エホバの証人の有害なボランティア活動
私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人だった。両親は、狂信的なエホバの証人信者だった。
私は、小学校に入る前から教団の布教活動に連れ回されていた。
母親は正規開拓奉仕者と呼ばれるエホバの証人の伝道者。正規開拓者には、年間1000時間をエホバの証人の布教活動に費やすことが要求される。
私も、幼稚園や保育園といった幼児教育を一切受けず、母と一緒に家から家へと周る布教活動を行わされていた。
この布教活動は、エホバの証人からは伝道奉仕活動と呼ばれている。この奉仕活動は、炎天下だろうが雪が降っていようが関係なく決行。水筒を持って、ひたすら家々を回り、呼び鈴を鳴らす。
母は毎日、午前中はみっちり3時間、午後も”留守宅訪問”※などと称して、伝道奉仕に明け暮れていた。これが年がら年中休みなし。一銭の儲けにもならないのに。誰のためにもならない無償の伝道活動。完全な病気。
※留守宅訪問、通常の集団での布教活動の際に留守だった家を把握しておき、個人的に時間帯を変えて訪問すること。帰宅後を狙って夕食時とか。
この伝道奉仕活動を、当時の日本のエホバの証人はボランティア活動と呼んでいた。「エホバの証人の勧誘に来ました」というより、「ボランティア活動で来ました」と言った方が、明らかに聞こえが良いから。
ボランティアと言うのなら、そこら辺のゴミでも拾っていた方がマシなのだが、エホバの証人は有害な布教勧誘活動を熱心に行う。
この信者を獲得するためのエホバの証人の伝道時間が、エホバの証人というカルト教団の存続を支えている。数打てば当たるもので、不幸なことにこの伝道をきっかけに入信してしまう人が出てくる。
元エホバの証人2世の水筒の記憶
小学校に入る前の私は、母によりエホバの証人の布教活動に連行されていた。はっきり言って、私はこの宗教勧誘に連れ回されるのは嫌だった。
物心ついたときには、かしこまった格好をして布教活動に連れて行かれていた。夏場などは、私が起きると母が水筒に入れるためのお茶を、水道水で冷やしていた。
布教活動に持っていくための水筒。家族でレジャーに出かけるための水筒ではない。炎天下を延々と歩き続けるための水筒。今でも水筒を見ると、この頃の苦々しい記憶がよみがえる。
雨の日も、風の日も、雪の極寒の日も、酷暑の日もみっちり歩き続ける。まだ体力のない幼児にとってこれは拷問。早く時間が過ぎないかと、私は時計ばかり見ていた。
午前中は、宗教勧誘のため一切遊ぶことが出来ない。勧誘活動中に、幼稚園や保育園の前を通り過ぎると、走り回って遊んでいる同じ年頃の子どもが見える。
夏休みになれば、訪問した家には涼しい部屋の中でゲームをしている子どもがいる。通りすがりの子どもたちに「一緒に遊ぼう」と声をかけられる。同年代の子どもたちに比べて、あまりにも自分が不遇に思えて仕方が無かった。
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