エホバの証人二世の楽しい病気の記憶
エホバの証人の集会とは
私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。週に3回もあるエホバの証人の集会には、毎回必ず連行されていた。集会とは、普通のキリスト教で言うところのミサのようなもの。信者の個人宅や、王国会館と呼ばれる教会のようなところで開催される。
エホバの証人はこの集会への参加を非常に重要視している。熱心なエホバの証人だった両親も同様。高熱が出るような状態でないと集会を休むことは出来なかった。ちょっとした風邪くらいだと絶対に休ませて貰えなかったので集会を休んだことはほとんどない。
学校を休んだ回数の方が圧倒的に多い。子供の頃の私は、本当に数えるほどしかエホバの証人の集会を休んだことが無かった。両親が集会で家を空けて、高熱が出ている自分が家で留守番をしている。この状態が子どもの頃の数少ない幸せな記憶として、まざまざと思い出すことができる。
テレビの熱を冷ますエホバの証人の子供
エホバの証人の集会に行かずに、好きなだけテレビを見れるのが嬉しくてたまらないのである。しかし、寝ないでこっそりテレビを見ていたのが両親にばれると後で酷く怒られる。両親が帰って来る30分前には、テレビを消して布団に潜り込んでいた。テレビの熱を冷ますため。
私は、14歳のときに初めて集会に行かないと両親に告げた。いわゆる脱塔宣言。もうエホバの証人をやめてやるということ。この日、両親が集会に出かけ、一人で家に残った時の激しい喜びはそれ以降感じたことがない。これからはこの時間を自分のために使えるのだ!
洗脳に使われるエホバの証人の集会とは
退屈かつ過酷なエホバの証人の集会
エホバの証人の集会は退屈で仕方がなかった。しかしそういったことを顔に出す訳にも行かない。集会で不真面目な態度を取れば、待っているのは懲らしめ。つまりは体罰。エホバの証人には児童虐待が常態化している。
懲らしめが怖いので、集会には真面目に参加するしかない。親に決められた回数は注解するために挙手をしてみたり、真面目な顔で公開講演のノートを取ったりという日々。
マインドコントロールに用いられるエホバの証人の注解とは
注解とはものみの塔協会の出版物の内容から出される質問に対して、挙手の上で答えるというもの。このために事前に予習が必要になる。注解のための質問は、出版物の節ごとに用意され、節内の文章を読めば答えは猿でもわかるレベル。
答えとなる部分の文章をそのまま読めば回答になる。ベテラン信者とか自分が頭が良いと思っている信者ほど、ひねった回答をしたり、自分の考えを加えたりするのだが、そんなものは全く求められていない。
進行の質問を読み上げる側の信者に、議論して意見を発展するつもりもなければ、その能力もない。決まった答えが得られない場合は、やんわりとその司会者によって否定され、挙手してもあてられる回数が減らされていくことになる。
予定調和、既定路線の回答をひたすら繰り返す。この反復がものみの塔協会マインドコントロール手法。子供たちは、元気に手を上げ、「エホバです」「イエスです」といった簡単な回答を舌足らずなうちから、たどたどしく行う。
こうすると集会後に他の信者に褒められ、親も鼻高々。子どもの間から、こうした報酬とこらしめという罰が繰り返し与えられ、エホバの証人2世はゴリゴリに洗脳されていくのである。
王国会館に逃げ込む弱者たち
もっとも私みたいなひねくれ者もいて、表面的には従っていたが、内心では反抗していた。自分より年下の子供が「エホバです」とかやっていると、馬鹿かと。そんなもん質問するだけ時間無駄だろと思ったものである。
集会後に別の信者にほめられても、お前らみたいな頭の悪い奴や醜い奴に褒められても嬉しくないぜと、心の中であっかんべーと舌を出していた。エホバの証人の信者は、身体に不具があったり、見た目や精神に何らかのコンプレックスを抱えた人間が多い。
彼らはそのコンプレックスと向き合わずに、王国会館の中に逃げ込んでいる。エホバの証人の教えどおりに、将来、地上が楽園下されれば、その自分の不具が癒されることになっているから。現実逃避している人間は醜い。私は子どもながらにそれを見通していたのだった。
エホバの証人の公開講演とは
日曜日の集会では公開講演という拷問タイムがあった。壇上から男性の信者がひたすら話し続ける。1時間弱も。この講演の筋書きはものみの塔協会側が作成したものである。この筋書きが無数に存在し、その中から毎週1本選ばれ、組織内で優秀とされる信者が話すのである。
この講演も既定路線のもので、自分の意見を加えることは話し手に許されていない。話し手以外の信者によるチェックが入るので、あまりに話を発展させたり、ひねりを加えると背教疑惑をかけられることになる。
このため、聴講する側は目新しいことの無い話を毎週聞かされることになる。しかも、要点をノートにとらなければならない。これが退屈で仕方がなかった。素人の洗脳信者の話す下手くそな講演である。
とはいえ、話し方についてはエホバの証人は徹底的に訓練される。エホバの証人風ではあるが、言葉の反復・抑揚・身振り手振りと。「エホバの教えを宣べ伝え、宣べ伝え、宣伝し続けましょう!」と毎週やられるのである。
私は、この吐き気を催す茶番に毎週、参加させられていた。物心ついた時から中学2年生になるまで、これを続けていたのである。恐ろしく不毛で狂気を感じる。
エホバの証人2世の子供が受ける現実的なダメージ
エホバの証人が集会に奪われる時間
エホバの証人の集会に行くために無駄になった時間は、少なく見積もっても週に8時間である。2時間の集会が2回、1時間の集会が1回、それぞれの曜日の集会に通う往復の時間と、集会前後の交わりや掃除の時間を1時間として週に8時間。実際はもっと多くなるだろう。
交わりというのが王国会館での集会後の時間。信者どおしの傷の舐めあいタイムである。注解した子供が褒められたり、講演を行った信者に握手を求めたり。信者たちが他の信者の噂話をしたりという時間。その後で王国会館の掃除もしなければならない。
これに集会の予習や、割り当てと呼ばれる自分が講演の真似事をしなければならないときの準備の時間が加わる。合計して週に10時間くらいだろうか。1ヶ月でざっと50時間である。
エホバの証人が伝道に奪われる時間
さらに伝道奉仕活動の時間を加える。この伝道奉仕がエホバの証人の特徴で、まさに家から家へと呼び鈴を鳴らしまくり、信者の勧誘を行うことが強制される。土曜の午後に3時間、日曜の午後に2時間である。週に5時間、月で25時間となる。
学校の終ったあと、夕方に伝道に連れて行かれることもあった。「お腹空いたよ。疲れたよ」と母親に甘えることは決して許されなかった。
小学校に入る前は、正規開拓者だった母に伝道へぬかりなく連行されていたのでこんな時間では収まらない。正規開拓者とは伝道奉仕者の中でも、ただ単に多く時間を費やすと宣言し、自分にノルマを課した人のこと。時間さえ費やせば、エホバの証人組織内では立派な信者とされるのだ。正規開拓者だと年間1000時間は伝道活動に費やさねばならない。
エホバの証人が失った時間
集会とその予習などにまつわる時間50時間と伝道の25時間を足すと月間で75時間はものみの塔協会ために時間を浪費していたことになる。これが年間だと900時間になる。私がエホバの証人をやめたのが14歳なので900時間×14年=12600時間という膨大な時間になってしまう。少なく見積もってこの時間である。
この時間で何を出来たかと今考えても仕方がないことは重々承知している。しかし、惜しい時間だったことは間違いない。時給1000円で計算しても簡単に一千万円を超えるのだ。恐ろしく貴重で膨大な時間。
エホバの証人2世として育てられたことの精神的なダメージばかりに目が行くのだが、実際には時間という取返しのつかないダメージも大きいのである。
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