新宗教の発展の要因
『芸能人と新宗教』、引き続き第二章。
本書では、高度経済成長期に集団就職で上京した若者を取り込んで新宗教が発展したと推測している。上京した若者は
都会に人間関係はなく、おまけに学歴が低いので、安定した生活が送れませんでした。
そのために不安を抱え、見知らぬ土地で疎外感を味わう。
そうしたとき、職場の仲間などに声をかけられれば、そのままついて行ってしまいます。行ってみると、そこは新宗教の集まり
で、当然、宗教側は勧誘時には良い面しか見せない。宗教で人生が好転すると思わせる。最高にもてなし、帰属意識を持たせるように仕向ける。すると
自分も仲間になってもいい、むしろなりたいと考えるようになり、それが新宗教の入信へと結びついていった
私の両親も同様だった。時代が少し違うし、上京でもないのだが地方から都市部へ出てきた所でエホバの証人に喰われた。「都会は怖い所だべー」と、昔の田舎の人が言っていたのがガチだったということ。
お菓子の家教団に人生フルベット、新宗教と既成宗教の違いとは?
人生の方向を誤らせる宗教
信者になる人間が惹かれていくのは、座談会や法座のような、信者を励ましてくれたり、仲間意識を高めてくれたりするような場があるから
エホバの証人でいうところの集会や交わりというやつ。励ますのはもっぱら「信仰」で、落ち込んでいても「エホバを信じれば大丈夫」の一点張り。何の役にも立たないし、問題の本質から目を背けているだけなので問題は大きくなる一方。
仲間意識が高まったところで、そのお仲間たちは問題を抱え宗教に逃避した人々。問題を偽神への妄信で覆い隠しているので、お仲間の問題も深まる一方。そんな奴らとの仲間意識を高めるのは集団現実逃避でしかない。
偽神を妄信し、人生の大小さまざまな問題から目を逸らす会。それがエホバの証人。「赤信号みんなで渡れば怖くない」と、妄信に酔ったまま無意味に人生を浪費する。結末は、順番に車に轢かれて人生をただ終えていくだけ。
本書は以下のように続く。集会や交わりのような「場」を通じて
ほかの信者とのあいだに人間関係のネットワークをつくっていくこともできますから、日常生活において支えられることにもなる
いくらネットワークができて日常生活に支えがあったり、多少の仕事を融通してもらったとしても、人生のベクトルがあべこべな方向を向いていれば何の意味もない。
エホバの証人の場合は、ハルマゲドンですべてがリセットされるから「赤信号みんなで渡れば怖くない」。仕事や学歴や将来の人生設計なんて要らない要らない。これが人生の大原則。
この状態で些細な日常生活の支えなんかあっても、目先のことに過ぎない。日々の食事に気を取られて奈落の底へ一直線のトロッコに載っている。地獄行きの列車で集団現実逃避。それがエホバの証人。
仕事学歴婚活どうでもいいってわりには、建設奉仕や必要の大きなところへ行く20-30代兄弟たちが滑稽すぎるのはきっと気のせいですね…笑
そうですよね。世俗のことがらを放棄している代わりに、いわゆる特権重視志向。世俗の人よりよほど俗っぽいかと思います。
JW男女は世の人に負けないくらい外見ステータス重視で面白いですね。学生バプ済み、補助開拓の2世とか上昇婚願望エグそうです。祈れば結婚相手エホバが備えてくれるから心配無用でしょう多分…。