エホバの証人(JW)が暴走しないという、平和ボケ

カルトを擁護することの問題その2

昨日の記事でカルトを擁護することの問題その1として、愚かな者が騙されるのを促進していると書いた。「信教の自由」が保障されているからと、愚かな人々が人生そのものを搾取されるのを見過ごしている。カルトを擁護する者は、その搾取活動を促進している。

とはいえ、「信教の自由」は憲法で規定されているからという反論。それが浅はか。弱者をむさぼり喰うカルトに自由は与えるべきではない。

また、騙されていることに気付きもしない人々が享受している自由は、「信教の自由」のみ。その「信教の自由」のせいで精神的に束縛を受け、人生そのものの自由選択権を放棄させられている。

エホバの証人が輸血を拒否するために命まで投げ出すことがそれを証明している。

カルトにまで「信教の自由」が与えられている現在の仕組みが異常。

本日は問題その2。問題その1と共通なのだが、カルト信者は騙されているというのが前提。

カルト教義が真実であれば、存在自体が容認されるべきではない。エホバの証人の祈りが国家転覆を成し遂げるのであれば、祈らせるべきではない。

エホバの証人がどれだけ祈ろうが、彼らの待つハルマゲドンは起こらない。よってエホバの証人はただ妄想を抱くだけ人畜無害の愚か者ということで「信教の自由」の建前のもと放置されている。

ここで2つ目の問題。果たしてエホバの証人はただの愚か者集団で人畜無害なのか?

カルトの暴走に先に手を打て

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カルトを擁護する者の罪、愚かな者が騙されるのを促進している

カルトを擁護することの問題その1

昨日の記事で書いた信教の自由を停止すべきカルト宗教の選別基準。それは教義が社会規範に照らして許されるかどうかというもの。

エホバの証人のハルマゲドンで国家転覆、統一教会の日本人総奴隷化計画(多分・・・)。どちらも社会として到底認められるわけがない。

であるのに、こういったカルトでさえ信者が信じるのは信教の自由だという意見がある。このぱっと見リベラルのバランスのとれた考え方には2つ問題がある。

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信教の自由を停止すべきカルト宗教の選別方法とは?

カルト宗教に信教の自由が必要ない理由

Amazonのkindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』から。

対談の中で

信者の信仰の自由も尊重したい

という意見が出ている。元二世信者の被害者から出た意見だが、私はこの意見には反対。

現在の西側諸国の仕組みが、たまたま信仰にまで自由が認められているというだけ。その過剰な自由の行き過ぎで、私のようなカルト宗教二世信者の人生が汚染されている。

宗教なんてあっても無くてもどうでも良いモノに無理矢理自由を与える必要などない。新宗教の一切を禁止してもいいくらい。ここまで過激でなくともカルト宗教の類に自由は必要ないというのが私の意見。

カルトの基準だが、人権侵害しているとかマインドコントロールしているとか高額の寄付があるとか死亡者が出ているとか、小難しいことを考えなくても簡単な基準がある。

該当宗教の教義が社会として認められるか否か?社会が到底認め得ないものを教義としているのなら、カルト、もしくは危険宗教に認定し解散、活動も禁じる。

エホバの証人の場合、ハルマゲドンが来て国家転覆することになっている。そんなことは到底認められないのだから、当然組織体としても存続を許すべきではない。

信教の自由で国家が覆されたらたまったものではない。カルト信者の信教の自由より、国民の安全を優先すべき。

統一教会の場合は日本人は韓国人に謝意を示すために奴隷になれみたいな教義で(多分・・・)、そんな話も筋が通らない。国民一人一人が謝意を示すために破産するなんてバカげた話は認める訳にはいかないので、それを是とする組織の存続を許す必要はない。

カルトの見極め方と防御方法

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エホバの証人という盲信者、あなたは山上容疑者をどう思うか?

エホバの証人という盲信者

Amazonのkindle Unlimitedだと無料(2024/1現在)なので読み始めた一冊『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』

いろいろなカルト宗教の元2世被害者が集まって対談している。LINEのチャットが元になっており雑多な記述になっている。元エホバの証人も参加。その元エホバの証人の自己紹介で、現役信者である母親が

孫と会いたくもない

ようだと話している。

孫と会いたくない人って世の中にいるんだという驚きが率直な感想。「現役エホバの証人を孫に会わせたくない」というなら1000%同意するのだが、自ら「孫に会いたくない」というのは、さすがのカルト信者。

この実例が証明しているように、エホバの証人はあなたの家族生活を幸福なものにしない。エホバの証人が「家族の幸せガー」とか言っているのは嘘偽り・大げさ紛らわしい発言で、エホバの証人は家族を不和にするカルト。

創価学会や霊波之光が身内にいる人が家族・親族を

盲信者

と紹介している。うまい表現で、今後使わせて欲しいくらい。カルト信者が抱いているのは信仰ではなく妄信仰。

カルトを優先するために、破産したり、孫に会えなかったり。もはや何のために生きているのか、何のために宗教をやっているのか意味不明。そんな絶賛迷子人生なのに「エホバガー、教祖ガ―」とやっている。

なぜ、人生の価値を圧倒的に損ねているのか?客観的に見て不幸ではないのか?小学生でも気付ける自分の迷子状態に気付けない。自身の宗教関連問題については盲目。宗教中心に生きているのだから、人生全般においてほぼ盲目。カルトしか見えていない。まさに盲信者。

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『芸能人と新宗教』結局、両者の関係とは何だったのか?

カルトの大いなる搾取

『芸能人と新宗教』の第五章「新宗教はなぜトラブルを起こすのか」より。

お金を出せば出すほど、教団からは信仰が深いと評価され、自尊心が満たされる

エホバの証人の場合は貧乏な信者が多いので(少なくとも私の身の回りでは)、お金でなく時間。時間を差し出せは差し出すほど信仰が深いと評価される。

金や時間が信仰と何の関係があるのか?信仰心など量りようがない。人間の尺度で量れないモノを無理やり評価しようとするのが人間の組織の限界。

そもそも信仰心など量る必要がない。宗教と個人の間の関係に定量的な基準を持ち込むべきではない。

時間だとか献金額で信仰心を見極めようとする団体は、信者の自尊心をくすぐり、信者間で競わせ搾取の度合いをエスカレートさせる。さらに、恐怖心を煽りたて、大いなる搾取に励む。それがカルト。

創価学会にかんしては、世間の受け取り方もだいぶ変わってきました。メディアが昔に比べて創価学会批判をしなくなったことも影響して

いると。長いものにや面倒くさいものにまかれて、国民の主権が失われているのが今の日本。さらに、創価学会は

地域で地道に活動し、みんなが嫌がるPTAの役員や町内会の役員を積極的に引き受けることなどが評価を変化させてきています

これだと、もはや宗教は関係ない。学級委員選挙が近づくと急に親切になる丸尾末男と同じ。宗教活動そのものを評価されると困るので、人の嫌がること引き受けてごまかす。後ろめたいことがあるのでフォローしている。

『芸能人と新宗教』~法の下の無法地帯、宗教法人の認証制度とは

マイケル・ジャクソンとオカルト大好きエホバの証人

結局、芸能人と宗教の関係とは?

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エホバの証人が輸血拒否して殉教しても、復活確定しないよね

エホバの証人の輸血拒否で死んじゃう人を見過ごすのは・・・

エホバの証人の常識は世間の非常識。非常識を超えて危険思想だと昨日の記事で書いた。その危険思想を隠すくらいのバランス感覚を持っていて、教団の高い地位にある信者、例えば広報担当などに彼らにとって都合の悪い質問を投げかける。

その質問にエホバの証人感覚で回答したなら、そのまま全世界にエホバの証人の危険度を晒すだけ。今回は、外見を重んじて建前回答が来たときの想定対応。

今日の質問は
「エホバの証人は輸血しないと死ぬ場合でも輸血を禁じていますか?」この質問に対するデフォルトはYes。エホバの証人は実質輸血を禁じている。そのために無駄死にした信者が存在する。

この段階で激ヤバ宗教なのだが、不思議なことに現在の日本の常識では信条を理由に輸血拒否して無駄死にすることはOKとされている。個人の自由だと。どこまでも愚かになることも個人の自由だとされている。

子供の場合は、エホバの証人親の親権を停止して、命を救うための輸血をすることが認められている。

大人のエホバの証人も教団のマインドコントロール下にあり、輸血拒否して死ぬという愚かな選択をする以上、子供と同じ、正常な判断能力を有していない。周囲が命を救ってやる必要がある。世論をこの方向へ是非とも導きたい。

当然じゃないか?ビルの屋上から飛び降りようとしている人がいたら全力で停めるだろ?エホバの証人の輸血拒否も同じ。強引に命を救うべきなんだ。

だって、神様なのか何か分かんないけれど、せっかく賜った貴重な命なんだよ。無駄死にさせちゃダメだって。輸血拒否で死ぬのは無駄死にだと正常な判断を下せる人間が命を救ってやるべき。

大きく本題から逸れたが、輸血に関して、エホバの証人広報がウソをついた場合。

輸血拒否して死んでも救いは確定しない、というか救われない

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エホバの証人(JW)は、日本国政府の転覆を望んでいる

何らかの思想と自分自身を完全同化させることの愚かしさ

エホバの証人の中でも広報担当やそれより上の地位の信者は、一般的なバランス感覚をある程度は知っている。組織の利害を守るために。

これを踏まえて、彼らにとって都合の悪い質問をすると面白い結果が得られるのではないかと。ここまでが昨日の記事

まずは、世間の常識とかけ離れたエホバの証人の常識について問う。その究極の問いにエホバの証人感覚で答えたならば、そのまま全世界にぶっ飛び回答を晒すだけ。

例えば、エホバの証人の日本支部に電話して

「エホバの証人は日本国政府が滅ぼされることを望んでいますか?」
と問う。

全てのエホバの証人はこれを当然のように望んでいる。しかし、これは相当な危険思想。組織そのものを糾弾できる。危険な奴らを解散させよと世論を醸成できる。

私のように生まれた頃から、エホバの証人のカルト教育を受けた者だと当然のように、神の意思で現在の体制か滅ぼされると教えられた。特に自分の意思で国家転覆をはかるわけではないので罪悪感も覚えない。当たり前の感覚だった。

とはいえ、一般的な感覚で言えば相当にヤバい。「エホバの証人は国家の転覆を望んでいる」と。これにYesで答えてくれれば良いのだが、一般的な感覚を慮られると回答はもにょもにょとなるので、質問を変えた方が良い。

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宗教と金の問題、カルト宗教法人には課税すればいい

宗教法人の課税について

『芸能人と新宗教』、第四章。宗教法人の課税について。

課税されないのは、宗教活動をとおして入ってくる収入についてです。あるいは、宗教施設のある土地に対しては固定資産税は課税されません。

ということは、機関誌を月に数回とか宗教本をコンスタントに発行して売り捌くのは課税対象になる可能性がある。

私が子供の頃は、エホバの証人の「ものみの塔」誌とか「目ざめよ!」誌にはきっちりと値段がついていた。その価格設定がある時突然なくなり、以降は雑誌や宗教本の対価は寄付として受け取る形式になった。

エホバの証人の宗教本の定価撤廃は、税金対策だったとも考えられる。

こういった変更を宗教本が見た目上は無償化されるという「素晴らしいお知らせです」のように発表するのがものみの塔方式。商魂たくましく、都合の良い便りしかマインドコントロール下の信者には流さない。

カルト宗教法人には課税すれば良い

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エホバの証人(JW)対策として、作成するべき覚書

「ずれ」を呑み込ませるカルト、「ずれ」を受け入れる信者

昨日の記事でカルト入信前後のイメージと現実の「ずれ」について書いた。カルト教団は、その「ずれ」を覆い隠すことに長けている。

家族が幸せになれるからとエホバの証人の集会に行ったのに、集会に行きだした途端、家族の機嫌が悪くなる。これも「ずれ」。現実が悪化しているのだから、すぐに辞めるべき。エホバの証人に関わる前のフラットなゼロ地点に戻るべき。

しかし、エホバの証人組織側はこの「ずれ」を上手くごまかす。事前に「家族は必ず反対します。それはエホバの証人が真理だから、サタンが邪魔をしているんです」と予言めいたことを言う。

どう考えても「エホバの証人がカルトで、家庭をないがしろにしているから」家族関係が悪化したのだが、そう気付ける健全思考状態の人は当初からエホバの証人の相手などしない。

「予言が当たった!」と「ずれ」を呑み込み、妄信の沼へ潜ってしまう。するとますます健全社会へ戻れなくなる。

2023新年一発目、エホバの証人の存在しないより良い未来のために

エホバの証人対策としての覚書の作成

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最優先事項をラーメン屋感覚で勧める奴を信頼するな

重要案件を安易に勧める奴を信頼するな

『芸能人と新宗教』、第四章「芸能人は新宗教の広告塔なのか」。本書では、芸能人は広告塔になりもするが諸刃の剣でもあると述べている。

エホバの証人のように問題だらけのカルトだと、芸能人であろうとなかろうと健全な一般社会との間に必ず軋轢を生む。その際にただでさえ目立つ芸能人であると悪目立ちする。

スキャンダラスに報じられれば、カルトの悪質さが衆目に晒されることになる。世間を欺けずに正しい評価がなされればカルトにとって痛手となる。

芸能人であろうとなかろうと

人は漠然と教えに惹かれて入信するのではなく、信頼できる人に出会って、それを通して入信する

と本書にある。

このことから得られる教訓は、やたらめったら人を信頼するなということ。

カルトの入信を迫る人物など、この世で最も信頼してはいけない人物。そんな怪しげな人間を安易に信頼するから、人生を大きく損ねることになる。

私の母もそうで、訪ねてきたエホバの証人の女性を信頼して人生の大半のモノを失った。その女性が悪人だったわけではなく、同じ被害者。被害者が被害者を増やす。

何でもかんでも猜疑心に駆られるのは良くないけれど、大金を使うとか、継続的に時間を使うことになる案件、人生を左右する問題、例えば宗教とか結婚とか投資とか就業とか。

そういった優先度の高いモノを安易に勧めてくる奴は大概ロクな奴じゃない。それを「あそこのラーメン屋美味しいっすよ」的な感覚で受け止めてしまうと、ほぼ100%失敗する。騙される。

私だけは大丈夫と思っているんだろうけれど、騙された奴は皆、最初はそう思っていたんだよ。

エホバの証人という地獄の沙汰も金次第、JWと芸能人

入信前の幻想と入信後の現実の「ずれ」

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