元エホバの証人という苦々しい過去
私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。
エホバの証人というのは、米国由来の自称キリスト教系の新興宗教。日本では、ものみの塔聖書冊子協会という宗教法人が運営の主体となっている。エホバの証人2世というのは、親がエホバの証人信者で、その信仰を強要される子どものこと。
わが家は、両親ともに非常に熱心なエホバの証人だった。こういった家庭を、エホバの証人用語で神権家族と呼ぶ。
私は、14才になる年に自分の意志でエホバの証人をやめた。それ以降、両親は離婚、私の家族は崩壊した。
元エホバの証人2世にとって、エホバの証人だった頃の記憶は非常に苦々しいモノ。学校行事のことごとくを、宗教上の理由で忌避。給食の前後の合掌のときには、ただ1人両手の指を組み合わせて、存在すらしない神エホバに祈りを捧げていた。
元エホバの証人という、おぞましい過去を思い出したくない。さらに、エホバの証人だったという過去は、周囲に知られたくない事実。
私は、14才中学生のときにエホバの証人をやめ、無意識的に自宅から遠く離れた高校を選んだ。
この学校を選んだのは、制服を着なくても良かったり、高等部の上の課程まで自動的に進んでいくのだが、その辺りになると自動車で通学している学生もいたり、という自由奔放さに惹かれてのこと。
しかし、無意識下には、私がエホバの証人だったことを知っている中学校時代の知り合いがいない、新しい環境に進みたいという思いがあった。いわゆる高校デビュー。
元エホバの証人の逆説的洗脳状態
高校では、エホバの証人として生きていく必要が無かったので、通常の学生生活を送る。高校2年生くらいからは、エホバの証人からはほど遠い生活態度になっていった。
喫煙や飲酒を始めたり、女の子や友達と夜遊びして、翌朝そのまま学校に登校したり、という状態。エホバの証人の教理にがんじがらめにされていた反動がきた。
今までは、エホバの証人2世であるという理由でいろいろなことができなかった。自由になったからには、逆に何にでも手を出してみたかった。
私は、こうあるべきというエホバの証人像、エホバの証人として「ふさわしい」ということを、常に第一に考えさせられて、幼少期から少年期をすごした。
エホバの証人から自由になったとき、逆にいかにエホバの証人らしくないか、ということを重視するようになった。いかにエホバの証人らしくなく振る舞うかということを重視することで、逆説的にエホバの証人に操られていた。エホバの証人による逆説的洗脳状態。
しかも、この頃は本質的なエホバの証人の洗脳は解けておらず、教理の本筋は信じていた。天に神エホバが存在し、間もなくその神の怒りのハルマゲドンが勃発。エホバの証人でない私は、この身を焼き尽くされ死ぬと。
せっかくエホバの証人をやめられたのに、2世信者だった子どもの頃と同じ、不自由さに縛られていた。