カルトを擁護することの問題その2
昨日の記事でカルトを擁護することの問題その1として、愚かな者が騙されるのを促進していると書いた。「信教の自由」が保障されているからと、愚かな人々が人生そのものを搾取されるのを見過ごしている。カルトを擁護する者は、その搾取活動を促進している。
とはいえ、「信教の自由」は憲法で規定されているからという反論。それが浅はか。弱者をむさぼり喰うカルトに自由は与えるべきではない。
また、騙されていることに気付きもしない人々が享受している自由は、「信教の自由」のみ。その「信教の自由」のせいで精神的に束縛を受け、人生そのものの自由選択権を放棄させられている。
エホバの証人が輸血を拒否するために命まで投げ出すことがそれを証明している。
カルトにまで「信教の自由」が与えられている現在の仕組みが異常。
本日は問題その2。問題その1と共通なのだが、カルト信者は騙されているというのが前提。
カルト教義が真実であれば、存在自体が容認されるべきではない。エホバの証人の祈りが国家転覆を成し遂げるのであれば、祈らせるべきではない。
エホバの証人がどれだけ祈ろうが、彼らの待つハルマゲドンは起こらない。よってエホバの証人はただ妄想を抱くだけ人畜無害の愚か者ということで「信教の自由」の建前のもと放置されている。
ここで2つ目の問題。果たしてエホバの証人はただの愚か者集団で人畜無害なのか?
カルトの暴走に先に手を打て
“エホバの証人(JW)が暴走しないという、平和ボケ” の続きを読む