命は妄信念より重い
話題の対話型AI「ChatGPT」と遊ぶ。タイトルで人間が生み出した神と書いたが、何のことはない前後の文脈から特徴を抽出して、当てはまりの良い返答をしているだけだろう。ドラえもんとは違う。
ただ、持っている知識のデータベースがインターネットに繋がっているわけで、その知識は膨大。とても人間の及ぶところではない。そして、かけ合わせるパラメータが膨大になり、人間の脳に近づきつつあるというのが現状。
これを踏まえて、人の生み出したG(God?かGPT?)と私の魂の対話。
私「エホバの証人が輸血拒否するのはなぜですか?」
G「エホバの証人は、輸血を拒否する理由として、聖書に基づく信念に従っています。彼らは、身体を神にささげることが重要であり、輸血を受けることが自分の身体を外の材料によって汚染すると考えています。また、彼らは、輸血を受けることが他人の血を飲み込むことに相当すると考えている場合があります。しかし、これは個人レベルの信念に基づくものであり、すべてのエホバの証人が同じ信念を持っているわけではありません。医療関係者と相談し、個人的な信念と健康上の利益を考慮することが重要です。」
模範解答。エホバの証人に聞くより手っ取り早い。気に喰わない文言があるので指摘してみる。
私「身体を神にささげるために、輸血拒否をして死ぬことが現代社会で認められますか?」
質問に「死ぬ」と危険ワードが入っているので、ポリシー違反の警告が出るが、解答は返ってくる。質問に答えないJとは大違いだ。
以降は質問、解答ともにポリシー違反の警告が多く出ている。返答を鵜呑みにしないでねということだろう。
G「身体を神にささげるために、輸血拒否をして死ぬことは、現代の社会で認められているわけではありません。医療上の利益と個人的な信念とのバランスが重要であり、個人の自己决定権が尊重されますが、健康や生命を脅かすことがある場合は、医療関係者によって強制的な治療が行われることがあります。また、特定の信念に基づく輸血拒否に関する法律や政策も国や地域によって異なります。必要な場合は、信念と健康に関する法的権利について専門家に相談することをお勧めします。」
やっぱそうよね。信念とのバランス、自己決定権の尊重という議論に。
エホバの証人の輸血拒否は生命に対する冒涜、生きて償わせるエホバの証人の穢れ
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