エホバの証人のバプテスマとは
私はほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。両親は異常に熱心なエホバの証人で、父親は会衆の長老を務め、母親は正規開拓者だった。エホバの証人でいう所の神権家族。
しかし、私は小学校の高学年の頃からいかにしていつエホバの証人をやめるかということだけを密かに考えていた。この頃の私の考えは両親にある程度見透かされていたのかも知れない。
そんな私にバプテスマを受けさせ、正規のエホバの証人にしてしまうことは私のエホバの証人組織からの排斥リスクを高めることになる。
エホバの証人のバプテスマとは一般的なキリスト教の洗礼・浸礼の儀式のこと。エホバの証人では献身とも言われる。バプテスマを受けてものみの塔協会に献身すると、正式なエホバの証人と認められ、周囲の信者から○○兄弟、○○姉妹と呼ばれる。
エホバの証人の排斥とは
逆に排斥とは、エホバの証人組織から追い出されること。エホバの証人的罪である淫行・喫煙・輸血などが発覚すると排斥になる場合がある。
エホバの証人組織から排斥されると組織内では村八分状態になる。排斥者には街であっても挨拶すらするなというのがものみの塔協会の戒律。
家族から排斥者を出せばエホバの証人の組織内では白い目で見られるようになるし、何よりも親子としてのコミュニケーションが許されない状態になる。成人すれば家から追い出すように独立させ、それ以降は縁切りとなる。
排斥になるのは献身し、バプテスマを受けたエホバの証人だけ。そもそも正式な信者でないのに、排斥も何もないから。
ものみの塔協会への献身を誓うバプテスマの儀式には大きな危険が伴う。安易にバプテスマを受けて、結果排斥になるとエホバの証人家族との絆は崩壊まっしぐら。
洗脳下の両親によりものみの塔協会への献身から守られるという皮肉
私がエホバの証人をやめたのは私が14歳のとき。この頃は、私の両親はまだものみの塔協会の強固なマインドコントロール下にあった。
両親にとっては私が排斥処分になれば、愛する一人息子のハルマゲドンからの救いが大きく遠のくという恐怖もあった。エホバの証人たちは、もうすぐ来るハルマゲドンでの生還という人参目当てで不毛な活動をし続けている。
ハルマゲドンを生還するのは真っ当なエホバの証人だけ。当然排斥者はハルマゲドンの生還からは遠のくという設定。
エホバの証人を辞めたい私に、無理矢理バプテスマを受けさせてもいずれ排斥になるだけ。そのため、両親は私にバプテスマを受けさせようとはしなかった。
結果、私はバプテスマを受けることなくものみの塔組織を去る。最後の最後には熱心なエホバの証人だった両親により、私はものみの塔協会へ献身するバプテスマの儀式から守られたのだった。ちょっとした皮肉な話。