『解毒』:日本初の排斥エホバの証人の本、エホバの証人の排斥とは?

元エホバの証人2世の排斥者が書いた『解毒』

元エホバの証人2世の女性が、顔出し実名で書いた『解毒』。私は単行本で読んだのだが、家族に隠れて読みたいという人は電子書籍がおすすめ。

本書が、日本では初のエホバの証人排斥者による執筆であることが、作中で触れられている。

排斥とは、エホバの証人の組織から追い出されること。重大な戒律違反を犯した信者に適用される。私のイメージでは、ほとんどが婚姻外の性交渉、もしくは背教行為。

エホバの証人の場合は、教団に対する不信感の表明や、教理の矛盾の指摘程度の些細なレベルから背教行為とみなされる。

エホバの証人の排斥とは?

ものみの塔というカルト教団から追い出される排斥処分になっても、何ら問題はない。排斥者だからと言って、付け回されて嫌がらせを受けたり、家に毒ガスを散布されたりということはない(はず)。

むしろ逆で、エホバの証人の排斥は教団からの村八分扱い。エホバの証人は、排斥者とは街で偶然会っても挨拶すら禁止。

本人が復帰を望んでも簡単に許されることはない。エホバの証人の王国会館へ再度通っても、組織側から許しが出るまでは、一番後ろの目立たない席に独りで座らなければならない。

しかも、集会が始まった後、こっそりとやや遅刻気味に入ってきて、終わる前に密かに返っていくという幽霊状態での参加。小学生のイジメレベル。そうして反省の態度を示すことで、数年経つと復帰が許されるケースもある。

そこまでしてカルト復帰する必要などさらさらないのだが、著者は排斥後も王国会館へ通い続け、村八分状態のイジメにあい、心を病んでいる。自称愛に満ちた宗教とはとても思えない仕打ち。

排斥者たちが復帰を望むのは、以下のような理由から。マインドコントロール状態にあり、エホバの証人が真理であると思い込んでいること、エホバの証人の中にしか人間関係を築けていないこと。

※2024/3追記。2024年3月に方針変更があり、集会に来た排斥者に対しては挨拶が解禁された。逆に言うと、挨拶程度の解禁にすぎず、忌避制度は継続。

エホバの証人の排斥者家族に対する仕打ち

著者も体験しているのだが、エホバの証人の排斥で一番の問題なのは家族間の絆をも断ち切られること。エホバの証人は、排斥者に対しては家族であっても最低限の接触しか許されない。

エホバの証人は、子どもの教育に悩んだ母親が入信するケースが多い。わが家の場合もまさにそうだった。それなのに!排斥になれば家族内でも村八分とは・・・本末転倒。

末期症状のエホバの証人たちは深くマインドコントロールされるので、そんな根本的なことにも気づけない。家族を不幸にする宗教には、何の意味もない。

排斥という組織崇拝・組織優先の教理で家族を破壊するのならば、エホバの証人という宗教は有害でしかない。

天にエホバはいないし、ハルマゲドンは来ない。人生は、今の人生これ一度っきり。そして、世界は広く、美しく、醜く残酷。良い日があれば悪い日もあり、時にいい出会いがあり、未来は無限に広がる。ゆえに生きる価値も、意味もある。

エホバの証人は、王国会館という嘘にまみれた、狭い単一色の世界からいち早く抜け出すべき。

他のカルト本

『カルト宗教信じてました。』

『カルト村で生まれました。』


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