『みんなの宗教2世問題』、「宗教2世無自覚者」に「自覚」を促す

宗教2世無自覚者

『みんなの宗教2世問題』3章「識者たちによる宗教2世論」。

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「宗教2世」という自覚をもち、「宗教2世」へのよびかけに応答しようとする人々の存在

これらの人々は「宗教2世自覚者」とよべる

この「宗教2世自覚者」に対して、とある創価学会の「宗教2世」は「宗教2世当事者アンケ―ト」に次のように回答している。

「回答しながら、『被害』というには軽い自分が回答していいのか?と何度も思いました。親の宗教はカルトではないし、社会的に有意義な活動もしている伝統宗教だし、ひどい強要や人権侵害も受けなかったからです」

という無自覚な回答。現実をねじ曲げて見ている。少なくとも、創価学会は伝統宗教ではない。「被害が軽い」、「ひどい強要や人権侵害も受けなかった」というのは主観にすぎない。私には、政権にすり寄る宗教団体が社会的に有意義とは決して思えない。

念仏唱えて人生が好転すれば誰も苦労しない、宿命転換

こういった人のことを、本書では

宗教2世自覚者ではあるが、自らの困難を被害と受け止め何らかの改善を求める宗教2世当事者ではない

と書いている。しかし、こういった人は「宗教2世無自覚者」と言ったほうが良い。無自覚のまま被害を受け続けている人々。子どもの頃から宗教漬けにされ、価値観やものごとの見え方を歪められて、治っていない状態。

「宗教2世無自覚者」に「自覚」を促す

こういった宗教2世無自覚者は、創価学会だけでなくエホバの証人にも存在する。現役信者として。

死ぬ覚悟で輸血拒否をするのに、「輸血は危険な治療法だから」と自分を納得させるためにウソをつく。ウソというより、錯誤。現実を直視しようとしない。

「親に体罰を受けたことを感謝している」とか、「体罰を振るった親の気持ちが分かる」、「昔は体罰がOKだった」と、言い逃れをして、親に暴力を振るわれた辛い過去の記憶を薄めようとする。

「体罰をやり過ぎたのは一部の親や、行き過ぎた役職者層の個人的問題で、教団に問題はない」などと、何とか理由を付けて教団を正当化しようとする。

輸血がいかに危険だろうと、リスクを伴なう治療法を避けて命を落としたら元も子もない。

親の体罰を肯定するなら、自分の子どもにも体罰しろよ。それ児童虐待だぜ。以前は体罰OKだったから、エホバの証人組織は体罰を推奨していた?では今は?今はNGなの?方針変えたんなら、ちゃんとアナウンスして過去の間違いを詫びないと。

教団内に悪い奴がいても、教団に問題はないの?役職者に悪い奴がいるんなら、組織には任命責任がある。そもそも体罰やりまくる毒親がいるのに、「家族を幸せにする宗教です!」ってギャグかよ。

エホバの証人の「宗教2世無自覚者」は、被害者でありつつ被害者を増殖させる有害な存在。当然のように布教活動を行い、情弱者を教団に取り込もうとする。また、エホバの証人の「宗教2世無自覚者」が子どもを産めば、子どもも「宗教2世」にされる。被害は世代を超えて伝染していく。

「宗教2世無自覚者」に対して「自覚」を促す必要がある。彼らは、被害を継続しつつ被害を拡大させる存在なのだから。彼らに「ハルマゲドン来ませんよ」、「念仏唱えても人生好転しませんよ」と、「騙されてますよ」と呼びかけたい。

どれだけ呼び掛けても、ほとんど効かないのだろうけど、いつか声が届くかも知れないし、声を待っている人がいるかも知れない。たまたまピッタシのタイミングで声が届くかも知れない。

そう信じたい。可能性を自覚的に信じたい。


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