エホバの証人2世の子どもに友達はいない
エホバの証人の2世信者が大人になった時に愕然とすることが、エホバの証人の世界以外に友達がいない、できない、作れないということ。
子どもの頃から、エホバの証人以外の友人と遊ぶと親は良い顔をしない。ゲームやテレビなどを禁止されるため、一般の子どもと共通の話題もない。結局、困ったときに助けてくれる人はエホバの証人しかいない。
しかし、その信者が同年代であるとしても、心から打ち解けた話はできない。その同年代の子どもは、親のスパイだから。
本人たちにその気はなくとも、エホバの証人は互いに監視しあっている。たいていの話は親に筒抜けになってしまう。気になる異性の話なんかは絶対にできない。
そのため、同年代のエホバの証人との友人関係は、形式的なモノになりがち。
また、親の大人世代からは、同年代のエホバの証人の子どもどうしは比較対象にされる。「あの子はもう伝道奉仕者になった」、「誰々は次の大会でバプテスマを受ける」と、聞かされる。
私が連れて行かれていたエホバの証人の会衆にも、洗脳が進んでイカれ具合が激しい2世信者の同級生がいた。
その子は、中学生にしてバプテスマという洗礼の儀式を受けていた。バプテスマというのは、「何もかもをエホバの証人組織に捧げます」と誓いを立て、洗礼の儀式をうけること。私は両親から、その子に対して劣等感を抱くよう仕向けられていた。
エホバの証人2世の子どもたちは、相互監視と互いに比較され競わされるライバル関係にある。こんな環境で本来の友人関係を築くことは不可能。
そもそも、騙されて集められてきた人だらけのエホバの証人の王国会館に、素敵な人間関係が待っているはずがない。洗脳が解ければ、恥の過去。消したい過去。屈辱の歴史。そんな連中とつきあい続けたいとは、私には思えない。
形式的で表面的な人間関係しか築けないエホバの証人
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