エホバの証人(JW)の王国会館に病気の人が多い理由

限りある一日だから今日に意味がある

エホバの証人の王国会館で開かれる集会とは

私は、物心がつく頃から14才になるまでを、エホバの証人2世として育てられた。両親ともに狂信的なエホバの証人という、神権家族で成長した。

神権家族とは、エホバの証人用語で家族全員がエホバの証人という、どっぷりマインドコントロールされた痛い家庭のこと。

小学校に入る前は、エホバの証人の伝道布教活動にほぼ毎日連れて行かれた。そして、週に3回もあるエホバの証人の集会にも必ず出席させられていた。

集会とは、エホバの証人の王国会館という集会所で開かれる集まり。当時は、週3回、決まった曜日に開催されていた。地域によって集会の日程には若干差があり、一つの王国会館を複数の会衆で使いまわしていることもある。

会衆というのは、地域毎のエホバの証人の集まりの単位で、総員100人程度に収まるよう分割されている。

病気で学校を休んだ日であっても、夜になってちょっとでも回復していればエホバの証人の集会には連行された。

両親は、教団による深いマインドコントロール状態にあり、エホバの証人のことが何より最優先だった。周りを客観的に見れなくなるのがカルト被害者の特徴。エホバの証人にとって、親族や仕事、さらには家族よりも大事なのが集会だった。

エホバの証人の王国会館とは?

エホバの証人の王国会館は病人の巣窟

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エホバの証人が知らない、限りあるゆえに輝く人間の生

人生は有限だから価値がある

エホバの証人が知らない、限りあるゆえに輝く人間の生

私がエホバの証人をやめてから長く年月が過ぎた。私は、すでに細かいものみの塔の教理は忘れてしまった。エホバの証人をやめて20年経っている。1914年の教義が嘘偽りで初代会長ラッセルの単なる思いつきであることを、細かく論理立てて説明することは出来ない。

※2021年追記、現在、敵を知るためにものみの塔の資料を調べている。
ものみの塔の教理は、実はラッセルの思いつきではない。ラッセルが他のキリスト宗派で学び、ピラミッドの神秘主義と融合させたもの。1914年の教義はピラミッドの内部構造から緻密に計算された。このピラミッドは特に何の意味も無く、予言も大ハズレの不正解だった。

このラッセルの組織をそのまま2代目会長ラザフォードが乗っ取り、組織化、現在のエホバの証人組織となった。

こんな私にただ1つだけ言えるのは、

人間の生涯は限りあるから美しく価値があるのだということ。我々の儚い一生は永遠の命よりもずっと素晴らしい。その限りある時間を無駄にすべきではない。

あなたが「エホバの証人をやめたい」と考えていて、教団に残る家族との関係が気がかりならば、愛する人たちに対して「人生の貴重な残りの時間をともに歩んでいきたい」と伝えれば良い。

あなたのマインドコントロールが解けておらず、ハルマゲドンが恐ろしいとする。それでも、家族に伝えるべきことを伝え、生涯で成すべきことを成せばそれで良い。それならば、例えハルマゲドンで死んでも後悔は残らない。

そもそも我々人類がハルマゲドンで突然死することはないので、その心配はない。ハルマゲドンはエホバの証人のウソだから。

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