家族を人質に取るものみの塔
昨日の記事の続き。東洋経済ONLINEから『宗教虐待で心を病んだ兄が親から絶縁される残酷』
エホバの証人の2世信者が人間として真っすぐに生きるとエホバの証人的には「排斥」となる。排斥になるとエホバの証人から忌避される。それは親子でも同じ。親子を引き裂く「排斥」は苦しみであり不幸であるとものみの塔も認めている。
なので、エホバの証人が不幸になるのはものみの塔公認の事実。ここまでが昨日の内容。
東洋経済のものみの塔日本支部への取材はさらに続く。
日本支部は、「排斥された人が不適切な行いをやめ、聖書の規準に従って生活したいという誠実な願いを示すなら、その人はいつでも再びエホバの証人になれます」という見解も示した
エホバの証人の言いなりになるなら、戻してやっても良いという珍回答。
エホバの証人が排斥になるのは、異性と関係を持ったり、喫煙したり、輸血したりという些細なこと。そんな下らない戒律に縛られる生き方をしていては、現代日本人として相対的な幸福はあり得ない。
だから、「排斥」になってエホバの証人を辞めたのに誰がいったい戻るというのだろうか。
とはいえ、ものみの塔側は信者として残っている家族を人質に取っている。「排斥」者は家族であっても忌避されるので、家族を取り戻したいばかりにエホバの証人への復帰を願う者もいる。
私の持論だが、家族より、まずは自分の人生を取り戻すことを優先させるべき。自分のことすらままならない者が家族のことを良く出来るわけがない。