『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』
元エホバの証人2世が書いた絶版本。
洗脳されている側には、「洗脳されている」という自覚が全くない。他のカルト教団を見て、「自分たちはカルト教団でなくて良かった」と強く思うのだ。鏡を見て我が身を直せという言葉はカルト教団には通用しない。鏡を見てもうっとりするだけ
確かに、オウム真理教の事件が世の中を騒がせている頃、エホバの証人たちは、まさか自分たちが同じカルトであるとは思いもしなかった。
「なんでこんなあからさまなカルトに騙される人がいるんだろう」と、首をひねっていた。
いやいや、我々も騙されていたんだけど・・・。
信者の人生が激しく損なわれるという面で、オウムもエホバも本質は同じ。救いに至らないのも同じ。やっていることが不正義である点も同様。
マインドコントロールされている人々が、何とか自分自身を客観的に見つめることはできないだろうか?
エホバの証人が人生の真理にたどり着く方法
興味深いことに、エホバの証人もオウム真理教も「真理」という言葉を使っている。「真理、真実、本当の答え」といった言葉を使う団体は、宗教にかかわらず、ビジネス・セミナーでも、自己啓発本でも、臭いと思った方がいい。
ものみの塔の予言解釈は当たったためしがない。このため、エホバの証人が真理を語る組織であるはずがない。ただの嘘つきカルト。
人生の真理なんて、他人に提示されるものではない。自分でひたすら探し求めて、見つからずに死んでいくもの。「ひたすらに何か追い求めたな」と、死ぬ前に思えればいい。それが人生の真理。ひたむきに生きること。
ひたむきにエホバの証人活動をすることではない。それは安直な生き方。楽な生き方。考える、悩む、苦悩するのを放棄して、逃げているだけ。ものみの塔という偶像にすがっているだけ。
現役エホバの証人の人は、人生の真理にたどり着きやすい。なぜか?簡単に人生の真理にたどり着ける。その方法を教えよう。
エホバの証人をやめること。
私にも経験があるが、エホバの証人をやめるのは辛い。心をえぐられる。抜群の苦しさを味わう。自分の思考の根本を変えなければならないし、信者の人間関係を整理するのに、劇的な心労を伴う。それが家族であれば、なおさら。しかし、
エホバの証人をやめるのに、苦しければ苦しいほどいい。なぜならそれが人生の真理だから。苦しみ苦悩し、考え抜く瞬間が人生の真理だから。
だから、エホバの証人は、エホバの証人をやめろ。そうすることで、今まで逃げに逃げて、目を背けてきた
人生の真理 = 今をひたむきに生きること
にたどり着ける。追い求めてきた人生の真理にたどり着けるし、カルトをやめられる。一石二鳥のこんな旨い話はない。
エホバの証人は、エホバの証人をやめるだけで人生の真理にたどり着ける。
“エホバの証人が、人生の真理にいとも簡単にたどり着く方法” への2件の返信