新宗教というひずみは、社会のひずみを利用する者が生んだ

努力する側と低位に甘んじる側の差

『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』1章「宗教の未来を予見するための重要なセオリー」から。

経済の急速な発展は、格差の拡大などのひずみを生む。そのひずみが、新しい宗教を発展させる。そして、急速に拡大した宗教は、政治的な力を獲得する方向に向かう

のが一つのセオリーであると本書は説く。

このセオリーは、経済と宗教、そして政治と宗教の密接な結びつきを説明してくれるもの

だと。

新宗教が生まれて発展するのは、社会のひずみから。社会の欠陥構造で痛みを抱えた人々を救う体なのが新宗教。そして、人数を拡大し政治力を持ち与党にまでなったのが創価学会と公明党。

ひずみの中で自分がどこに位置するか、痛みを受けない地点にいるのがベストなのだが、誰もがそういうわけにはいかない。ひずみの悪影響を被る立場だったとしたら?

弱者連合で徒党を組んで、ひずみ構造を是正しようとするのか?それとも、自力で痛みを受けない側に移動しようとするのか?ここで道が分かれる。弱き立場に甘んじる者と努力する者。

弱者連合を組めば、数の論理で力を持つかも知れないが、意見の統一が難しくなる。そして、時には傷のなめ合いになる。低位に位置する者同士で手を携えるより、一人で駆け上った方が早いと思う人は新宗教には堕ちないのだろう。

新宗教というひずみは、社会のひずみを利用する者が生んだ

また、徒党を組んで、ひずみ構造を是正しようとすれば、別のひずみが生じる。その一つが宗教2世問題。首相の暗殺という事件が起きるまで、その宗教2世のひずみは日の目を見ることがなく放置されていた。

力を合わせてひずみ構造を是正しようという高い志があるのならば、まだマシだが、恐らく新宗教にそんな志はない。

少なくとも私の知る限り、エホバの証人にはない。エホバの証人にあるのは騙す教団側と現実逃避する信者という構造。恐らく他の新宗教も同じだろう。念仏唱えて人生が好転すれば誰も苦労しない。地獄とか天国とか、念仏とか、とにかく祈れば救われるなんてのは全部ウソだから。

そして、権力と金の飽くなき希求。与党になれば、その地位は死守したいし、教祖になれば、その座を手放したくない。信者が増えれば儲かるので、手段を選ばずどこまでも信者を増やしたくなる。

社会のひずみを利用して、権力と金を収奪しようとした者が生み出したのが新宗教というひずみ。そして新宗教というひずみが、宗教2世というひずみを生んだ。


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