聖書よりスマートフォン
AmazonのKindle Unlimitedなら無料で読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』から。
いよいよ最後の一言のコーナー。勝手に私も参加しているつもりで一つ言っておくと
「ものみの塔には滅びてもらう。お前らの腐った聖書もどきにさえ書いてある。蒔いたモノは刈り取ると。輸血拒否で殺した信者、搾取した信者の人生。因果応報。エホバの証人を組織的な壊滅まで追い詰める」
一方、本書の対談参加者の最後の一言は穏やかなもので
これからは
宗教に関わることなく生きていく
子供たちが宗教に勧誘されて嫌な思いしたりしてほしくない
といったもの。ごもっともで、人生に宗教など必要ない。今どき、神より大事なスマートフォン、神は博物館にでも飾っておけばいい。というのが現実。現代人は聖書が無くても生きていけるが、スマートフォンがないと生きていけない。
自分たちの子供の世代であれなおさら。有害なエホバの証人などに接することなく一生を過ごして欲しい。
未来に残したくない、ものみの塔
そのために、ものみの塔やエホバの証人の息の根を止めたいと。21世紀にカルトは要らない。人類はもっと生産的な活動に時間を費やすべきなのだ。
エホバの証人は来やしないハルマゲドンに怯え、その風説を流布し、自らの人生の時間を無駄にする。そして、勧誘活動で他人の時間を奪う。
駅前で「聖書を無料で学べます」って立っているのを横目で見るのですら、時間の無駄であり不愉快。
そして、ときにはエホバの証人に騙される人がいて、人生そのものを奪われる。
それらの活動の目的が組織上層部のプチリッチな生活だったり、組織そのものの維持存続という無意味なもの。
エホバの証人活動は時間と人生の浪費。非生産的活動の最たるもの。こんなみっともないものを我々の子供世代に見せたくないし、残したくない。
子供たちが勧誘されて、子供たちの貴重な時間を少しでも奪われたくない。万が一に騙されたりはしないとは思うが、その最悪の可能性を握りつぶしておくために、ものみの塔を早晩消滅させる必要がある。