念仏唱えて人生が好転すれば誰も苦労しない、宿命転換

創価学科の宿命転換とは

『芸能人と新宗教』、引き続き第二章。芸能人の信者が多いとされる創価学会について。私は、学会員とされるタレントが出ているテレビ番組は極力見ないようにしている。個人の主義として。

とはいえ、例のご当地番組は面白いのでたまに見てしまうのだけど・・・スタジオに返ってきたらチャンネル変更・・・。まあほとんどテレビ見ないので実際は関係ないのだが。

創価学会に芸能人が多い理由として考えられるのが、「宿命転換」と言う教えの存在

宿命転換とは、前世の罪として背負った宿命を、現世で功徳を積むことで転換できるという設定のこと。功徳というのは宗教活動を行うことに限定されるのだろう。

道端でゴミを拾ったりとか、他人に親切にしたり、親孝行したりではなく、教団指定の仏壇を買ったり、選挙の応援や新聞の勧誘をしたり。単純に組織的宗教活動に熱心に取り組ませるための設定。どこの新宗教にも似たり寄ったりの仕掛けがある。

エホバの証人の場合は、人類は祖先アダムの原罪を背負わされている設定。原罪のまま罪深く生きると来たるハルマゲドンで神に殺される。その憤死を回避するためにエホバの証人活動という恥ずかしい罰ゲームを行えという仕組み。

街頭に「聖書を無料で学べます」という立て看板と共に立ったり、学校活動で行事ごとの一切を見学したり、輸血拒否して命を投げ捨てたり。

ハルマゲドンを生還すると宿命が転換され、完全な人間になって永遠に生きることができる。それがエホバの証人のおとぎ話。

恥にまみれて永遠に生きるくらいなら、罪にまみれて短い生涯を生きる方が美しい。

英雄的アダム、自由意志を放棄または没収されるエホバの証人

エホバの証人(JW)の地上の楽園設定の矛盾を論破する

創価学会の信者は、社会的に恵まれない境遇にあることが多いので、彼らには宿命を転換できるという教えは、とても魅力的に映る

念仏唱えて人生が好転すれば誰も苦労しない。努力で宿命を換えることを放棄し、安易な道に逃げ込んでいる。一旦信じてしまって、そこに時間や金を突っ込むとさらに引き返せなくなる。

エホバの証人も同じ。カルト活動で被害者を増やすことが善とされるわけがない。しかし、本人たちは真理と信じて疑わない。「疑念を抱くことすら罪」とマインドコントロールされているので疑う余地が生まれない。

疑ったとしても、今までに支払った対価が無に帰するのが怖くて、見て見ぬふり、気付かぬふり。もしくは見えていても気付いていても、現実とは切り離してしまう。結果、臭い物に蓋をするだけで真理からはむしろ遠ざかっていく。


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