エホバの証人のことを誰より思っているのは、反対者

結局、エホバの証人のことを一番思っているのは・・・

反対者を悪魔扱いするエホバの証人

エホバの証人は、信者であることを妨害する家族や親族のことを悪魔の手先だと忌避する。ものみの塔にそうマインドコントロールされているため。本人のためを思い、カルトから脱会させようとすると悪魔扱いされる。周囲はその状況が不条理に思えてならない。

エホバの証人はマインドコントロールされ、ものみの塔しか見えなくなっている。そのため、自分の信仰、つまり盲信状態を守ることに固執する。自身の盲信にわずかでも水を差す反対者に対して、好意的であることはない。

こうして信仰者とはとても言えない、了見の狭い盲信者が完成する。

異なる意見に耳を貸そうともしない。それらはすべて悪魔サタンの攻撃であるとものみの塔に唆されている。危険なモノを避けているつもりで、実は本人のことを心配する意見をシャットアウトしている。

人生に害しかもたらさないエホバの証人活動

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我々は天の法廷の下でものみの塔を葬る責務を負っている

ものみの塔を倒す責任

エホバの証人に関わったのがすべての間違いの始まり

北海道のエホバの証人広島会衆の集団排斥事件について。1980年代中ごろの大昔の話だが、当時の資料を読んでいる。

資料へのリンクは、エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)

彼らが、排斥になって間もない頃に裁定者に出した手紙より。自分たちを排斥し、裁きの日に滅ぼされることを余儀なくさせた上層部の不条理を糾弾している。突拍子もない話なのだが、当時は信じちゃっていたということ。

エホバ神のみ前で流血の罪を負い、天の法廷を侮辱する行為となることを知らないというのでしょうか。エホバ神は生きておられ、このことをご覧になっているはずです

この前提に誤りがある。

エホバ神は生きていないので。つまりは見てもいない。よって、天の法廷など存在しない。この前提が間違っていたために、この人たちは時間を無駄にし、無意味に傷つき、人生を浪費した。

流血の罪というのは、大げさに訴えたにすぎないのだが、ハルマゲドンでの滅びを自分たちに押し付けた、それを組織側の罪・霊的殺人と言っている。しかし、これではものみの塔側に裁きの日の最終ジャッジの権限があると認めているようなモノ。

組織に残りたくて、この手紙を書いたのだから仕方がないのだが、視座をどこに据えるかがいかに重要か分かる。

しょーもないエホバとかものみの塔に、当初から関わるべきではなかった。そして、一遍たりともエホバとかものみの塔の権威を信じてはいけない。エホバは偽神で存在すらしないし、ものみの塔なんてただのダサいグループ。

関わったが最後、精神や身体を病み、人生のすべてを搾取される。

でなければ、私のようにものみの塔と戦い続けるか。巨悪・完全悪であるものみの塔の存在を知ってしまった以上、それを見逃すことは出来ない。

今でも、人生そのものを搾取されている被害者が世界中に1000万人も存在する。ものみの塔という悪の権化を知ってしまった以上は、心身に余裕があれば、ものみの塔の壊滅を望むのが人間としての正しい生き方。

私も脱会してからここまで来るのに20年かかった。まずは自分の心身と生活の安寧、経済状況の安定を。状況が整えば、ものみの塔をこの世界から消滅させる行動を。

ものみの塔協会の14万4000人の嘘とエホバの証人の錯覚

エホバの証人のハルマゲドンと永遠の命という悪い冗談

天の法廷の下でものみの塔協会を葬る責務を負っている

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エホバの証人の霊的パラダイスという脳内お花畑現象

脳内お花畑の霊的パラダイス

エホバの証人の霊的パラダイスという脳内お花畑

エホバの証人の北海道広島会衆で起きた大量排斥事件の資料『事件簿』。資料はエホバの証人 – STOPOVER(途中下車)で閲覧可能。

序盤、広島会衆の発足から、事件前夜までの様子が描かれている。著者は広島会衆に派遣され、やってきたが会衆内は妬み、陰口、噂話の温床と化していた。

ものみの塔協会は裏の真実の姿を知っているにもかかわらず、外部には霊的パラダイスは成就していると宣伝している

霊的パラダイスとか言っちゃってるのが、脳内お花畑。霊的に救われたって、この高度資本主義社会では良いことなんて何にもない。ただの現実逃避。自己満足。

まずは最低限の金・モノがないと。その上でようやく精神の安定・向上の機会が得られる。今日・明日の喰うモノ、月末の支払い、年内の支払い、そんなことに煩わされている間は、精神も満たされない。

そりゃ何かを呪って陰口も叩きたくなる。エホバの証人は精神の安定の前に、生活の安定を図るべき。現実をうっちゃって霊的パラダイスとか言っているから、みっともない噂話や陰口が横行する。

エホバの証人は楽園での永遠の命というものみの塔の撒き餌に泳がされ、輝ける今を見失っている

楽園で永遠に生きるという屈辱的な生活

盲人を貪り食うものみの塔協会

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元エホバの証人2世が知らない、ステファノって誰?

ステファノって誰?

北海道広島会衆の『事件簿』

北海道のエホバの証人の広島会衆で起きた集団排斥事件についての資料を読んでいる。前回はこの事件から着想を得て、この事件を頻発させればものみの塔を崩壊させられるのではないかと書いた。

一緒にものみの塔を崩壊させてくれるエホバの証人大募集!/エホバの証人の会衆・支部ごと排斥大作戦

資料『事件簿』は下記で閲覧可能

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)

ここで訂正。事件が1978年に起こったような書き方を何度かしていたが、1978年は北海道の広島会衆が設立された年。集団排斥事件は1980年代中盤の話。間違っていました。過去記事も可能な限り修正しておきます。

広島会衆の発足が1978年で、事件は1980年代に起こったということは、まさに、我が家がエホバの証人を熱心にやっていた頃の話。裏でこんな事態が進行していることを全く知る余地もなく。

ひそかに集団排斥という不義を行いながら、素知らぬ顔で「真理が、神の栄光が」と宣っているものみの塔を、我が家では完全に信じ切っていた。

知ること、調べることはとても重要。自分の手を動かして、目で見て、自分の頭で咀嚼する。道を誤らないためにこういった活動が必要。

エホバの証人1世信者にも複数の種類がいる

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『解毒』:エホバの証人が持ちえない無償の愛とは・・・

元エホバの証人2世の女性が書いた『解毒』

元エホバの証人2世の女性が書いた『解毒』

元エホバの証人2世の女性が書いた『解毒』。エホバの証人2世の境遇が克明に描かれている。現役エホバの証人が隠れて読むなら電子書籍がおすすめ。

子どもに価値観を強制するエホバの証人の親

「子どもが生きがい」となっている親の場合、子どもにとっては、その期待やプレッシャーが大きな負担となることが多い。子どもは、「親の理想を叶えるための道具」ではない。たとえ親子であっても、それぞれに「自分の価値観」や「自分の世界」を持つことが必要

これはエホバの証人の親子でなくとも、通常の親子でもあてはまる。子どもには子どもの人格、個性、長所がある。親はそれを認めなければならない。自分と違って当然。自分だって、自分の親とは違う一個の人間でしょ。だったら、子どもも親と違って当然。

こういう考え方ができないのがエホバの証人の親。自分がエホバの証人ならば、子どももエホバの証人になって当然と考えている。私も両親によく言われた。「お前が大人になってベテルに入ってくれたら嬉しい」と。

ベテルというのは、エホバの証人の本部に隣接する出版工場+社員寮のような所。ものみの塔の宗教本を製作・印刷しつつ、そこで生活する。世俗の仕事をせず、ものみの塔に全てを捧げるという、若くして人生終えちゃった人が入る所。

エホバの証人だった両親は、こんな所に一人息子を入れたいと、自身の価値観を押し付けてきた。

エホバの証人に欠如している無償の愛

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『解毒』:日本初の排斥エホバの証人の本、エホバの証人の排斥とは?

日本で初めての排斥されたエホバの証人による著書

元エホバの証人2世の排斥者が書いた『解毒』

元エホバの証人2世の女性が、顔出し実名で書いた『解毒』。私は単行本で読んだのだが、家族に隠れて読みたいという人は電子書籍がおすすめ。

本書が、日本では初のエホバの証人排斥者による執筆であることが、作中で触れられている。

排斥とは、エホバの証人の組織から追い出されること。重大な戒律違反を犯した信者に適用される。私のイメージでは、ほとんどが婚姻外の性交渉、もしくは背教行為。

エホバの証人の場合は、教団に対する不信感の表明や、教理の矛盾の指摘程度の些細なレベルから背教行為とみなされる。

エホバの証人の排斥とは?

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エホバの証人をやめるときの3つの注意点(正しい脱会方法のまとめ)

人生は生きる価値がある。エホバの証人をやめたなら

エホバの証人をやめるときの3つの注意点

  1. バプテスマを受けない
  2. 排斥されない
  3. 誰も傷つけない

エホバの証人をやめるときに気を付けること3つ。マインドコントロールが解けてエホバの証人をやめる決意をした後の話。

その前の段階の人は、まず自分の頭で考えて、エホバの証人組織と自分の生き方に疑問を感じましょう。そして、教団の外で生きていく決意を固めましょう。

排斥にならないためにバプテスマを受けない

1.バプテスマを受けない

エホバの証人を穏便にやめるためには、バプテスマを受けないことが大事です。

既にバプテスマを受けてしまった場合はどうすれば良いの?と聞かれそうですが、バプテスマとは、ものみの塔という偶像に命をかけると献身する行為です。もう後には戻れないので諦めましょう。

というわけにはいかないので、あとの2つの注意点に気を付けましょう。

バプテスマを受けると排斥されるリスクが高まります。排斥された元信者はエホバの証人信者から村八分の扱いを受けます。家族内でも排斥者に対しては最低限の接触にとどめなければならない、というものみの塔の戒律があります。

エホバの証人をやめたからと言って、ものみの塔のマインドコントロール下にある哀れな肉親と話せなくなるのは嫌ですよね。

バプテスマを受けていない非信者の人は、タバコを吸っていてもお咎めなしなのに、一旦バプテスマを受けてしまうと、そうはいかなくなります。喫煙しているのを目撃されたり、背教じみた質問をして目をつけられると排斥になる恐れがあります。

エホバの証人2世の子どもだと

「あなたと同じ年のあの子は、もうバプテスマを受けている」と、親が羨望のまなざしを向けることがありがち。子どもとしては自尊心を損なわれることになります。

そのため、けなげにも何とかして自分もバプテスマを受けようなどと思います。これが危険。

バプテスマを受けないままなら、年頃になって異性とデートしたりしても、見逃して貰える風潮があります。ところが、なぜか一旦バプテスマを受けてしまうと、異性と話しているのを目撃されただけでも排斥になるリスクがあります。

バプテスマなんて、プールに潜るだけの茶番なのに、おかしな話ですが。

エホバの証人の排斥者に対する愛の欠けた行為

エホバの証人をやめるときの注意点2つ目です。

2.排斥されない

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エホバの証人の長老が暴力を振るう、3つの原因とは?

エホバの証人の長老が暴力的になる理由とは?

エホバの証人の長老の暴力

私はほとんど生まれながらにしてエホバの証人2世だった。両親とも狂信的なエホバの証人で、子どもの頃から、ものみの塔の教理を厳格に押し付けられて成長した。

さらに、私の父は、エホバの証人の会衆の長老だった。

会衆とはエホバの証人のコミュニティ単位のことで成員100名程度。長老はその中から数人が任命される。エホバの証人の支店長のようなモノ。私の父は、その長老の中でも「主宰監督」と言われる、会衆の責任者だった。

私は、その父に何度か物を投げつけられたことがあった。小学生の高学年から中学生2年生の間、私がエホバの証人をやめる頃の話。

エホバの証人の懲らしめと呼ばれる体罰は、ケガをしないようにお尻をベルトや素手で叩く。これは組織推奨の教育手段。組織的にこんな児童虐待が行われているだけでも、エホバの証人は異常。

しかし、私の父はもっと常軌を逸していた。子どもの私に対して固い本や食器を投げつけてくるのだった。

まさか、本当にぶつけようとして投げてきたわけではないとは思う。だが、私の顔の真横をかすめた固い物体が、部屋の壁に大きな穴を開けたことがあった。私が避けずにいれば、ケガは免れなかった。

エホバの証人の長老が暴力を振るう原因3つ

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子どもの排斥を怖れるエホバの証人親の逆効果、元エホバの証人2世の大暴走

元エホバの証人2世の反動の10代

親子の絆を断ち切る、ものみの塔の排斥処分

私は生まれながらにしてエホバの証人の2世信者として育てられた。

エホバの証人とは通称JWという自称キリスト教系の新興宗教。ものみの塔聖書冊子協会という名前でも知られている。2世信者とは、親の宗教を押しつけられる子どものこと。

私は、14才になる年に自分の意志でエホバの証人をやめた。

その後は、親や宗教に縛られた反動でやりたい放題の人生を歩んできた。ものみの塔によって禁止されているようなことをあえて選んでやっていた。反エホバ、否ものみの塔という立場を積極的に取っていた。

私は20才で家を出るまでは、いまだエホバの証人だった両親と同居していた。”この世”の法律で禁止されているような、未成年の喫煙や飲酒などにも私は手を出していた。ものみの塔的にも、当然それらは禁止。

両親はこの頃になって、私に対して急に甘くなった。幼い頃にものみの塔の戒律を厳重に押し付けてしまったことへの贖罪のつもりだったのだろうか。持て余していただけなのか。もはやこれは確認しようがない。

未成年の子どもがタバコを吸っているなんて、エホバの証人の親としては発狂するような状況。大人のエホバの証人信者でも、喫煙しているのが見つかると排斥処分になる。

排斥とはエホバの証人的村八分で、組織から追い出され、充分に悔い改めたと認められるまで復帰できない。排斥者とは、家族であっても最低限の接触に留めなければならない。街で偶然会っても挨拶すら禁止。

現役エホバの証人の父親にしてみると、一人息子が喫煙を理由に排斥されてしまうことは避けたかった。それは親子の絆が断ち切られるも同然だから。

私のように、ものみの塔協会に献身する前だと排斥にはならない。献身とはバプテスマと呼ばれ、ものみの塔に何もかも捧げると誓う儀式のこと。私がなかなか「バプテスマを受けろ」と両親に言われなかったのは、排斥回避のためだったのかも知れない。

エホバの証人2世の子供のハードスケジュール

中卒上等、エホバの証人2世

エホバの証人の両親による教育の反動

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ものみの塔協会の不完全な教理は、決して真理ではない

真理の経路が人間って・・・

楽園に入りたくないエホバの証人2世

私は生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。

エホバの証人というのは自称キリスト教系の新宗教。日本ではものみの塔という呼び方でもよく知られている。

私は、14才のときに自分の意志でエホバの証人をやめる。苦心の末、やっとエホバの証人をやめるという決意を両親に告げた。

エホバの証人の集会へ出かける時間になったとき、両親に

「もう集会には行かない」と、言うのがやっとだった。

その後、集会から帰ってきた両親により、私の事情聴取が始まった。いったいどういうつもりで、もう集会に行かないというのか?ということ。

両親は、これ以前からの私のエホバの証人活動への身の入らなさから、ある程度はこういった事態を予想していたはず。この頃の私は、常にエホバの証人をやめたいと考えていて、理論武装を固めていた。

私の人生の意義はエホバの証人が求めるものとは違う。「ハルマゲドンまでの限られた命で構わないから、二度と繰り返されることのない現在、今を思い通りに生きたい」と話した。

エホバの証人である間は、かたくるしい教理に縛られ、何一つ自分の思い通りに行動できない。私は、それがもう我慢ならなかった。

エホバの証人は、すぐにでもハルマゲドンというこの世の終わりが来ると、マインドコントロールされている。

ハルマゲドンを生き残れるのは、清らかなエホバの証人だけ。ハルマゲドン後、エホバの証人たちは楽園に造り替えられた地球で永遠に生きるという設定になっている。

私は「両親と一緒に、楽園で永遠の命を享受したいとは思わない」と、はっきり告げた。

筋道が通っていて、エホバの証人をやめるには十分な理由なのだが、こんな話をしても、両親はただ悲嘆にくれるばかりで話が通じない。マインドコントロールが深いと、他人がどう考えているのか、おもんばかることができない。

マインドコントロール信者のなかにあるのは、自分とものみの塔の関係だけ。正しいのは、常にエホバの証人の教理。他のことが一切見えなくなっている。マインドコントロール親には、実の息子の本当の願いすら見えていない。

さらに、この頃の私はものみの塔の教理の矛盾にも気付いていた。この晩の事情聴取で、背教じみたことも両親に対して口にしていた。

批判的にエホバの証人の講演を聞いたり、疑いながらものみの塔の宗教本を読んだりすると、ツッコミ所はどれだけでも出てくる。完全、完璧な真理では決して無い、ということが見えてくる。

ものみの塔協会の不完全な教理は真理ではない

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