終末(ハルマゲドン)を煽る人々と宗教という麻薬、人生の無駄遣い

終末を煽る人々

『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』3章、『世界同時多発的に起きる「宗教消滅」』から。

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2015年9月3日に人類は滅亡するという予言があった

また、

2012年に人類が滅亡するという予言があった

こちらは「マヤの予言」。マヤ文明の暦では

2012年の12月21日から12月23日頃に一つの区切りを迎えるようになっていた。そのため、そこで人類は終末を迎えるのではないかと考えられたのである。

「考えられた」というよりも、そこに着目して、騒ぎを煽った人間たちがいた

エホバの証人もこの一種で、勝手に作った独自解釈で終末騒ぎを煽っている。恥ずかしげもなく、終末予言の日付を延長し続けること100年以上。

煽動された方は人生を大きく損なうことになる。自身が生きている間に、人類体制の終末が来るパターンと来ないパターンでは人生設計が大きく異なる。

当然、終末が来ないパターンが正解なので、煽動されて来ない終末へ走ったパターンでは間違った方向に進み人生を損ねる。この乱痴気騒ぎを100年以上続けているのがエホバの証人。

学んだり、きちんと働いたり、将来に備えて資産形成したり、エホバの証人はそんなことをしない。明日にでも終わりが来るのだからと、今日も明日もエホバの証人組織に言いなりになっているだけで良いと。

100年経てば、世界の終末より先に自分の人生の終末が来る。間違った方向へ煽動されたまま過ごす生涯。人生の無駄遣い。虚しさの極地。

宗教という麻薬

マルクスは、「宗教は、逆境に悩める者のため息であり(中略)、それは民衆の阿片である」という有名なことばを残して

いる。

宗教は麻薬的中毒性を帯びていて、一旦ハマると抜け出すのが困難であり、人生を損ねる要因となる。

苦しみや困難から見た目上は救ってくれるものではあるが、決して本質的な救いにはならないのが宗教。

困難から自身を救うのは、たゆまぬ真摯な努力と、その真摯さを受け止める良き人々の助け。見知らぬ神や宗教コミュニティではない。

宗教という阿片が魅せるのが「神」という幻想と偽りの救い。来世での栄華や、来ない終末での生き残りチケットなど何の役にも立たない。現世でも念仏唱えて人生が好転すれば誰も苦労しない


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