウカイも恐らくはやっていない訳で。
多額の寄付や時間を搾取されたのは、「お前の親が愚かだっただけだろ」と言われれば、ぐうの音もでない。こうなると、終末論とかで恐怖を煽り騙されていたとはいえ、カルト被害者の恨みは、しょせんは「逆恨み」。
カルト宗教”2世”被害者の場合も、「逆恨み」
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