14才の決別と、「エホバの証人」という救いのない宗教

14才の決別

14才、エホバの証人との決別

2度目のお問い合わせを頂きました。私と同じような境遇だったという方からです。メッセージを頂いた方にはお礼を申し上げます。ありがとうございました。コメントやメッセージ、批判悪口でも大歓迎です。

その方のメッセージによると、私と同じような年齢でエホバの証人をやめたそうです。頂いたメッセージの中に、「決別」という言葉がありました。「きっぱりと別れること」という意味です。

14才だとか15才になると、エホバの証人である両親との「決別」というモノが視野に入って来ます。別れる対象がカルトという完全悪なら良い言葉です。

私も、「もう集会に行かない」と両親に告げた14才の夜以来、エホバの証人と完全に決別しています。あの夜から20年以上経ち、やっと過去を掘り起こせるようになりました。そこで、逆にものみの塔側に一矢報いようと、この活動を始めました。

エホバの証人という救いのない宗教

“14才の決別と、「エホバの証人」という救いのない宗教” の続きを読む


元エホバの証人2世の高校デビューと、過去のリークへの対処法

激しく楽しく生きていれば、過去のリークなど問題にならない

元エホバの証人2世の高校デビュー

私は、ほぼ生まれながらにエホバの証人の2世信者として育てられた。14才になる年に自分の意志でエホバの証人をやめた。

私がエホバの証人をやめる14才以前の友達・知人というのは、現在の私には一切存在しない。エホバの証人の2世信者だった暗い過去を思い出すので、当時のクラスメイトの顔は今でも見たくない。

中学生までの知り合いには、私が変わり者のエホバの証人だったことが知れ渡っている。学校の給食のときには合掌しないし、クリスマス会にも参加しない。

週末になると妙にかしこまった格好でボランティア活動と称して家にやってくる。ものみの塔の布教活動のため。随分と危険な奴だと認識されていたはず。自然に、中学校以前の友人・知人との交流は廃れていった。

エホバの証人をやめた後、私にとって幸運だったのは、家からかなり離れた高校へ進学したこと。いわゆる高校デビュー。

いろいろと理由をつけて遠方の高校を選んだのだが、心の片隅には、過去の自分を誰も知らない環境でやり直したい、という思いがあった。

そして、さらなる幸運なことは、30才を超えた今でも交流がある友人たちと、高校在学中に出会えたこと。

元エホバの証人2世にやっとできた友人

“元エホバの証人2世の高校デビューと、過去のリークへの対処法” の続きを読む


遅効性のエホバという猛毒をまき散らすものみの塔協会

まずは検証的に考える

危険なエホバの証人というカルト

エホバの証人やものみの塔協会は危険な存在。生半可な気持ちでエホバの証人に関わると大怪我をする。エホバの証人は、本人たちも気づかない間に猛毒を撒き散らしている危険な存在。

エホバという猛毒は即効性がないものの、いつの間にか体全体を蝕み致死量に到達する。

ものみの塔の猛毒が体中に巡ると、自分で何かを考え、意志決定することができなくなる。全ての意思決定を他者に委ねることになる

それは、主にはものみの塔という偶像だが、他には親や配偶者、政府や教師であったりと様々。何かに依存し、自由意志が失われ、意思決定できなくなる。

エホバの証人に関わっていると、気づかない間に身動きが取れなくなり、もはや手遅れ。これがマインドコントロールされるということ。本人が気づかない知らない間に、本人の望まぬ方向へ思考・思想がねじ曲げられる。

不健康なエホバの証人に関わると自身まで猛毒に冒される

“遅効性のエホバという猛毒をまき散らすものみの塔協会” の続きを読む


エホバの証人の同級生、エホバという猛毒を媒介させる子供

エホバの証人の同級生

辛く悲しいエホバの証人の神権家族

私は生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。エホバの証人というのは、米国生まれの自称キリスト教系の新興宗教。2世というのは、宗教2世信者。親の宗教を押し付けられた子どものこと。

私の家庭は、エホバの証人用語でいうところの神権家族だった。両親ともにバプテスマという儀式を受けた正式なエホバの証人。その子どもたちは、信教の自由を保障されることなく、当然のようにエホバの証人2世として育てられる。

片親と子どもだけがバプテスマを受けていても、もう片方の親が信者でない場合は神権家族には該当しない。神権家族で父が長老だったので、私の会衆内での立場は、子どもながらに優遇され一目置かれていた。

中学生のとき、同級生のエホバの証人2世が私より先にバプテスマを受けた。両親は口には出さなかったものの、私にも早くバプテスマを受けて欲しいという望みがあった。両親は、その同級生の親のことを羨んでいた。

しかし中学生の私は、いかにして早くエホバの証人をやめるかということを考えていた。そのため、両親からのバプテスマ希望をプレッシャーとしては感じていなかった。しかし、

親の期待や希望に沿えないということは、10代の私にとって辛く悲しいことだった。

エホバの証人をやめて全ての人間関係をリセットする

エホバの証人の子ども、エホバという猛毒の媒介役

“エホバの証人の同級生、エホバという猛毒を媒介させる子供” の続きを読む


エホバの証人2世のできなかったこと、共感と本音トーク

エホバの証人2世、本音の友人はいるか

エホバの証人2世の幼なじみ

私はほとんど生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。幼稚園や保育園といった幼児教育は受けず、母にエホバの証人の布教活動に連れ回される日々。

幼なじみと言えば、同じ境遇にあるエホバの証人2世だけ。その中でも一番仲の良かったのはサツキ君というエホバの証人2世の子どもだった。

私は小学生の途中で田舎に引っ越しているので、エホバの証人2世の幼なじみもいなくなってしまった。しかし、引っ越した後でもサツキ君を始めとする以前のエホバの証人の子どもたちの近況は何となく伝わってきていた。

そして時がたち、私は14才になる年に自分の意志でエホバの証人をやめる。幼なじみのサツキ君も、似たような時期にエホバの証人をやめたと噂で聞く。

サツキ君と私の2人で相談してエホバの証人をやめるということも考えられなくはなかった。しかし、そのタッグを組むにしては、我々の住む場所の距離は物理的に離れすぎていた。

私の家庭は両親がものみの塔に献身していて、父は長老というポジションに就いていた。母も狂信的な正規開拓奉仕者という立場。

対して、サツキ君の家は、父親がエホバの証人に対しては協力的ではあるものの、献身まではしていない状況。我々の家庭環境は異なっていた。

結局、私は自分一人で考え、熱心なエホバの証人だった両親と決別。エホバの証人をやめる。全て単独行動。

近くにいる同年代のエホバの証人2世たちには一切相談しなかった。相談すれば、すぐに親を通じて、私の計画が両親に密告されるのが目に見えていたから。

なにごとも本音で話せないエホバの証人

“エホバの証人2世のできなかったこと、共感と本音トーク” の続きを読む


失われたエホバの証人2世の友人関係、唯一の幼なじみなのに

唯一の幼なじみなのに・・・

エホバの証人2世の幼なじみ

私は生まれながらのエホバの証人2世だった。エホバの証人というのは自称キリスト教系の新興宗教。2世というのは2世信者のことで、親の信仰を強要される子どものこと。

私の家は両親ともに熱心なエホバの証人で、教団用語で言うといわゆる神権家族だった。神権家族というのは、家族全員がエホバの証人という筋金入りのカルト一家。

エホバの証人2世の友人でサツキ君という子がいた。お互いに一人っ子で、幼なじみと言っても良い関係だった。サツキ君とはエホバの証人の王国会館で開かれる集会のときに週3回、それ以外にも、お互いの母親が会うときに連れられて一緒に遊ぶことがあった。

エホバの証人2世の子どもは、信者ではない子どもと遊ぶことが勧められてない。「学校の友達と遊びに行く」と言うと、両親は露骨に嫌な顔をした。エホバの証人は、非信者のことを「世の人」と呼び、交友を忌避する。

そのため、エホバの証人は「交わり」と称して2世の子ども同士を遊ばせたり、親もお互いに食事に呼びあったりということがある。

そういった「交わり」の結果、私とサツキ君は仲が良かった。お互いに一人っ子で兄弟がいなかったことも関係していた。エホバの証人2世として教団外に友達を作りづらい状態にあったことも大きな要因。

エホバの証人2世の悪習、かくあるべきという論争癖

痛みで一日を終える幼児、帰宅直後に子供を叩かなければならない父親

失われるエホバの証人2世の友人関係

“失われたエホバの証人2世の友人関係、唯一の幼なじみなのに” の続きを読む


エホバの証人親の子どもへの教育、すべて無意味な理由

すべてが無に帰するエホバの証人の親子関係

エホバの証人2世に”ふさわしい”遊びとは

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。両親は狂信的な信者で、私は厳格にエホバの証人の教理を適用されて育てられた。

「ちょっと外に遊びに行きたい」と言っても、「今日はエホバの証人の集会があるからダメ」と制止される。一緒に遊ぶ友達がエホバの証人でない場合は、両親は良い顔をしない。エホバの証人の基準で”ふさわしくない”とされた場所や遊びもNG。

このふさわしい、ふさわしくないは、一応エホバの証人の基準を前提にしているのだが、親の主観が多いに入る。

エホバの証人の子どもは”模範的”でなければならないとされている。エホバの証人の規範だけでなく、世間的に見てもお利口でなければならない。

エホバの証人は、信者でない人々を”この世の人々”と呼んで、見下している。その”この世”の規範にすら外れているなんてことは、エホバの証人的には有り得ない。

エホバの証人の子どもは、エホバの証人基準を建前にした親の主観や、一般的な基準を圧倒的に引き上げたレベルで自由を制限される。それがエホバの証人の子どもにとっての、”ふさわしい”こととなる。

全てが無に帰するエホバの証人の親の教育

“エホバの証人親の子どもへの教育、すべて無意味な理由” の続きを読む


エホバの証人の長老が暴力を振るう、3つの原因とは?

エホバの証人の長老が暴力的になる理由とは?

エホバの証人の長老の暴力

私はほとんど生まれながらにしてエホバの証人2世だった。両親とも狂信的なエホバの証人で、子どもの頃から、ものみの塔の教理を厳格に押し付けられて成長した。

さらに、私の父は、エホバの証人の会衆の長老だった。

会衆とはエホバの証人のコミュニティ単位のことで成員100名程度。長老はその中から数人が任命される。エホバの証人の支店長のようなモノ。私の父は、その長老の中でも「主宰監督」と言われる、会衆の責任者だった。

私は、その父に何度か物を投げつけられたことがあった。小学生の高学年から中学生2年生の間、私がエホバの証人をやめる頃の話。

エホバの証人の懲らしめと呼ばれる体罰は、ケガをしないようにお尻をベルトや素手で叩く。これは組織推奨の教育手段。組織的にこんな児童虐待が行われているだけでも、エホバの証人は異常。

しかし、私の父はもっと常軌を逸していた。子どもの私に対して固い本や食器を投げつけてくるのだった。

まさか、本当にぶつけようとして投げてきたわけではないとは思う。だが、私の顔の真横をかすめた固い物体が、部屋の壁に大きな穴を開けたことがあった。私が避けずにいれば、ケガは免れなかった。

エホバの証人の長老が暴力を振るう原因3つ

“エホバの証人の長老が暴力を振るう、3つの原因とは?” の続きを読む


エホバの証人が見ることを許されないテレビ、その理由とは?

TV禁止のエホバの証人

エホバの証人2世の育つ毒家庭

私は生まれながらのエホバの証人2世だった。両親ともにエホバの証人という毒家庭で成長した。

1980~90年代、学校の友人の家にはたいていテレビゲームがあったのだが、私の家にはなかった。貧乏とかではなく、わが家がエホバの証人だったから。

エホバの証人は各家庭によって、ものみの塔の教理に対する厳格さや忠誠度が異なる。このため、中にはテレビゲームが許されているエホバの証人2世の子どもがいた。私にとっては、うらやましい限り。

私の家にはテレビすら置かれない時期もあった。両親は、テレビから流れる情報のほとんどは悪魔サタンが流している有害な情報だと信じていた。両親は、それほどに深いマインドコントロール状態にあった。

とはいえ、テレビが置いてあった時期もあった。しかし、1日に見ることのできる時間は30分とか1時間と、ガチガチに決められてはいた。しかも、NHKだけしか映らないように設定されていることもあった。

また、見たい番組は事前に両親の承認を得なければならなかった。許しが出た番組でも、一緒に見ていて途中でエホバの証人にとって「ふさわしくない」シーンがあると、テレビを消される。

「ふさわしくない」というのは、不道徳や暴力など。テレビで、未婚のカップルがキスしたり、服を脱ぎ始めたりするとチャンネルを換えられた。そもそも、子どもの大好きな戦隊物やヒーロー物は暴力的という理由で許されなかった。

傲慢エホバの証人よ、自分の頭で考えろ

“エホバの証人が見ることを許されないテレビ、その理由とは?” の続きを読む


エホバの証人の悲しい父親、「野球盤」の思い出とは・・・

エホバの証人の子供の野球盤の思い出

エホバの証人の子ども、野球盤の思い出

私は幼い頃からエホバの証人2世として育てられた。

子どもの頃に好きだった野球選手は清原和博で、小学生のときに初めて買ったCDは槇原敬之の『冬がはじまるよ』だった。中学生の頃に好きだった歌手がチャゲ&飛鳥の飛鳥涼だった。

後年、彼らが薬物絡みで問題になったことと、私のエホバの証人2世としての経歴が関係しているのかどうかは解らない。個人的に抱えている葛藤が共鳴したのか、ただの偶然なのか。

野球の清原に関する話はまだある。私は本当に清原が大好きで、1987年の日本シリーズのことをよく覚えている。

日本シリーズ最終戦で、日本一まであとアウト1つという場面。1塁の守備についていた清原が、早まって男泣きしたシーンが忘れられない。対戦相手が清原が入団を希望していた巨人だったことも関係していたのだろう。思いのこもった涙だった。

当時流行っていたボードゲームの野球盤が我が家にもあった。エホバの証人の宗教本研究の後で、ちょっとだけ、父が野球盤で遊んでくれた。無論、私は当時清原が所属していた西武ライオンズで父と対戦する。

野球盤はピッチャーの投げる球速が調整出来た。スピードを全開にすると、普通の人の動体視力では到底打ち返すことが出来ない。凄まじい投手戦になりほとんど点数が入らない。

そのため、我が家の野球盤は投手側のバネをひく部分に丸めたティッシュを詰め込んで、スピードが限界まで出ないように改造されていた。ゲーム中に、何回か決めた回数まではそのスピード制御装置を外すことができるルールにしていた。勝負所で高速球を放ることが出来るため。

そんなこんなで、ある程度のゲーム性まで高められた野球盤で、小学生の私は父と遊んでいた。

エホバの証人の悲しい父親

“エホバの証人の悲しい父親、「野球盤」の思い出とは・・・” の続きを読む