エホバの証人(JW)の地上の楽園設定の矛盾を論破する

エホバの証人の楽園とは

エホバの証人の妄想教義では、ハルマゲドンという終末の到来が予言されている。ハルマゲドンでは神エホバによってエホバの証人以外の地球人ほぼ全員が大虐殺される設定。

地球にはエホバの証人だけが生き残る。そしてその地球が楽園に変えられる。その地上の楽園でエホバの証人だけが永遠の命を享受する。それがエホバの証人の妄想教義。

地上の楽園で永遠の命を得るにも条件付きで、エホバの証人として永遠に生きることが条件。基本的に禁欲生活を強いられる。我慢できずにエホバの証人を辞めれば、永遠の命は没収されるので、暫定的永遠の命。

エホバの証人の楽園設定の矛盾

エホバの証人の楽園設定の矛盾。実は誰も楽園に行きたがらなければ、この設定が崩れる。

神エホバが調子こいて楽園作ったけど、誰も楽園に来ない・・・という滑稽な状態に。

「パーティーするからおいでなすって!」とドレスコード高めの高飛車パーティーを開いたけど、当日誰も来ないみたいな感じ。つまり、

エホバの証人がいなければ、エホバの証人の教義「地上の楽園で永遠に生きられます」は成り立たない。そもそもがエホバの証人が考え出した幻想なので、エホバの証人がいなければ楽園設定が消滅するのは当然。

エホバの証人の地上の楽園は永遠の監獄

地上の楽園で自分たちだけが永遠の緩慢人生を貪ろうなんていうのは何ともさもしい。かつ傲慢。エホバの証人がそんな考えを抱かなければ、楽園設定は破綻。

全人類を大虐殺してまで、永遠の禁欲と服従を強いられてまで、永遠に生きたくないよとエホバの証人全員が言い出して楽園を放棄すれば、神の妄想計画は破綻する。

慈愛溢れるキリストやホンモノの神がいたら、全人類の強制虐殺を望むだろうか?

永遠に生きるのに永遠にエホバの証人的禁欲生活なんて我慢できないって。たまには大酒飲んだくれたいし、究極にエロいこともしたいっしょ。そんなことまで誰にもとやかく言われる筋合いは無いんだよ。

あと、永遠に服従ってのもまっぴら。永遠の奴隷でしょ。勘弁してくれ。エホバの証人の場合は永遠に、特権の奴隷だったり、ものみの塔の宗教本の奴隷だったり、組織の奴隷だったり、統治体という人間牧場の牧場主の奴隷だったり。

永遠に奴隷でいるなんて、やめた方がいいよ。エホバの証人。それにNoを突きつけたのが人類の祖先アダム。この話は当初から決着がついている。自由意志を持って生きるなら、神とか楽園なんか要らない。

英雄的アダム、自由意志を放棄または没収されるエホバの証人

地上の楽園は結局「永遠の監獄」であると、エホバの証人全員が気付けば楽園設定は崩れる。エホバの証人の楽園設定ってその程度のもの。楽園設定は人間「エホバの証人」の意思に依存している。元がエホバの証人が考え出した妄想だから。


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