排斥処分から見るものみの塔、構造的に悔い改め不可能

家族を愛することを許さないものみの塔協会

エホバの証人には「排斥」という戒律がある。排斥とはものみの塔協会からの破門宣告。喫煙、淫行、輸血、背教など、エホバの証人的重罪を犯すと、組織により宗教裁判にかけられ、有罪になると排斥になる。

この宗教裁判は審理委員会と呼ばれ、結論ありき、上位下達の一方的な判決を下す場。

排斥者は家族内でも村八分、食事など最低限の接触以外は許されない。組織内の一般信者からは無視される。本人が組織への復帰を望んでも、一般信者が声をかけることは許されない。

エホバの証人に戻りたい場合は、村八分状態に耐え、一定期間の反省の姿勢を示す必要がある。その後、ようやく組織側の判断で排斥処分が解かれるケースもある。

私は、生まれながらのエホバの証人で14才のときに自分の意思で脱会。その後、エホバの証人の戒律を全無視していたが排斥にはならなかった。そのため、両親の態度は変わらず。

万が一、私が排斥になったとしたら?両親は組織の掟を守り、私を家族内で無視しただろう。こうなると、両親の愛情がどちらに転んだか。一人息子か、ものみの塔組織か。今となると定かではない。

ものみの塔協会は、排斥された家族は愛するなと言っている。家族を幸せにすることすら出来ない宗教がエホバの証人。ものみの塔至上主義の偶像崇拝集団。

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「悔い改め」られないものみの塔協会

最近の対外的なものみの塔記事では、排斥者に対しても組織的に愛を示すことが強調されている。これはあくまで外向きの話で、内実は変わっていないものと思われる。

私みたいなものみの塔全否定者に、あれこれと現役信者に暴露されると、ものみの塔にとっては不都合。貴重な信者を減らすことにつながるから。そのため、背教的な排斥者は徹底的に忌避せざるを得ない。

この点、ものみの塔は自身の洗脳技術にもっと自信を持てば良いのだが、病的なほどに臆病。私がとやかく言ったところで、頑迷なエホバの証人の洗脳は簡単には解けないって。

対外的であれ、排斥者にも愛を示すという方向に変化。これを改善と見る向きもあるのかも知れない。しかし、今までに排斥という仕組みで崩壊させてきた数多の家族。ものみの塔は、この家族たちに対して詫びることは決してない。

これは数々の預言ハズシ後のだんまり沈黙という実態から明らか。また、多くの家族を不幸にした事実を認めることは、宗教としての本質を問われることになる。ものみの塔としては多く家族を崩壊させた事実を認める訳にはいかない。

ものみの塔協会は、悔い改めの姿勢を示すことすら構造的に不可能。これで「キリスト教系の宗教です」とよく言えたものだ。


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