エホバの証人の霊的パラダイスという脳内お花畑現象

エホバの証人の霊的パラダイスという脳内お花畑

エホバの証人の北海道広島会衆で起きた大量排斥事件の資料『事件簿』。資料はエホバの証人 – STOPOVER(途中下車)で閲覧可能。

序盤、広島会衆の発足から、事件前夜までの様子が描かれている。著者は広島会衆に派遣され、やってきたが会衆内は妬み、陰口、噂話の温床と化していた。

ものみの塔協会は裏の真実の姿を知っているにもかかわらず、外部には霊的パラダイスは成就していると宣伝している

霊的パラダイスとか言っちゃってるのが、脳内お花畑。霊的に救われたって、この高度資本主義社会では良いことなんて何にもない。ただの現実逃避。自己満足。

まずは最低限の金・モノがないと。その上でようやく精神の安定・向上の機会が得られる。今日・明日の喰うモノ、月末の支払い、年内の支払い、そんなことに煩わされている間は、精神も満たされない。

そりゃ何かを呪って陰口も叩きたくなる。エホバの証人は精神の安定の前に、生活の安定を図るべき。現実をうっちゃって霊的パラダイスとか言っているから、みっともない噂話や陰口が横行する。

エホバの証人は楽園での永遠の命というものみの塔の撒き餌に泳がされ、輝ける今を見失っている

楽園で永遠に生きるという屈辱的な生活

盲人を貪り食うものみの塔協会

ところが、筆者は愚直にも広島会衆の”霊性”を改善しようと奔走する。ものみの塔の方針に沿って、王国会館を建設したり、開拓奉仕者を増やそうとしたり、会衆の霊性を上げようとしているのだが、これが間違い。

まあ、内部にいる人は気づけないのだが、前書きの引用にあった

彼らは盲目の案内人なのです。それで、盲人が盲人を案内するなら、二人とも穴に落ち込むのです。(マタイ15:14)

のとおり。

ひいき目に見ても盲目の案内人でしかないものみの塔の言う通りに行動したため、著者もドツボにハマる。そして、ものみの塔は盲目の案内人ではない。盲人を穴に落として、むしりとる周到なハゲタカ。もっとたちが悪い。

著者はハゲタカの言う通りに、会衆内の霊性を取り戻すため不穏分子を正していく。不穏分子といっても単に厄介な女性信者。どこにでもいる被害妄想・自己中心的な輩。ところが、この厄介人間が声のデカいタイプだと、注意しないと足元を救われる。

ところが、著者はそんな組織的立ち回りなど頭に無い。純粋無垢のエホバの証人。正しく正しく行動する。陰口をやめない女性信者を開拓奉仕者から降ろす。子どもの振る舞いがエホバの証人的に”ふさわしくない”女性信者も同様に開拓者から降格させる。

両人とも本人納得の上での降格とされているが、このタイプの陰口人間の納得はその場限り、表面的なモノに過ぎない。結果、厄介信者が隣の会衆に駆け込んで、あることないこと吹聴したのが事件の始まり。

本文にも書かれているが、きっかけは実につまらないもの。いったいなにが霊的パラダイスなのか。底辺レベルの人間牧場というのが実に”ふさわしい”。


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