宗教には金がかかる
『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』Amazonのkindleunlimitedだと無料だったので読み始めた一冊。
序章から。
日本の宗教は確実に衰退の兆候を示している
新宗教だけでなく、既成宗教も。既成宗教はともかく、カルトな新宗教で手痛い目に遭った身としては、新宗教には消滅してもらいたいと個人的には思っている。少なくともカルトなエホバの証人には。
宗教の今を考えることは、資本主義の今を考えることでもある
精神世界に存在していそうな宗教ではあるが、現実には金が無いとやっていけない。それは既成宗教でも新宗教でも同じ。
特に既成宗教だと、寺社仏閣のような建築物が文化的価値を有していると維持管理に費用がかかる。建物だけでなく、伝統的な建築工法も含めた伝承が必要になる。エホバの証人の王国会館のような素人建築とはわけが違う。
新宗教でも、幹部クラスが甘い汁を吸うには金が必要。エホバの証人の統治体メンバーの移動はファーストクラス。さらに統治体は信者の上納金だけで飯を喰ってるわけで。
金を集めるには信者を多く集めるか、多額の上納金を払う信者を集めるか、他は税金対策したり、信者を労働力として使ったり。この点がまさに宗教と言えども資本主義ということなのだろうか。本章に期待。
やむにやまれぬ事情でカルトに堕ちる
第一章から。創価学会員は
同じ境遇にある人間たちであり、すぐに仲間意識を持つことができた
ために創価学会コミュニティに入ったと。
都会に出てきたというだけでは、地方の村にあった人間関係のネットワークを失ってしまっているわけで、孤立して生活せざるを得ない。ところが、創価学会に入会すれば、都市部に新たな人間関係のネットワークを見出すことができる
都会に出てきた私の立場からすると、仲間が欲しいとかネットワークが欲しいというだけで、宗教に加盟、改宗するという感覚が全く理解できなかった。以前にこんな記事「コミュニティー信仰は、単なる人恋しさからくる甘え」も書いている。
都会で一人で生きていけない奴らがエホバの証人とか創価学会に堕ちたのだと考えていた。いわば不甲斐ない寂しい現実からの逃避だと。
本書ではこの逃避者たちの学歴、出自、時代背景も考察されている。「集団就職」という言葉があった時代、低学歴で
労働組合がしっかりと組織されているような職場に入ることができず、未組織の労働者として寄る辺ない生活を送る
という状況。この状況で甘い言葉と仲間意識をくすぐられると、どうにかなってしまうと。
私のように、地方にいるときからカルトの中でも孤立を感じ、カルト家庭の中でも孤立、無論、田舎のコミュニティでカルト2世が孤立しないわけがない。人は一人で産まれ一人で死ぬんだと考えていた。都会での孤立もやむなしと。
しかし、「集団就職」の頃と違って労働者の権利は守られていて、組織化された職場であれば人間関係はそれなりに構築される。意外と完全なる孤立ではなかった。
カルトに堕ちた奴らは、被害者であると同時に甘えた逃避者であるという感覚だったのだが、ちと改める必要があるのかと思い始めた。恐らくやむにやまれぬ事情があり、その上で弱い部分を突かれてドツボにハマったのだ。
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