人生の浪費、必要の大きな所のエホバの証人2世(JW2世)

ド田舎に派遣されるエホバの証人2世

必要の大きな所という田舎へ移り住んでいくエホバの証人2世

エホバの証人とは通称JW、キリスト教系の新興宗教。米国由来でものみの塔聖書冊子協会が運営母体となっている。終末思想を唱えていて、終末までの期間に救われる信者を増やすために、熱心に布教活動をすることで知られている。

この終末、エホバの証人はハルマゲドンと言うのだが、1914年以降、ハルマゲドンは間近に迫っているというのがものみの塔の主張だった。ところが皆さんご存知の通り、終末など来ていない。

エホバの証人は子供にも信仰を押し付ける。親がエホバの証人であれば、当然のように子供はエホバの証人にされる。私もこのパターンでエホバの証人の子供たちはエホバの証人2世信者と呼ばれている。親は1世信者となる。

私は、我が強いタイプの子供だったので、14才のときに親と決別。エホバの証人をやめた。自己主張の出来ないタイプの子供や、信者の親を思いやるばかりにエホバの証人から足を洗えない2世信者も多い。

そういったエホバの証人2世は、大人になるまでエホバの証人を続け、布教活動を行い続けることで、被害者を増殖させていく。

私が田舎に住んでいた子供の頃、1990年代の終わり頃まで、独身の若いエホバの証人2世たちが都会から移り住んで来ていた。

世界中もれなく布教活動を行うため。人口の多い都会ほどエホバの証人が多く、ものみの塔に汚染されている。さらなる信者拡大を目指して若い信者が田舎へ派遣されてきた。

地方の田舎はエホバの証人にとって「必要の大きな所」であると言われて、若い2世信者たちは単身、移り住んでいく。彼らは家族や友人と離れ、苦労して手に入れた仕事や住み慣れた土地を捨て、自らの信仰のために暮らしにくい田舎へ引っ越して来る。

20代前半の若さで、コンビニすらない田舎に住みたいと思う感覚はありえない。少なくとも私には。モノがあふれた都会の方が良い。これは個人の感覚の差なのだろうが、

エホバの証人2世たちは自分の意志で着任先を選ぶのではなく、組織や親の指示で居住先を選択している。自由意志を奪い取るエホバの証人組織。まさにカルト。

エホバの証人の本質に関する質問、カルトの定義とは

ものみの塔協会の与える罰ゲーム

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過酷な環境を喜びと捉えるエホバの証人のマゾヒズム

エホバの証人の被虐嗜好

最大限に悪目立ちするエホバの証人の子供

私は、生まれながらにエホバの証人の2世信者だった。エホバの証人とは自称キリスト教系の新興宗教で、2世信者とは親の信仰を強制された子供のこと。

エホバの証人の世界本部は米国にあり、ものみの塔聖書冊子協会という名称でも知られている。この宗教団体は終末思想を抱き、終末の日にエホバの証人以外の全人類が死に絶えると主張している。終末前に信者を増やすために、熱心な布教活動を行うことでよく知られていた。

家に小ぎれいな格好をしてやってきて、「聖書の勉強をしませんか」とか、駅前に立って「あなたの家族の問題を解決する」という看板を立てている例の人々。

皮肉なことに、エホバの証人は大概が家族の問題を抱えているし、真剣に勉強しているのは聖書ではなく、ものみの塔発行のマインドコントロール用の書籍群。

1980年代後半。私は小学校4年生になるときに引っ越して転校生になった。両親の田舎に引っ込むような形での引っ越し。

転校先ではゼロからエホバの証人の子供であることを先生に話さなければならない。これは信仰の”証言”と呼ばれ、エホバの証人の子供に強制される試練のひとつ。

当時の田舎社会には、信仰の自由などというものに理解は無かった。現在でもさほど変わっていなさそうだが。

引っ越して来たのだから、地元のお祭りや行事に参加するのは当然という空気。しかし、エホバの証人は異教のものであるとして、地域の古来の祭礼や行事の全てに参加しない。

人口密度の低い田舎で、これほどの変わり者というのはとても目立つ。すぐに有名人一家になってしまった。学校でも変わり者という扱いを受ける。思春期に差し掛かりつつあった私にとって、この変態扱いは致命的な屈辱だった

元JW2世、節分の屈辱の記憶

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人の必要の大きな所という過酷な環境

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一人遊びしかできないエホバの証人(JW)2世の子供

寂しいJWの子供

エホバの証人2世、たった1人で無心に遊ぶのは自分を保つため

私は両親に宗教を強要された生まれながらのエホバの証人の2世信者だった。一般的な子供とはかけ離れた生活を余儀なくされた。

幼い頃の私は、時おり無心に遊ぶことで自分自身を保つ。ハメをはずすことは許されないが、エホバの証人に許される遊びをひたすら無心に行う。そのようにして自分の子供としての欲求を発散していた。

友達といつまでも遊ぶということは出来ない。常にエホバの証人の集会や布教活動の時間に追われているから。またエホバの証人信者でない友達と遊べば、必ずエホバの証人に禁止されている遊びが混じってくる。

ものみの塔の不可解な教義には禁止事項が尋常でなく多い。

幼いながらに、私は他の家の普通の子供とは違うのだと実感していた。一般人の友達と遊ぶには阻害要因がエホバの証人2世の子供には多すぎた。そもそも、信者の親が学校の友達と遊ぶことについていい顔をしない。こうして、

エホバの証人の2世信者だった私は、たった1人で遊ぶことで、ようやく正気を保っていた

元エホバの証人2世の真夏の記憶

エホバの証人の子供たちを縛る数々の教義

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元エホバの証人2世の秘密の時間、真夏の2つの記憶

孤独なエホバの証人の子供、一人で遊ぶことで自分を保つ

元エホバの証人2世の幼児、真夏の記憶

私の子どもの頃の話。無性に遊びたくなることが何度かあった。エホバの証人の2世信者として、常に抑圧された厳しい環境にあったせい。印象的に覚えているのは2回。

1度目は小学校に入る前。暑い夏の日。自転車に乗れる年齢だったので、1人で家からちょっと離れた場所にある児童館に向かう。ちょうど昼食時で児童館には誰もいなかった。

私はたった1人、この児童館の体育館にあるトランポリンで延々とジャンプし続けた。

母親の隙をついて自転車で家を飛び出してきた。午前中のエホバの証人の布教活動で歩き回った後。家に帰れば、すぐに午後からの布教活動に連れて行かれる。

エホバの証人の布教活動は見知らぬ家から家へ、呼び鈴を回して、ひたすら周り続ける。伝道とか奉仕と呼ばれている。「ボランティア活動で来ました。家族や仕事のことで悩みがありませんか?」とカルトのカモを探して周る不毛な勧誘活動。

午後からの苦行を考えると、何となく落ち着かない気持ち。心から楽しめない。それでも、私はたった1人、無心にトランポリンで跳ね続けた。真夏の昼間、誰もいない暑い体育館の中で。

エホバの証人の偽ボランティア活動はただのカルト勧誘である

まさに「不幸の伝道者」であるエホバの証人

元エホバの証人2世の小学生、真夏の記憶

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ハメをはずすことが許されない、エホバの証人2世の子ども

一瞬たりとも気を休めることのできないJWの子供

選民意識の影響を受けるエホバの証人2世の子ども

エホバの証人は、信者でない人に対して模範的でなければならないとされている。ものみの塔は、信者のエホバの証人に対して、法律を遵守し、道徳的に高潔で正直、礼儀正しく勤勉であれとしている。

模範的でなければならない理由は、自分たちエホバの証人は、神に選ばれ大患難をくぐり抜ける者という意識があるから

大患難とはこの世の終わり、ハルマゲドン。この時点でだいぶお馬鹿さんなのだが・・・本人たちは自分たちが賢いと思い込んでいるので厄介そのもの。

エホバの証人の2世信者の子どもも同様。2世信者というのは親の宗教を強制される宗教2世信者のこと。私は両親ともにエホバの証人だった。「この世の人に対して模範となりなさい」と両親によく言われたものだ。

エホバの証人の子どもたちは、常にエホバの証人として”ふさわしい”行動をとらなければならない。私にとって、これは鬱陶しかった。エホバの証人が使う”ふさわしい”という言葉は、私にとっては呪いの言葉。

何がふさわしいんだと。親に「それはふさわしくない」と言われれば何もかも禁止。制限される。こうして、エホバの証人の子どもは、自由のない生活を余儀なくされる。

一瞬たりとも気が休まらないエホバの証人2世の子ども

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エホバの証人の王国会館から脱出し真実を見つけよう

JWの全てが偽物

エホバの証人である間に得られる幸福感は全て偽物

私はほぼ生まれながらにエホバの証人の2世信者で、両親ともにエホバの証人という家庭で育った。そして14年の歳月を経て、自らエホバの証人をやめるという決断をした。

その後、両親もそれぞれエホバの証人をやめる。その過程で私の家族は崩壊し、家族3人で仲良く王国会館に出かけていた時の幸福は消え去った。しかし、これで良かったと私は思っている。なぜなら、

王国会館に通うことで得られる幸福感は偽物だから。

感情としては本物なのかも知れない。しかし、エホバの証人の王国会館の中にあるもの全ては偽物。つまり偽物がもたらす幸福感もまた偽物。いつかはぶっ壊れる。

王国会館の中で話されること、与えられる情報、信者との繋がり、エホバの証人であることを理由に発生する条件付きの家族の絆、そういったものみの塔に関係することは全て偽り。

完全な欺瞞だったり、エホバの証人であるならという条件付きのもの。

エホバの証人の王国会館から脱出し、絶望的な真実を探せ

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ものみの塔聖書冊子協会を破滅に導くことが私の使命

ものみの塔をぶっ壊すことが私の使命

3度の奇跡的生還と生かされるということ

私は生まれながらのエホバの証人2世で14才のときに自分の意志でエホバの証人を脱会。20才を過ぎて、ようやくものみの塔の洗脳が解けた。その後は自堕落な生活を送り続けた。

そして3度も交通事故を起こす。すべて自動車が全損する大事故。しかし、私は3度の交通事故から奇跡的に生き残った。これには何らかの意味があると私は思っている。それぞれの時に私はまだ死ぬべきでは無かったということ。

3回とも車自体は大破したものの、私自身は無傷。何らかの力に生かされていると感じた。

こんなスピリチュアルな考え方をするのが、ものごとを信じ込みやすいエホバの証人チックな性格だとも言える。ただ、私の父親にも同じような経験がある。

父は私に続いてエホバの証人をやめた。そして未だエホバの証人だった母との関係がこじれて、私の家族は崩壊。

一家離散した後、父は国内を放浪していた。その放浪中に何度か一文無しになって、もう死ぬしかないという状態に陥る。そして最後のなけなしの金でパチンコ屋へ入る。すると必ずフィーバーし、命を救われたのだという。

父の死期もその時では無かったということ。それぞれ生き残ったことによって、遂に父と私は数年ぶりに再会。

人間には死期がある。それまでにやるべきことやり、成すべきことを成す。

エホバの証人2世だった経験を伝えることが私の使命

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元エホバの証人2世の3度目の交通事故、人生の方程式

JW2世、3度目の交通事故でようやく・・・

ものみの塔協会の嘘に気付くが、生の貴重さを忘れる

朝日を浴びながら、せめてハルマゲドンで滅ぼされるまで生きていたいと実感した日から10年後、私は3度目の交通事故を起こす。その10年の間に、エホバの証人の教理は全部デタラメだったと気付く。

これはインターネットのおかげ。「ハルマゲドンは絶対に来ない」と、ものみの塔の嘘に気付いた。20才を過ぎたばかりの頃。

青天の霹靂とも言える神の裁きにより、突然死ぬことはないと、私は確信した。しかし、だからといって何をすれば良いのか、何を始めれば良いのか全く解らなかった

そして、つかの間生きていたいと、朝日を浴びながら実感した感覚を忘れる。急に、命が寿命までの無期限に延長されたため。

元エホバの証人2世が迷う人生の方程式

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元エホバの証人2世、ハルマゲドンの幻想により命を粗末にする

ハルマゲドンに怯えるため、交通事故は怖くない

不条理な死を迎えるという元エホバの証人2世の幻想

私は交通事故で自動車を3台も廃車にしている。それがエホバの証人として育てられた過去と何か関係があるかと言われれば、特に因果関係は無いのかも知れない。

私は生まれながらのエホバの証人2世信者で、14才の時に自分の意志でエホバの証人をやめる。しかし、ものみの塔の洗脳は解けず、神エホバの存在と世界の終末ハルマゲドンの預言は信じ切っていた。

エホバの証人のハルマゲドンと永遠の命という悪い冗談

14才でエホバの証人をやめてから20才を過ぎるまで、どうせハルマゲドンで死ぬのだと思っていた。いつか不条理に死ぬのだから、今何かに激突して死んでしまっても構わないと考え、ありえないスピードで車を走らせていた

エホバの証人は輸血拒否の信条で生命を冒涜しているが、形式上は神からの貰い物としている命や身体を大事にするように教えている。その教義とエホバの証人らしさを否定する暴走行為は、反ものみの塔的なものを追い求めていたこの頃の私にとってうってつけだった。

ものみの塔は、自身の教義に反しない限りはという条件付きで、一応は上位の権威に服することを信者に要求する。上位の権威とは世俗の権威のこと。あらゆる法律が含まれるため、スピード違反の暴走行為は、この頃の反ものみの塔という私の生き方にマッチしていた。

元エホバの証人2世、夜明けの気付き

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エホバの証人の子ども、まるでロボットかサーカスの動物

まるでサーカス、エホバの証人の子供

ものみの塔の子どもを利用した布教方法

エホバの証人の子どもたちは、小さな頃からエホバの証人の王国会館という集会所に連行される。それこそ、抱っこされているだけの赤ちゃんの頃から。

エホバの証人の王国会館に連行された子どもたちは、壇上からされる下らない宗教話を聞かされる。大人しく座っている子どもがほとんど。なかには注解※と呼ばれる、挙手して質疑に対する回答をする子供まで。
※2023年追記、現在では注解はコメントと呼称されているとか・・・

エホバの証人の子どもたちのお利口さは、信者でない人が見ると驚とほど。普通なら、数分たりとも大人しく座っていられない年頃の子どもだから。

小さな子どもを持つ親にとって、礼儀正しくお利口な子どもに育てることができる宗教に、エホバの証人が見えてしまう。ものみの塔は、子どもの教育を撒き餌として、子育てに不安や悩みを持つ親を新たな信者として獲得している。

勧誘中の非信者の家で行われる家庭聖書研究という場にも、エホバの証人の子どもが連れて行かれる。この1時間ほどの間、エホバの証人の子どもは正座して静かに大人の話を聞いている。

「こんなにお利口に子どもが育つなんて」と、信者でない親はエホバの証人という宗教に魅力を感じてしまう。ここで、わんぱくで元気、自由奔放な自分の子どもと、エホバの証人の子どもを比較してしまうとアウト。劣等感に苛まれていくことになる。

エホバの証人の子ども、表面的にお利口なのは・・・

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