エホバという傷を癒すため、ものみの塔思考をやめる

人生フルベットを要求するカルト

私の両親がエホバの証人というカルトに騙されてしまったのは、ものごとを信じやすい性格と依存体質が影響していた。民間療法や迷信めいたものを信じやすく、言われるがままに疑わない性格。そして、一旦のめりこむと極限まで突き進む一途な真面目さ。

この隙を突かれ、両親はものみの塔というカルトに何もかもを奪われた。ものみの塔協会は、組織外部の言葉には一切耳を貸すなと指導する。それはエホバという神に敵対するサタンの攻撃、誘惑だからと。

私の両親は馬鹿正直にこの言葉にも従ってしまう。一旦、エホバの証人と他のカルトや一般的な宗教とを比較するべきだった。それを怠ったがために深いマインドコントロール状態に陥り、人生の大半を失い、一家も崩壊した。

輸血拒否、熱心な布教活動など、エホバの証人は傍から見ればカルトそのもの。一般的な寺社仏閣に依る限り、一定額以上に自分の時間や金を巻き上げられることもない。逆にエホバの証人は全力投球、人生の全力投資、ものみの塔へのフルベットを要求してくる。

祈祷一回いくら、お祓い代何円と決まっているのは守銭奴でも何でもない。上限があるのは健全。全財産を巻き上げられることがないから。

危険なものみの塔的思考方法

ものみの塔協会はあらゆることを正邪、善悪の二択で決めつける。この思考方法は、頭を使って徹底的に考えることがないので楽。しかし、世界はそんなに単純にできてはいない。

悪いものの中にも善があり、親切な顔をした人ほど不義だったりということは良くある話。誰にも裏の顔があり、また意外な良き面がある。清濁混沌としているのが世界の真実。

ものみの塔は、信者を情報統制下に置き、混沌という世界の真実を隠す。ものみの塔だけが真理を語るただ一つの組織であると、信者をマインドコントロールする。こうして、エホバの証人は、真理は唯一、なにごとも回答は1つだけというエホバの証人的単純思考に至る

こうなると、何も耳に入らない。一切の外部の忠告、心配を全てシャットアウト。すべて悪魔サタンの手先と化した人々の世迷言だと決めつける。

ものみの塔は、「あなたがエホバの証人になると必ず身近な人が反対します」と予言している。信者たちは、家族や親族の反対にあうと、この予言が成就したと思い込む。そして、さらにマインドコントロールを深めていく。

エホバの証人的思考から自由になる

エホバの証人をやめたあと、私はいかにエホバから離れるかとそればかり考えた。エホバが敵ならば、追い求めるべきは非ものみの塔的なモノという思考の順路。

結果、逆説的にエホバの支配下に留まってしまうことになる。「エホバ=敵」は正しいのだが、求めるべきはエホバ以外の何かで反エホバではない。直線で考えるとエホバとその逆、反対方向しかない。これがエホバの証人的思考。

面で考える。エホバという小さな点があって、この世界はそれを含む面。空間でも良い。エホバという小さな一点があり、世界はそれを含む空間。進めべきは、求めるべきは、あらゆる方向にある。世界はありとあらゆる可能性で充ちている。

難しいのはエホバの証人をやめることだが、やめた後の傷の治癒も困難。大事なのは、ものみの塔的な決めつけ型の思考から自由になること。

このときに大事な考え方が、いい加減でいいということ。人生は100%キッチリでなくて良い。ものみの塔は、教理を完璧に一切の抜かりなく遵守することを強要してくる。親が信者であれば、子どもにも同様の強制をする。

元エホバの証人は、何かをしようとしたときに100%でやらなければならないと思いこんでしまう。これがエホバの証人の後遺症。100%でやれない自分に傷つき失望する。しかし、モノゴトはだいたいで良い。70%やっていれば十分すぎるほど。

人間は完璧じゃないと、ものみの塔は言うよね。その通り、100%でやり続けることなど不可能。7割とか、3割でも良い。諦めずにやり続けることを優先する。失敗してもまたやり始める。

エホバの証人の後遺症はこちら

ものみの塔の情報統制手法はこちら


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