『ドアの向こうのカルト』~ものみの塔によって仕組まれた保険付きの予言

絶対に来ないハルマゲドン

ものみの塔協会によって仕組まれた予言

ものみの塔協会の予言解釈は周到に仕組まれている。

『ドアの向こうのカルト』より

終わりの日のしるしには戦争が多くなる

人々が「平和だ、安全だ」と言いはじめて油断している時に、ハルマゲドンが来る

戦争、平和、どっちに転んでも預言が外れようがない仕組みになっている。こうして証人たちは全てに当たる預言に対して信仰を深めていく

絶対に当たらないハルマゲドンが来るという予言。しかも、ものみの塔にとって都合の良いことに、ハルマゲドンが来ないことの証明はできない。

そうしている間にもエホバの証人たちは、ハルマゲドンが来ないままに寿命を迎えて死ぬ。楽園で復活することを信じ切って。人類は復活などしないのだが、これも死んだ本人にしか分からないことで、生きている側からは証明しようがない。

このように、ものみの塔の予言解釈はうまく仕組まれている。

エホバの証人の14万4000人の教理の矛盾

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エホバの証人という宗教の正体、情報統制とマインドコントロール教育

ものみの塔の正体

カルト宗教、エホバの証人

エホバの証人とは、米国の宗教家チャールズ・テイズ・ラッセルが19世紀に始めた聖書研究を起源とする宗教団体。宗教と言うにはあまりにも新しすぎる。キリスト教系の怪しげな新興宗教というのが正しい。

全世界に伝道者と称される信者が800万人、日本国内には20万人ほど存在する。宗教法人格としてものみの塔聖書冊子協会(通称ものみの塔協会)という名称などが世界各地で使用されている。

エホバの証人は独特の教理への執着が強いことから、カルトやセクトに指定されている国もある。輸血拒否や兵役拒否、体罰を推進しているため児童虐待、信者による児童への性的虐待などが問題化している。

親がエホバの証人であれば、子どもたちはもれなくこのカルトの被害者となる。エホバの証人には懲らしめと言われる体罰が推奨されているため、エホバの証人の子どもたちは体罰による物理的な虐待を受けて成長する。

エホバの証人は、「血を食べてはいけない」という聖書の記述を歪曲し、輸血を拒否する。輸血を拒否したことによって、適切な医療処置が受けられず死亡した子どもまで存在する。

児童に対する性的虐待は各国で裁判が開かれ、米国ではものみの塔側の有罪が確定している。また、オーストラリアでも児童に対する性的虐待が隠蔽されていたことが発覚。これらは氷山の一角に過ぎない。

エホバの証人による世界中の児童性虐待

ものみの塔協会の嘘と隠蔽

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元エホバの証人2世の野外集会の思い出、エホバの証人の料理がマズい理由

結局楽しくない、エホバの証人の野外集会

エホバの証人の野外集会とは・・・

私はエホバの証人2世として、尋常でなく制限のある子ども時代をすごした。半年に1回のエホバの証人の野外集会、たまにある布教活動のあとのレクリエーションが、公式に遊ぶことの許される機会だった。

1980年代のエホバの証人は、信者だけでの遊興のことをリクリエーションだとかレクリエーションという呼び方をしていた。エホバの証人は、起源が米国にある新興宗教なので、端々に英単語が導入される。

学校や地域の行事なとはレクリエーションにはあたらず、使用方法としては不自然な感じ。

エホバの証人は英語の宗教本をただそのままに訳しているので、こんなことになる。

野外集会では、週末の集会がエホバの証人の王国会館という集会所ではなく、言葉通りに野外で行われる。いつもは2時間延々とある集会がダイジェスト版となり、1時間弱、終われば外で食事+遊びとなる。

通常、エホバの証人の週末の集会は「公開講演」+「ものみの塔誌研究」。

この公開講演が厄介で、45分※もの間、男性信者の単独講演がされる。暇で暇で仕方がない。この「公開講演」が野外集会だと消滅。毎週野外集会だったら良かったのにと常々思っていた。
※2024年1月追記、現在の公開講演は30分

また、「ものみの塔誌研究」は討議形式で、通常は節の朗読、質疑応答の順で進む。しかし、野外集会では朗読部分が省かれ、質問⇒回答でどんどん進んでいく。これが終われば遊び+昼食。午後の布教活動にも出かけず、そのまま遊べる。

野外集会は大きめの公園や河川敷などで行われるので、いつもと違いバケーション感がある。子どもだった私ははしゃぎすぎて、親に怒られ後味の悪いものになったり、簡略版のものみの塔討議の間、遊びたいのを我慢できず怒られたりしたものだった。

エホバの証人の集会とは?日程・曜日・服装などまとめ

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エホバの証人が操作するwikipedia、論理飛躍からの退場

エホバの証人が操作するwikipedia

エホバの証人的な論理飛躍がwikipediaに

エホバの証人のwikipediaに「マインドコントロールしていない」とか、「現在は性的児童虐待があった場合は当局に協力している」とか一方的な記述があったので削除した。

詳しくはエホバの証人が書き換えているwikipedia

すると、とある人物からメッセージで警告みたいなモノが送られてきて、私が削除した部分を復元された。

私がその部分を再度削除すると、さらに記述の復元+追記がされる。繰り返しの警告で「非中立的、一方的な意見の記載を避けろ」と送付されてくる。

当然また削除したのだが、追記された記述が面白かったのでここに掲載しておく。「エホバの証人のマインドコントロール問題」の項目で以下の追加がされた。

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勘違いエホバの証人から謎の警告、「三位一体」のwikipedia

エホバの証人と三位一体

エホバの証人から受けた警告

エホバの証人のwikipediaのページで、児童への性的虐待やマインドコントロールの記述を正しく訂正していたら、警告を受けた。

警告の内容は

「あなたは自分の信念あるいは立場に基づいて偏見的見方を広めようとしています・・・非中立的、一方的な意見の記載を避けてください」とのこと。

wikipediaを、都合よく書き換えることに必死なエホバの証人からの警告

警告と言われると何だが恐いのだが、私の信念に基づいて、再度wikipediaの記事を正しい状態に戻しておいた。

というか、「警告」とか偉そうに言ってくるの、どれだけ盛大な勘違い野郎なんだよ。いいかげんに「目ざめよ!」と言ってやりたい。

訂正した内容はこの記事⇒エホバの証人が書き換えているwikipedia

マインドコントロールの記述で、「ものみの塔協会はマインドコントロールしていないという意見がある」という個人的意見を、消しても消しても追記してくるので、今回も消しておく。

エホバの証人と「三位一体」のwikipedia

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エホバの証人はかつて十字架を使い、現在はものみの塔という偶像を崇拝している

エホバの証人は十字架の代わりにものみの塔を崇拝している

十字架を否定するエホバの証人

エホバの証人(通称JW)は、ものみの塔聖書冊子協会を運営主体とするキリスト教系の新興宗教。自称キリスト教なのに、エホバの証人は十字架を否定している。

キリストが吊るされたのは十字架ではなく、一本物の杭で、両手を重ねて一緒に釘で貫かれ、磔刑にされたと主張している。

何の証拠や根拠があるのか不明なのだが、ものみの塔はそう主張し、十字架を教団の建物やアクセサリに用いること、信仰の対象とすることを否定している。

この根拠をエホバの証人の公式ページで調べてみたのだが、ものみの塔の言い分が良く分からない。読みにくい回りくどい書き方で、写本の語源がどうのこうのと書いてあるだけ。要するに、

ものみの塔はキリストが死んだのは十字架ではないと信じたいだけ。主張しているだけで無証拠。

一般キリスト教との違い出すための演出。それは異端であり、カルト化の入り口。特色を出したいがために行き過ぎたのが、信者の命をもてあそぶ輸血拒否の教理。

十字架で死んでないと主張したいなら主張すれば良いだけ。信者に十字架の使用を禁じたり、十字架の使用宗派を否定したり、無根拠な思い込みでそこまでする必要はない。そもそも、

キリストが磔刑にされたのが十字架だろうとただの杭だろうと、どうでも良い。些細なことにこだわる必要はない今となっては十字架か十字架でなかったかの確証は取れない。

かつて、ものみの塔誌の表紙に十字架が描かれていた

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エホバの証人が、wikipediaをものみの塔に都合良く書き換えている

エホバの証人によるwikipedia書き換え

エホバの証人によるウィキペディアの書き換え

エホバの証人のwikipedia。昨日の記事で、バビロン捕囚について調べたのをきっかけに、他にも調べてみる。

wikipediaは、エホバの証人によって、ものみの塔に都合の良いように変更されている箇所がありそうだ、と睨んだため。

wikipediaは誰でも変更できるので、エホバの証人によって書き換えられた部分を正しく直して周る。

まず、「エホバの証人」のページ。
エホバの証人のwikipedia

とりあえず最初の方で、エホバの証人は「ボランティア団体」となっていたので、「宗教法人」に訂正。本当は「カルト教団」にしたいところなのだが・・・。

wikipedia「エホバの証人」の項目は、至るところでものみの塔に都合良く変更されている。

エホバの証人の性的児童虐待

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エホバの証人の1914年の教理が間違っている理由

バビロン捕囚607年の嘘

ものみの塔が主張する、バビロン捕囚607年がそもそもの間違い

エホバの証人の教理では、1914年にこの世の「終わりの時」が始まったとされている。1914年にキリストが天で即位し、悪魔サタン一派が地上に追放された。そして、間もなくハルマゲドンというこの世の事物の体制の終わりが到来する、とされている。

ものみの塔の教理では、元々1914年にハルマゲドンが起こることになっていたのだが、当然そんなことは起こらなかった。そこで、ものみの塔は予言解釈を変更。1914年「ハルマゲドン」から「キリスト即位+終わりの時の始まり」へとこじつけ変更。

1914年という年は、エホバの証人にとって重要な年代。1914年に終わりの時が始まり、1919年にエホバの証人が正しいクリスチャンだと神により選別された設定にされているから。

1914年の教理の大筋は以下。

エルサレム崩壊(西暦前六〇七年)⇒

異邦人の時(七つの時)(二五二〇年)⇒

終わりの時(西暦一九一四年)

『ドアの向こうのカルト』より

この本の著者も指摘しているのだが、2520年の計算そのものがアクロバティック。聖書のそこら中から引っ張ってきた飛躍とこじつけ。それでも、聖書を次から次へと開いて説明されると納得してしまう向きもある、と著者は書いている。

しかし、そもそものエルサレム崩壊が西暦前607年ではない。エルサレム崩壊のバビロン捕囚が始まったのが607年だと主張しているのは、エホバの証人だけ。考古学的には西暦前597年とか587年が正。

このため、2520年とかどうでも良くて、出だしの607年が間違っているので、1914年が終わりの日の始まりという、ものみの塔の教理そのものがデタラメ

1914年の嘘と1995年の冗談

バビロン捕囚のwikipedia

wikipediaでバビロン捕囚について調べてみると、面白いことを発見した。以下の記事。

wikipediaのバビロン捕囚

私がここを見た時、バビロン捕囚の始まりは607年と書かれていた。変更の履歴には、

587年の表記をあえて607年に書きなおした履歴があった。エホバの証人の誰かが書きなおしている

ものみの塔の新世界訳聖書と同じ。都合の悪いことは捏造して書き換えてしまう。

このwikipediaのバビロン捕囚の記事は、私がきっちり607年から587年に戻しておいた。

ものみの塔の起死回生の打開策はエルサレム陥落BC607年をBC587年だと認めること


カルトの見極め方と、カルトに騙されない方法とは・・・

カルトの特徴とは・・・

カルトの見極め方

自分たちと競合する集団を完全否定している組織があれば、それはカルト。外部を批判し、攻撃することで内にこもる。そして外部からの情報を遮断することで内部の人間をマインドコントロールする。

その集団の価値観こそが全てであり、他のモノはすべてまやかしであるとマインドコントロールする。その集団の一体感に心地よさを感じると、外部情報を制限され、自身の属する集団の異常さに気づけなくなる。

親の愛情に飢えていたり、精神的に問題を抱えている人は、カルトの罠にはまりやすい。自分自身の欠落を埋めてくれる気がするカルトの一体感に抱かれて、騙されてしまう。

カルトに騙されない方法

カルトに騙されない方法がある。複数の組織に属すること。複数組織への在籍認めない排他的な組織はカルト。そんな組織からはすぐに逃げ出そう。

会社と地域、子どもの学校といった複数のコミュニティに属する。それにプラスして、何かの宗教団体に属したければ属せばいい。私はエホバの証人というカルトで懲りているので、宗教はまっぴらだが。

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子育てを間違った、エホバの証人のダメ親のやり直し方

エホバの証人親のやり直し方

エホバの証人親の間違った教育方針

私の両親は、ものみの塔協会の言うとおりに私を育てていた。そして、その子育てが、完全に絶対に間違いのない方法だと信じ切っていた。理由は、ものみの塔のマインドコントロール下にあったから。

両親は、エホバの証人でない親戚やクラスメイトの親について、あからさまに批判することがあった。判断基準は、ものみの塔の指導する方針にのっとっているかいないか。たったそれだけ。

現在の私が、実際に育児をしていて考えるのは、子育てに正解などないということ。子どもにとってそれぞれ適切な手段があるし、親の経済・精神状態にもよる。逆に、

何も考えず、ものみの塔の言うとおりに子育てしていれば大丈夫、というのは軽率。安易に安心できて楽なので、マインドコントロールされている信者はこの状態を心地よく感じる

エホバの証人の鞭という体罰は、有害でしかない

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