マルクスとアダム・スミス、誰だっけ?エホバの証人の知らない3次元世界

マルクスにとっての資本とは・・・

『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』5章、『宗教と「資本主義経済」の密接な関係』から。

アカデミックな内容で、もはや何のためにこの本読んでいたんだっけ?という状態だが、興味のあった点をメモ代わりに。

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マルクスの議論のなかで、資本は、「蓄積を目的とする」とされており、その点では主体的な存在と見なされている

蓄積された資本が意思を持ったかのように、金が金を呼ぶ状態。

マルクスの資本というものは、ユダヤ・キリスト教において世界を動かす根源的な存在であり、究極の主体となっている神に限りなく近いもの

もはや神であると。この神は

ひたすら自らを増殖させていることを目的とした利己的な存在であり、人間の幸福というものを必ずしも考えない存在

人類を崩壊させてもかまわないとする恐るべき神

組織の維持・拡大を目的としているものみの塔と、人類の滅亡を企てる神エホバという構図に似ている。

マルクスの視点で共産主義社会を展望すると、資本は自己中神のように見える。

『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』、やむにやまれぬ事情でカルト堕ち

神の見えざる手

対して「市場原理主義」。

市場には「神の見えざる手」が働いているというとらえ方

市場を自動的に調整してくれる神は、反対に人間のために行動してくれる存在

これは

「経済学の父」とも呼ばれるアダム・スミス

の主張だとされている。スミスの代表作に『国富論』がある。

一般に、神の見えざる手というととらえ方は、この『国富論』に端を発していると考えられている。それが経済学の常識だが、常識というのは、意外に信用のできないものである。実はスミスは『国富論』のなかで、「神の見えざる手」などという言い方はまったくしていない。

世間の常識に人々は騙され、カルト親の常識にカルト宗教2世は騙される。カルト親もカルト教団の常識に騙されている。

本書では、市場は放っておくと暴走しバブル化し崩壊する歴史を顧みて

神の見えざる手は、西欧の人々の願望であるのかもしれない。そういうことばを使うことによって、市場には自動的な調整機能があるという、決して事実とは言えない事柄を信じようとする

と書いている。経済学の父「アダム・スミス」の名を借りているのだと。

というわけで、市場における「神の見えざる手」というのは機能せず、マルクスの言うように資本主義は収縮していく。この資本主義の死が宗教にもたらす影響というのが本書の主題なのだが・・・

自分の尺度で測っていては真実は見えない

目に見えないものをとらえようとするとき、人は、自分がすでに知っているものにそれをなぞらえようとする。そのために、欧米の社会では、経済現象を説明しようとするときに、意識的に、あるいは無意識的に、宗教が持ち出され、神が持ち出されてくる

既知のモノとして持ち出してきたのが、知っているつもりの神であり、宗教、「神の見えざる手」。そもそも神を知りようがない。目に見えない市場経済を目に見えない神で例えたところで理解が進むわけがない。

自分の全く知らない世界があると認めないと、自身の狭い殻は破れない。

私の経験ではエホバの証人の世界は平らにならされている。その平らな世界の上にものみの塔という覆いがされている。覆いの内側から外を見ると外の世界は醜く歪んで見えるように出来ている。

平らな世界に常駐しているエホバの証人たちは、本当は世界が3次元であると知らない。究極に薄い2次元の平らな世界に閉じ込められているのがエホバの証人。

外から見るとほぼ2次元世界に生きるエホバの証人は、2次元の尺度しか持っていない。つまり、ものみの塔基準。ものみの塔の覆いを突き破って入ってきた未知のモノに対して、エホバの証人があてるのは2次元のものみの塔基準。

そのため、エホバの証人はいつまでたっても2次元世界の尺度でしか物事を理解できない。世界が3次元であることを知らないから、2次元世界から抜け出せない。

エホバの証人は考えもしない。自分の全く知らない通常世界があることを。そして、自分の住んでいる世界がいかに押しつぶされたいびつなものであるのかを。

外の世界では、子どもたちが自分の信仰を選択することができる。大人たちも宗教的な寛容心を持とうとし、他の宗教を認める必要性を知っている。そのため、他の宗教について学び、理解を深めたいと考えている人もいる。

そんなキリスト的な深い愛に溢れた外の世界があることを、エホバの証人は知らない。


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