ものみの塔の普遍の「真理」、150年前から続いて今なお解明中?

「灯台社」明石順三の結末

『近現代日本とエホバの証人』より。第二章「灯台社の時代」後半。

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日本にエホバの証人を輸入した明石順三だが、戦時中に「思想犯」として懲役刑に。戦後、釈放されエホバの証人の世界本部と再接触。

釈放後の明石は、世界本部から送られたものみの塔本に対して疑念を抱く。そして、7つの公開質問状をものみの塔会長宛てに送付。質問の内容は、ものみの塔の非正当性を問う内容。

結果、明石の質問に対して堂々たる回答があったり、お互いの着地点を探る話し合いがあったりということはなく、ものみの塔世界本部側は明石を黙殺の上、除名。

ものみの塔は組織崇拝者の組織なので、この結果は当然。今も昔も変わらず。

盲目に崇拝されるべき組織を、正当に批判されるのはものみの塔にとって抜群に都合が悪い。ものみの塔が必要としているのは正義感のある賢い自主的な人物でなく、無自覚にただひたすらものみの塔という偶像を崇め奉る人物。

ものみの塔の普遍の「真理」は今なお解明中

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エホバの証人(JW)の歴史は「騙し」の歴史、予言の変遷

エホバの証人をひと言で要約すると・・・

『近現代日本とエホバの証人』より。第一章「エホバの証人の救済観と組織観」前半部分から。

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本書では

千年王国論的な宗教運動の救済観

つまり、エホバの証人の特徴は

共同体的(集団的)・現世的・緊迫的・絶対的・奇跡的

と要約している。

もっと平たく言うと、エホバの証人の特徴は「騙されている」ということ。

  • 共同体意識からの疎外感で孤独感、取り残され感を刺激され
  • 現世的なご利益をちらつかされ
  • 事態は緊急だと急かされ
  • 「完全」というあり得ない概念で思考を停止され
  • 奇跡を信じるに至る

その過程をひと言で言うと「騙されている」。

エホバの証人は歴史は「騙し」の歴史

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エホバの証人の統治体がなりすましているモノとは?

例え神でも「白を黒」とは言わせない

『良心の危機』、第12章「最終攻撃」から。

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エホバの証人世界本部を辞した著者だが、エホバの証人組織から追い出される排斥となる。著者が、組織にとっては邪魔で「脅威」であったから。

著者のようないわゆる背教者がエホバの証人組織から排斥になる理由は

組織に対する背教

神やキリストではなく、組織に背いたから。これが、ものみの塔の組織崇拝という本質。

これに関する驚愕エピソードが本書に。とあるものみの塔協会の地域監督が緑色の本を持ってこう言った。

「協会に、この本は緑色ではなくて黒だと言われたら、私はこう言います、『誓って緑色だとは思うけれども、協会が黒だと言うんだから、この本は黒い!』」

信じられない愚かさ。

例え神だろうと「白を黒だ」と言う奴の言いなりにはなりたくない。

近未来の仮想全体主義国家を描いた『1984年』と同じ。国家を統制する党が、「2 + 2 = 5」だと言えば「5」になる。4本の指しか立てていなくても、党が「5本だ」と言えば「5本」になる。

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エホバの証人も同じ、塔が「黒」だと言えば「白」になる。エホバの証人たちは、「塔」に自由意志や判断能力を奪われ、支配されている。家畜以下。家畜でも反抗的だからという理由では殺処分されない。

神になりすます、エホバの証人の統治体

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1914年、ものみの塔の独創的オモシロ予言解釈3つ

宇宙時代の幕開けが、「終わりの日」の始まり

『良心の危機』、第10章 1914年と「この世代」。1914年の世代が死に絶える前に、ハルマゲドンが勃発するというのがものみの塔の聖書解釈。

ものみの塔は、その「世代」をどこまでも拡大解釈することで予言非実現のごまかしを続けていた。しかし、ネタ切れになり苦し紛れの素案が統治体内で議論される。

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まず一つ目、独創的なオモシロ提案。

太陽は暗くなり、月はその光を放たず、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされるでしょう

という聖書の言葉に関連して、宇宙時代の幕開けとなった1957年、

旧ソ連のスプートニク号が初めて宇宙に打ち上げられた年

を1914年と読み替えようというもの。これは統治体メンバーが本気で統治体全体に対して提案したもの。

時を一気に43年も稼げるし、聖書の言葉と宇宙開発が全くリンクしていないギャグ感が最高なのだが、これは非採用。

いついつまでも増殖する、油そそがれた者

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ものみの塔の希望的妄想、終わらない「終わりの日」

ものみの塔の終わらない「終わりの日」

『良心の危機』、第10章 1914年と「この世代」から。「この世代」が死に絶える前に、世界に終末が到来するというのが、ものみの塔の年代予測。

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「この世代」というのは1914年の世代。エホバの証人にとって、当初は終着地点だった1914年はいつか始まりの年になり、その始まりの解釈も延々と先送りされてきた。

1914年の世代、当初は1914年に壮年だった者の世代、この人たちが最大限長生きしたとして130才になるくらいまでに、この世の終わりが来るとされていた。

これが徐々に延ばされ、第一次世界大戦の終戦のまで世代は引っ張れると、終戦の1918年までの4年間をチマチマと稼いでみたり。

さらに時が過ぎると、1914年生まれでもいいんじゃねと、1914年生まれの赤ちゃんが全員寿命で死に絶えるまでと延長。

現在の設定では、1914年っぽい雰囲気を味わった世代が死に絶えるまでとなっているはず。解釈次第でどこまでも延長できる実質無期限。

1914年だと日本だと大正時代、はいからさんが通るの頃。大正ロマンなんてとうに失われているので、とっくに時間切れ。しかし、ものみの塔に言わせれば、1914年以降の終わりの日が継続中という設定らしい。終わらない「終わりの日」が。

ものみの塔の予言は単なる見解、信ずるに値しないのだが・・・

真理ではない1914年のものみの塔教義

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ものみの塔協会の1975年の予言ハズシ、統治体の資質不足

エホバの証人(JW)、1975年のカラ騒ぎ

『良心の危機』、第9章 1975年「神が行動されるのに適切な時」より。7章、8章で、ものみの塔のもはや伝統芸と化した予言全ハズシからの責任転嫁の実態が暴かれた。そしてもう一度1975年。全く同じパターンが続く。

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ものみの塔のパターンとは、

そもそもの歴史を通じ、まったく同じパターンで歩んできている。年代についての人々の期待感をあおってはそれが裏切られる。そして後に、落胆の責任は書いた側にはなく、すべてそれを受けとって期待しすぎた側にあるのだとする-これがお決まりのパターン

つまり、ものみの塔のお家芸。これに巻き込まれる信者は悲惨。

ある人は店を売り、またある人は仕事を辞め、また家や農場を売り、家族を連れて「より必要が大きいところで奉仕する」ために別の場所に移り、1975年まで何とかなるだけの貯金を頼りとした。
また年配者の中には、保険・証券類を換金した人もいた。千年期が来ればその必要もなくなると考えて手術を受けないことにした人もいた

この悲惨で愚かだった人々に対して、本書の著者にも責任がある。著者は、この1975年フィーバーの際にエホバの証人の最高意思決定機関である統治体メンバーだった。

『ものみの塔の終焉』1975年狂想曲

これは正直に言わねばならないが、私自身も1966年に『神の自由の子となってうける永遠の生命』を読み、ヨベルの千年期の近いことを高らかに謳っているのを初めて目にした時はいささかの驚きと興奮を覚えたし、その後、1975年を中心にして回った宣伝活動にまったく関わらなかったわけでもない

著者は後年、良心の呵責により本書を執筆した功績はあるものの、騒ぎの最中は傍観者に近い。というより、一旦は予言を信じて興奮しちゃった側。

信じちゃうのは仕方がない。子供の頃から、エホバの証人環境を周囲に作られれば、それが本人の全世界であり現実となる。

現代人だって、地球は平らで地平線の端は滝になっているんだと子供の頃から教えられて、大人たちもそう信じていれば、大概は地球が丸いなんて気付かない。これと一緒。ものみの塔の予言は絶対!と周囲の誰もが妄信していれば信じざるを得ない。

しかし、一抹の疑念が生じたのに、そのまま立場に流されたと著者は告白している。この罪は重い。

1975年に向けて、家や土地を売り、保険を解約した愚かで無垢な人々に対する罪。一緒になって騙されていたのならともかく、予言の実現に逃避した信者が圧倒的に人生を損なうのを黙殺した罪。

当時の著者は、軽く警鐘を鳴らしてはいるが、この時点でものみの塔組織を拒絶しなかったのであれば、ものみの塔の偽予言者たちと罪は同罪。

著者が、統治体現役メンバーとして、ものみの塔が予言外すぞキャンペーンなどをメディアを通して1975年にリアルタイムでやっていれば、ものみの塔に大きな打撃を与えられたはず。

そうしなかった、そうできなかったのは、著者が環境や立場に流される人間だったから。自分の倫理・美意識に沿って行動し、環境を変えようとする人間ではなかった。

統治体メンバーも同じ。自分の考えとは関係なく、空気読んで多数決に流されちゃうタイプ。

こういう人間たちは組織の上に立つべきではない。進むべき方向へ舵を切れないので、組織まるごと流されるままになる。ましてや統治など。結果、多くのエホバの証人たちが未だに人生を大きく損ない続けている。


今ここで、宇宙の主権論争に終止符を打つ。他人に奪われるな

ものみの塔の生殺与奪権を握られているエホバの証人(JW)

最近の記事で、ものみの塔はただの一度も終末の予言は当てていないことを書き続けた。終末の予言どころか他の予言についても、大したことのない些細な現実を、あくまで聖書の予言の実現とこじつけているだけ。

エホバの証人(JW)信者たちは、一切当たらない年代予測に愛想を尽かしてしまいそうなものだが、21世紀の今でも未だに何百万人の信者が存在する。

それは、ものみの塔の教義の矛盾を指摘したり、教団の年代予測に疑問を持つことが信者にとって最大のタブーとされているから。

このタブーを犯せば背教者とみなされ、組織から排斥される。排斥=終末の日の滅びを意味するので、マインドコントロール下にある信者は、当たらない予言を盲目的に信じるしかない。

こうしてエホバの証人は、生殺与奪権をものみの塔に握られ、当たらない予言を未検証のまま信じるしかなくなる。結果、振り回され続け、人生を完璧に損なう。

ものみの塔協会は予言ハズシの老舗、偽預言者の伝統芸

エホバ、サタンが存在しない理由

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「終了した秘儀」からの「万民キャンペーン」、そしてマインドコントロール

ものみの塔の脅迫

『良心の危機』第8章「正当化と脅迫」。本章も、ものみの塔本からの引用が多く読み進めるのが苦痛。基本的には前章と同じく、もはや伝統芸と化したものみの塔の予言ハズシの実態を、時を追いながら追求している。

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ものみの塔の予言ハズシは伝統芸のごとくパターン化している。当初は断定的にイケイケで予言。しかし、その時が近づくと急ブレーキ。神の名を借りて断定した訳ではない、あくまで人間の見解なので間違うこともあると弱腰に。この繰り返し。

本章以降で強くなる傾向が信者に対する「脅迫」。信じられない者は、神の名を借りた組織に対する「忠誠心」が足りないと攻撃する。忠誠心が足りないとどうなるのか?待っているのは滅び。

誰もが無残に滅びたくはないので、信者たちはこの脅迫に従わざるを得ない。これがマインドコントロール。ものみの塔はマインドコントロールを用いてエホバの証人信者の思考・行動を操作する。こうして信者たちは思考・行動の自由をカルト塔協会に奪われる。

「終了した秘儀」からの「万民キャンペーン」

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信用に値しないと自身でも認めるものみの塔協会、当たらない予想屋

人間だから間違うというものみの塔協会は信用に値しない

『良心の危機』第7章「予言と独断」。本章の末尾部分でものみの塔の「目ざめよ!」誌1993年3月22日号が掲載されている。内容は、ものみの塔が予言をハズしまくったことに関して、偽預言者ではないという見苦しい弁明。

この「目ざめよ!」の1993年当時の私は、エホバの証人脱会決意を固めていた少年。中学生になる直前。この記事を覚えていないのは、ろくに読んでいなかったからか。脱会する数年後に読んでいれば、ものみの塔のことをボロクソに言う材料にしたと思うのだが、今代わりに言っておこう。

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この「目ざめよ!」誌の本文はこう。予言する人について

自分の語っている事柄は正しいと誠実に信じている人もいます。そうした人々は、聖書の言葉の一部や物理的現象について独自の解釈に基づいた期待を唱えます。エホバから直接啓示を受けて予言している、つまりエホバの名前によって預言しているとは唱えません。ですから、そのような場合、予言がそのとおりにならなくても

偽預言者とみなすべきではありません。人間は誤りを犯しやすいため、物事を誤解していたのです。

だから、ものみの塔を偽預言者と呼ばないでということ。もともと独自の見解を述べているだけだし、人間だもの、間違いはあるから許してねと。

ここに書いてあることが全て真実だとは決して思えないが、話の筋には辻褄が通っている。以下の流れ。

  1. ものみの塔は誠実な人間の集団で、聖書の独自解釈で予言している
  2. そして、人間なので間違うことも多々ある

ということ。よく理解できる。つまりは

  • ものみの塔は信用に値しない

もうちょっと優しく判断すると

  • ものみの塔の予言は信用に値しない

くらいだろうか。

ものみの塔協会は予言ハズシの老舗、偽預言者の伝統芸

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ものみの塔の予言は単なる見解、信ずるに値しないのだが・・・

ものみの塔の予言は時が来ると見解に変わる

『良心の危機』第7章「予言と独断」より。エホバの証人の予言によると、かつては1914年が終着駅だったのだが、いつの間にか1914年が出発地点になっていたと昨日の記事で書いた。

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1914年以前のものみの塔本では

1914年が「不完全な人間たちによる統治の終わりである」と断言されている

しかし、

1914年について自信満々に予言していたことが起こらなかったため

1914年以降のものみの塔本では、予言ハズシを隠すために

明らかな手直しが行われている

当時ものみの塔会長であったラッセルは1914年何が起こるかについて特に何も言っていなかった

ことにされている。さらに

強い期待感や独断的な主張があったとすればそれはラッセルではない側、つまり読者の側に責任があった

という書き方をするようになった。責任転嫁。

本書の著者はこれがいかに欺瞞であるか、退屈な大昔のものみの塔本をきっちり引用して証明している。

1914年以前のものみの塔は、1914年に地上の国家権力が崩壊するのは揺るがない真理と書いている。ところが1914年が近づくと日和って

我々としては異邦人の時が患難の時に終わることについて、あるいはそれに続いてやってくる栄光の時代について、何も預言したことはないのです。我々はただ聖書の言うところを示し、その意味について我々の見解を示したのであり、これがいかなる意味を持つかについては読者諸君それぞれが判断してもらえるようお願いしたようなわけなのです。

と、完全消化不良な書き方になる。

ものみの塔が言う見解というのは、単なる妄想に過ぎない。かつては確信に満ちた真理と書き、刻限が近づくと一見解ですと及び腰になる。これがものみの塔詐欺。これは確信に満ちた私の見解です。

ものみの塔の人生そのものを操作されるエホバの証人

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