職業選択の自由まで奪われる、思考停止状態のエホバの証人

思考停止のエホバの証人

聖書を飛躍している、ものみの塔の教理

昨日の記事で、エホバの証人の子ども向けの黄色いの本の記憶についてふれた。兵士の水の飲み方をチェックして、抜擢する基準にした話。当時、子どもだった私がこの本の矛盾にツッコミを入れている。

親にこの逸話の矛盾を話すと、とにかく「ものみの塔が正しい」で、押し切られる。それでも、性格がひねくれている私は引き下がらない。

時と場合による比喩だと逃げるので、

「じゃ、”剣を鋤の歯に打ちかえる”というのも比喩じゃない?実際にそんなことしている人いないよね?神に仕える兵士が聖書に出てくるし、戦争ごっこしても良いんじゃない?」

エホバの証人が、戦争・暴力的なモノ・武器・武術授業などの一切を避けるのは聖書の次の聖句による。

彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない”

子どもの私の指摘は、この聖句が直接的に「折紙の手裏剣」の製作や「モデルガン」所持・使用の禁止を指しているのかということ。

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エホバの証人の子ども向けの黄色い本の思い出、『わたしの聖書物語の本』

わたしの聖書物語の本

懐かしいような毒々しいような記憶

私はほぼ生まれながらにエホバの証人というカルト宗教を強制された。このカルトに両親がハマっていれば、もれなく子どももエホバの証人化される。いわゆる2世信者。

エホバの証人を信者として囲っているのは、ものみの塔という米国由来の宗教法人。ものみの塔は、信者の子どもをエホバの証人に仕上げるよう指導している。そのため、子ども向けの宗教本も製作されている。

子どもたちはその宗教本で、エホバの証人の教理や戒律を仕込まれる。私の記憶では、黄色い表紙の本。イラストが多めで聖書の逸話が一話完結で書いてある。私もこれを読まされていたのだが、やがて40年も前のことなので、内容はほとんど覚えていない。ときどきイラストがフラッシュバックする程度。

最近、思い出したのは水を飲む時の逸話。兵士が川辺に列になって並んでいる。水を飲む順番を待っているところ。順番に水を飲んでいく。実はこの水を飲む様子が兵士団の上層部によってチェックされている。

バカな兵士ばかりの神の国民

元エホバの証人2世が知らない、ステファノって誰?

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今から先の未来もエホバの証人に加担するのは現実逃避であり重罪

エホバの証人をやめる行動を始めるのは今

独善的な組織や人間には近寄るな

AmazonのKindleで読める『てい少年と悪魔サタン』

『てい少年と悪魔サタン』~姑息なものみの塔協会のやり口

元エホバの証人2世の自伝的小説。作中ではエホバの証人と明かされていないが、間違いなくエホバの証人の話。

話も終盤になり、少年は嫌々やっていたエホバの証人活動に根を詰めることにする。それはつまり、ものみの塔の求める生き方をするということ。

教団は実質、自分で考える事を否定し教団が与える情報を真理として受け入れる人間のみを認めた

自身の提供する情報だけを信じろという独善性。人の意見を取り入れない、こんな組織や人間に発展はない。近寄らないに限る。泥船に便乗して、人生のすべてを損なうことになる。

私もマジメにエホバの証人になろうかと思ったことが何度かあった。少年の頃。10才とか12才とかその頃。それは果たして自分で決めて考えたことだったのだろうか?

エホバの証人になるという決断をする段階で既に洗脳下

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カルトな毒親を持った子どもは、存在しているだけで立派

行動とご褒美は不安を打ち消す

不安は現実ではない

昨日の記事で、宗教親が子どもに対して無償の愛を抱いていないケースがあると書いた。この場合、子どもはどうなるのか?

出元はこの本『てい少年と悪魔サタン』より。

親が条件付きの愛情で育てると、その子は

いつも不安を抱えて、自信のない子になる

そして当然そのまま不安を抱えた自信のない大人になる

誰もがある程度の不安を抱えて生きているが、それでも家に帰れば家族や親がいて、心休まる環境で逃避というか休憩ができる。そこで心のエネルギーをチャージすれば、不安に押しつぶされてしまうことはない。

一人暮らしだったら、暖かい部屋でキンキンに冷えたビールを飲んで、テレビ見て爆睡して回復。

不安なんて、そもそも現実ではない。現実を見て自分の意識が変換・投影したのが不安という感情。そんなたかだか感情に押しつぶされてしまうなんてことが異常なのだが、親の愛情が欠如して育った子どもはこうなりかねない。

不安が自信に勝ってしまう。すると

性格が歪み、裏表の激しいひねくれた人格に育つ事もあれば、親の期待に応えない気持ちと自分の本心がせめぎあい疲れ果てて、うつ病などの心の病に苦しむ事も珍しくはなかった。

最悪のケースでは、やがて自死にいたるという痛ましい結末もあった。

というエンディングに。

親が生まれてきてくれた子を、そのままに愛するという無条件の愛。この無償の愛情がどれほど重要か。これが無かった場合は不安に押し潰されて死ぬしかないのか?この本にはキッチリこの先も書いてある。

カルトな毒親を持った子どもは存在だけで立派

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親の無条件の愛を感じるには、エホバの証人をやめるしかない

エホバの証人親の子どもに対する愛

エホバの証人の愛情は条件付きの限定愛

昨日紹介した『てい少年と悪魔サタン』という本より。著者は2世信者なので、エホバの証人である毒親との関係が幼少期の根幹となる。作中で出てきた話が、親が子どもに示すべき愛情について。

子どもは無条件の愛情で育てて下さい。

いつも賢くしてるからかわいいとか、親のいう事をきっちり聞くから大好きとか、そういうのはダメ

・・・それは条件付きの愛情

産まれてきてくれたそのまんまのあなたが好き!あなただから好きなんだ!と・・・これが正しい親としての考え方

親が子どもに注ぐべき『無償の愛』というのは、他の脱会本でも出てくる重要なキーワード。『解毒』~エホバの証人が持たない無償の愛

エホバの証人の親が子どもを愛するのは、子どもがエホバの証人であればという限定愛。エホバの証人がエホバの証人に対して抱く友情・隣人愛も、対象者がエホバの証人であればという条件付き。

つまり、エホバの証人組織から排斥された者であれば、親子の愛情も友情も隣人愛もすべて吹っ飛ぶ。
※2024年追記、排斥関連は若干緩和されたのだが、背教反対者に対しては同様。エホバいない。エホバの証人ニセモノという人が、エホバの証人から愛を抱かれることはない。騙されている哀れなヒツジに真実を教えてやっているだけなのにね。

エホバの証人の親は行動で無償の愛を示すことはできない

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『てい少年と悪魔サタン』~姑息なものみの塔協会のやり口

未来は僕らの手の中

未来は僕らの手の中

昨日紹介した『私はこれでカルトをやめました。~人生搾取されたけどまぁいっか~』というAmazonのKindle本の続作。

こちらの『てい少年と悪魔サタン』も、作中では「エホバの証人」とは言及されていないが、明らかにエホバの証人2世信者の話。前作の続きではなく、前作を踏まえて、小説チックに仕立てられている。

タイトルの通り、少年期だけでスパッと終ってしまうのだが、伏線も幾つか回収されていないので、次作に是非期待したい。

作中に『バックトゥザフューチャー』の話がほんの一瞬出てきて(これだけでストーリー内一番の伏線を回収できているのだか・・・)、年代的に同年代40代の著者に大きく共感する。トランプのモデルになったあの人が懐かしい。

あとがきに、面白い面白くないのどちらにしても感想を教えてくれと書いてあったので、感想。

「面白い」

『夢を叶えるゾウ』のような雰囲気があるのだが、それとエホバの証人独特のサタン思想が相まっているという初期設定の段階で秀逸。この設定に乗っかって、子ども時代の辛酸が見事に吐き出されている。

我々カルト2世信者が失いがちな希望と、未来はいつも『今』の先にあり、未来はいつでも自分が握っているという、永遠不滅だが忘れがちな事実が軽いタッチで表現されている。

卑劣なものみの塔のやり口

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エホバの証人が、エホバの証人以外の人に認めてもらう方法

エホバの証人をやめさえすれば、他者の承認を得られる

エホバの証人は、やはり犬

エホバの証人は特権大好きでものみの塔の犬だと昨日の記事で書いた。

ものみの塔の飼い犬エホバの証人と人間の尊厳を損なわせる特権

これはエホバの証人の1世信者に大きくあてはまる話なのだが、実は親ゆえにエホバの証人をやっているエホバの証人2世信者も根は同じ。犬。

特権が親の是認に置き換わり、そこにこらしめという罰が付け加えられる。こらしめという主に体罰は、子どもが大きくなれば親の是認を失うという罰に置き換わる。

こう考えると1世信者も同じ。特権というエサと組織の是認を失うという罰で動かされている犬。自分の意識を持たないエサと罰で操られているだけの家畜

極論になるが、人は誰に認められなくても生きていける。親がいなくても生きていけるし、友だちがいなくても生きていける。一人で一人で生まれてきて一人で死んでいくだけ。色どりのない人生ではあるが、悪の組織の犬になるよりは百倍マシ。

エホバの証人がエホバの証人以外の人に認めてもらう方法

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元エホバの証人2世が知らない、ステファノって誰?

ステファノって誰?

北海道広島会衆の『事件簿』

北海道のエホバの証人の広島会衆で起きた集団排斥事件についての資料を読んでいる。前回はこの事件から着想を得て、この事件を頻発させればものみの塔を崩壊させられるのではないかと書いた。

一緒にものみの塔を崩壊させてくれるエホバの証人大募集!/エホバの証人の会衆・支部ごと排斥大作戦

資料『事件簿』は下記で閲覧可能

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)

ここで訂正。事件が1978年に起こったような書き方を何度かしていたが、1978年は北海道の広島会衆が設立された年。集団排斥事件は1980年代中盤の話。間違っていました。過去記事も可能な限り修正しておきます。

広島会衆の発足が1978年で、事件は1980年代に起こったということは、まさに、我が家がエホバの証人を熱心にやっていた頃の話。裏でこんな事態が進行していることを全く知る余地もなく。

ひそかに集団排斥という不義を行いながら、素知らぬ顔で「真理が、神の栄光が」と宣っているものみの塔を、我が家では完全に信じ切っていた。

知ること、調べることはとても重要。自分の手を動かして、目で見て、自分の頭で咀嚼する。道を誤らないためにこういった活動が必要。

エホバの証人1世信者にも複数の種類がいる

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エホバの証人2世が、抑えきれない破壊衝動で蛍光灯を割りまくる

エホバの証人2世の破壊衝動

エホバの証人の懲らしめという虐待による悪循環 

エホバの証人の子どもには、大きなストレスがかかる。一般の人、信者、親戚家族、誰に対しても模範的であれと言われる。子どもらしく大暴れすることは許されない。

ストレスはどこかで発散される必要がある。子どもの私は、密かに悪事を行うことで、ストレスを逃がしていた。

悪事が両親に露見しなければ、とりあえず懲らしめのムチという体罰を受けることはない。

エホバの証人の子どもが一見お利口に見えるのは、体罰による暴力の効果。エホバの証人的模範行動から逸れると、待っているのは懲らしめのムチ。暴力による制裁を受ける。

痛みは効くので、子どもは反射的にエホバの証人的行動を取るようになる。サーカスの動物と同じ調教方法。ところが、サーカスの動物ほど人間の子どもは単純ではない。

私のように、親がいない所で悪事を働くようになるのはマシな方。気を休め、息抜きの時間を持てている。問題がもっと重篤化するのは、

エホバの証人の子どもたちが、懲らしめという暴力によって、精神を病むこと。暴力や恐怖に対する対処療法として、体が痛みを感じなくなる。大ケガをしても死にかけても、笑っていられるエホバの証人2世ロボットの誕生。

エホバの証人には鬱病が多いとも言われている。これは子どもの頃から暴力を受けて、精神を病んだ結果。

また、暴力は連鎖する。体罰を受けて育ったエホバの証人の子どもは、暴力的になる。親が、問題の解決策として暴力という手段を示し続けた結果。

暴力は決して有効な解決策でなく、表面的な解決にすぎない。問題を余計にややこしくするのだが、子どもにはそんなことは関係ない。自らが受けた暴力を周囲にまき散らすようになる。

エホバの証人の2世信者に、DV加害者や子どもに対する虐待者が多いのは当然の結末。

私は、エホバの証人の子どもでありながら、親にバレないように悪事を行うことでストレスを発散していた。しかし、洗脳状態にはあるので、天にいるエホバという神に見られているという罪悪感があった。やがて罰が下されると考えていた。

いつか罪の報いを受けるという、強い罪悪感もエホバの証人2世の精神に暗い影を落とす。自分の命はハルマゲドンまでの限定的なモノで、寿命を全うすることができない。このため、刹那的な生き方へ誘導される。

エホバの証人の懲らしめという名の体罰と児童虐待

蛍光灯を割りまくるエホバの証人2世の子ども

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エホバの証人の王国会館で、児童性虐待が起きる理由

児童性虐待の温床、エホバの証人の王国会館

ものみの塔が隠蔽する児童性虐待

JW解約-エホバの証人の真理を検証するで発見した、エホバの証人解約のための資料を精読中。

第3弾「組織とスキャンダル」。児童への性虐待問題が隠蔽されていたスキャンダルについて取り上げている。まず、

エホバの証人組織内で児童性虐待が起きることがナンセンス。あなたが無駄にエホバの証人になったばかりに、自分の子どもがどこかの汚いオッサンの性のオモチャにされる。そんなことがあって良いはずがない。

つまり、ものみの塔には近づかないに限る。

もう一点、激ヤバなのが、ものみの塔が児童性虐待があったことを組織ぐるみで隠蔽しようとしたこと。この隠蔽体質、ものみの塔に関しては、本件だけではないので私は驚かない。

ものみの塔幹部が、組織内で児童性虐待が起きたという事実を知ったなら、当然隠すように指示する。エホバの証人の組織体質として当然。とはいえ、

最悪なのは被害者の方。救いを求めて訴えても握り潰される。勇気を出して告発しても、無かったことにされる。挙句の果てに、加害者の児童性愛者の方は組織内で守られ、自身の欲望を充たすべく児童性虐待に引き続き励むという無情。

エホバの証人が性的に危険な理由は、40才でも童貞だから

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